BACK/ NEXT/ INDEX



蒼き焔の彼方に  9


こうして聖子の携帯電話は和久の手元に渡った。
住所は、彼の所有するホテルの宿帳に書かれたものが残されていたので、住んでいる場所はすぐに特定できた。
ついでに、彼女の経歴も調べさせたが、いたって平凡な普通のOLで、取り立てていうほどのものは何も出てはこなかった。

「総領、いかがなさいますか」
関口が、調査書を捲る和久にお伺いを立てる。
「そうだな。別段、何も怪しいところはなさそうだ。これは、宅配か何かで送り返すことにしようか」
「では、そのように手配いたしましょう。ただ…」
そう言いながらも、彼は何か考え込むようにして、目の前に置いた携帯電話を見ている。
「何か気になることでもあるのか?」
「どうもその携帯を見つけた場所が腑に落ちないのです。実は、それを拾ったのは、沢べりの難所。どうやってあそこに迷い込んだのか、私どもには皆目見当がつきません。手前から沢を飛び越えることは不可能ですし、川上からそこに辿り着くには、結界を破らねばいけません。ですが、結界が緩んだ形跡はないですし、何より貴方様もご存知の通り、結界に遮られた道は常人には探し出すことができない」
関口は、そこまで告げるとなぜか押し黙った。
「君にも見分けられない他の道を、『風の道』を使ったとしたら…ということか」
「あり得ない…と申し上げたいところですが、他に説明がつきません。ですが、あの道は風守の一族が滅ぶと同時に封印されたはず。なぜ、今頃になってあの女性がそれを辿れたのか、私にはどうしても納得がいきません」
「彼女がこの村の…風守の縁者か、その末裔である可能性はないのか?」
「そうですね、ここ二、三代あたりを調べた限りではないようです。それ以上遡るとなると、もっと大掛かりな調査が必要でしょう」
「そうか」

和久は机の上に置かれた携帯を手に取ると、少し傷の入ったその表面を撫でた。
あの時、彼女は岩室の前で一体何をしていたのか。神木と同化したかのように幹に身体を預け、何かを呟いていた姿を思い出すたびに、不安とも焦燥ともつかない奇妙な感情に捕われる。
昔、風守の一族の中には、木や草花といった自然の植物と対話する力を持つ者がいたという話を聞いたことがある。仮にあの女性にその能力が備わっているとしたら、彼女はあの場所で神木に何だかの託宣を受けていた可能性もある。
先日、サダが伝えてきた話の内容からしても、彼女が何かの異変を知るのであれば、もしそれが「巫女」に関することであれば、尚更聞き出しておきたいところだ。

「関口、できるだけ早く上京する。手筈を整えてくれ」
「畏まりました。で、それの扱いはいかがいたしましょうか」
和久が持つ携帯に目を遣りながら、関口が確認する。
「考えが変わった。これは私が直接届ける。彼女にはもう一度会って、確かめたいことがある」



翌週末、和久は一人東京へと向かった。
彼がオーナーを務める瀧澤観光は、明治維新以降、主に交易と運輸観光事業で発展してきた。特に祖父の時代、あちこちの有名旅館や格式の高い料亭などを次々に買収し、一大ホテル、飲食店チェーンを作り上げたのだ。
表向き、現在彼は瀧澤観光のオーナー社長であり、チェーン全体を統括するCEOでもある。しかし、実質的な経営は有能な社員に任せ、自分は自宅と東京にある自社ホテルの一室に構えた住居兼オフィスを往復する日々だ。

彼には会社を動かすよりも大事な仕事がある。
それは、代々瀧澤家の当主が担ってきた使命であり、同時に彼らを地元に縛りつける枷でもあった。
和久自身、学生の間はその慣習を嫌い、大学卒業後、一時は逃げるように海外に飛び出したこともある。しかし、結局父親の死により、彼もまた一族の代々の総領たちと同じように、かの地に引き戻されることになってしまったのだ。

ホテルの高層階から見下ろす都会の景色は、色鮮やかなのに無機質だ。
一度は憧れた風景だが、今はもう、これが彼を駆り立てることもない。
「巫女か…」
この同じ空の下、本当にかの者は存在しているのだろうか。数百年の長きに渡り、彼ら瀧澤の一族を苦しめ、未だその力衰えぬ女の生まれ変わり。

もし仮に、彼が巫女を見つけ出し、その封印を解いたとしても、一体その後にどんな未来が待ち受けているのかは分からない。
それ以前の問題として、件の「巫女」は今どこでどんな状況にいるのかさえも、まだ自分には分からないのだ。

「だが、探し出さなくてはならない。どんなことをしてでも」
そう呟いた彼の表情が険しいものに変わる。
今を逃せば、次の機会までどれだけの子孫が自分と同じ辛酸を舐めることになるのか、考えただけでもそら恐ろしい。
末代にまで仇なすものを、この手で必ず封じ込めてみせる。
和久は宵闇迫る窓の外を見下ろしながら、その決意を新たにしていた。



夕刻、彼は女性が帰宅するであろう時間を見計らって連絡を取ろうとした。
携帯は自分の手元にあるため、家の電話を当たったのだ。彼女が失くした携帯を諦め、新たに携帯電話を入手したかどうかは定かではないが、この電話の電源が入り、機能しているうちはその可能性は低いと考えても良いだろう。

だが、何度連絡を入れても留守番電話が応対するだけで、一向に本人が出る気配がなかった。
「さすがに居留守というわけではないようだな」
最初に残したメッセージを聞いたなら、何某かの反応があっても良さそうだが、それさえもないところをみると、どうやら彼女は本当に帰宅していないらしい。
時計も既に10時を回り、遂に和久は留守電に本題を吹き込んだ。

「そちらは東聖子さんのお宅でしょうか。
夜分失礼いたします。私は先日、山中でお会いした者で、瀧澤と申します。あなたの携帯電話を拾ってお預かりしておりますので、折り返しご連絡いただきたいと思います。ちなみに、携帯はメタリックの薄いピンク、小さな花のストラップが付いているものです。
当方の電話番号は03−××××…。…ホテルの3301号室です。直通、又は念のため、フロント経由でも構いませんので。一度ご連絡ください。では、お待ちしています」

用件を告げると、彼は電話を切った。
時間も場所も、敢えて指定はしなかった。あとは、彼女の出方次第。
だが、彼には女性が何だかの行動を起すことは分かっていた。

彼女は必ずここに来る。

根拠のない確信。
それが一体どこから来るものなのかは彼にも分からない。

この時から、自分の与り知らぬところで大きな時のうねりに飲み込まれつつある彼女をも巻き込んで、運命の歯車は今、再び動き始めた。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME