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蒼き焔の彼方に  7


旅行から戻った数日後、仕事から帰宅した聖子は、ポストの中に一通の封書を見つけた。
「結婚式の招待状?」
差出人は兄である敏一。
「そういえば、美郷がそんなことを言ってたわね」

彼女には故郷に居を別にする家族がいる。
両親と兄、敏一、そして妹の美郷。
しかし今ではほとんど没交渉状態で、時折妹の美郷から電話やメールが来るくらいだ。


聖子は生まれた時から因縁めいたものを持つ子どもだった。
出生時、仮死状態だった彼女は、一度は呼吸や心拍が完全に停止し、医師から「死亡」の宣告を受けた。
しかしその数時間後、遺体の処置に来た看護師が、彼女が呼吸を再開しているのに気付いたのだ。
病院内は騒然となり、慌てて医師が駆け付けた。しかし彼女は薄い産着一枚で保温もない室内に放置されていたせいで低体温に陥ってはいたものの、比較的元気な様子で、検査の結果、体のどこにも異常らしきものは見つからなかった。
診察した医師も、この手の蘇生は通常では考えられないと首を捻ったほどだ。
それからは、大きな病気をすることなく育った聖子だが、成長するにつれて、徐々に人とは違う能力を見せ始める。

「ねぇ、お母さん、あのおばちゃん、すぐに居なくなっちゃうよ。悪いことして、おじちゃんが死んじゃうんだね」
母親と一緒に買い物に行った帰り道、近所に住む顔馴染みの女性と出会った聖子は、彼女から飴をもらった。大きな声で礼を言うと、頭を撫でてくれたその女性が自転車で走り去ってから、彼女は隣を歩く母親に話しかけた。
母親は、何を言い出すのかと怪訝思ったが、その時には軽く嗜める程度で済ませたのだったが。
数日後、聖子の言った通り、その女性は急に家から姿を消した。そしてしばらくして、女性の夫が遺体で見つかったのだ。その後、彼女が予言したとおり、女性は遠くはなれた土地で、警察に捕まった。
原因は家庭内暴力。かなり以前から、夫に対して殺意を持っていたと、女性は逮捕されてから認めたという。

その報を聞いた聖子の母親は青ざめた。
偶然にしてはできすぎている。
まさか、自分の娘が言ったことが現実になるとは、思ってもいなかった母親は、我が子に対して薄気味悪さを覚えたという。

聖子のエンバス能力は接触によるところが大きい。誰かに触れた時に彼女が自分の思考をシールドしていなければ、相手の考えていることがそのまま伝わってくる。
この時も恐らく女性の潜在意識の中に、そういったことが含まれていたのだろうと、聖子は後になって考えるようになった。
このように幼い頃は能力を隠すことを知らなかった聖子だったが、何度か同じことを繰り返すうちに、それは「口にしてはいけない」ことなのだと否応なく悟らされる。というのも、こんなことが幾度となくあり、遂に彼女の噂が人の口に上るようになったからだ。

千里眼、呪い、予言。
聖子の周囲ではありとあらゆる作り話やデマが実しやかに囁かれ、彼女は好奇な視線に晒されることになった。
彼女を取巻く大人たちの目は興味本位か恐れに満ちているかのどちらかで、必然的に年の近い友人たちとの接触も制限されるようになった。噂を聞きつけた友人の親たちが、自分たちのプライバシーを侵されるのを恐れて、子供同士の接触を拒んだからだ。
当然、友人は徐々に減り、やがて彼女は学校でも地域でも孤立してしまうことになる。

また、いわれなき中傷に居た堪れなくなった両親も幾度となく転居を余儀なくされ、次第に彼女を疎んじる態度を取るようになる。特に5歳年下の妹、美郷が生まれてからは親の愛情はすべて彼女に注がれ、聖子は顧みられることがなくなった。
そんな両親を見てきた2歳年上の兄、敏一も彼女には余所余所しい。
結局、今交流があるのは大学進学で家を出るまで比較的仲の良かった妹の美郷だけで、あとの家族にはもう何年も会っていない状況が続いている。


敏一が結婚することは少し前に美郷から聞いていた。
だが、自分が招かれざる客であると分かっている聖子は、例え招かれても式に出席する気はないし、多分あちらも本心は来て欲しいとは思っていないだろう。
一応新郎の姉妹として、結婚相手に対する面子もあるので、お義理で招待状を送ってきたに違いない。

聖子は出欠を知らせるハガキの欠席の欄に丸を打ち、出席を二重線で消した。
余白に何かひとこと添えるものなのだろうが、書きかけて思いなおした。
自分からの祝いの言葉など、見てもきっと兄たちは喜びはすまい。
希薄な家族関係は今までも常に彼女の心に暗い影を落としてきた。家族という言葉に憧れを抱くことを諦めたのは、いつのことだったのか、もう思い出すことも出来ないくらいだ。
物思いを振り切るように首を振ると、聖子は持っていたボールペンを机の上に置いた。

明日、出勤するときにでもどこかのポストに入れよう。それで終わりだ。

彼女はそう思いながら、ハガキをカバンの内ポケットにしまった。



「聖子、何か落ちたよ」
いつものように、佳奈と一緒に昼食を取ろうと屋上に出た聖子は、彼女に呼び止められた。
「ああ、ありがとう」
彼女が拾ってくれたのは、昨夜欠席を書き込んだハガキだった。
「これ、結婚式のだよね。行かないの?」
ひらひらと薄いピンク色のハガキの主裏をひっくり返した佳奈は、その名前と出欠欄を見て眉を顰めた。表書きは「東敏一様」となっていて、その苗字から明らかに彼女の親族か何かに違いない。
「行かないよ」
来る時に出すのを忘れたから、休み時間にポストまで行こうと思って持ってきたのだ。受け取ろうと手を出したが、佳奈はハガキを見つめたまま、怪訝そうな顔をする。
「でも、これって親戚か何かの式じゃないの?」
「兄だけど」
「えっ、お兄さん?の結婚式に出ないの?」
佳奈は驚いた様子でまじまじと聖子を見つめた。
「うん…私、あまり家族と仲良くないから」
寂しそうに笑う聖子に、佳奈はそれ以上何も言えないまま、ハガキを返した。

絶対に普通じゃないよ、こんなこと。

佳奈はいつも聖子が一人で休暇を過ごすのを不思議に思っていた。知り合ってからというもの、お盆やゴールデンウイーク、それに年末年始だって、一度たりとも彼女が実家に帰省したのを見たことがない。
一緒にいても、家族の話題はまったく出てこないし、子供の頃の話もほとんど聞いたことがなかった。唯一、彼女に妹がいることは知っていたが、兄がいることさえ、今の今まで知らなかったくらいだ。

大体、家族の結婚式の出欠をハガキで済まそうということからして考えられない。
佳奈の家では、たとえ離れて暮らしていたとしても冠婚葬祭には家族は総出で来て当然だと思っているし、仮に来られない用事があれば、予め電話や何かで確認をするはずだ。

如何に聖子が家族と疎遠になっているのかがうかがえる。どんな事情があるのかは、赤の他人である佳奈には知りようがないが、これ以上聖子にこの話をすることが躊躇われて、急に明るい話題に変えた。

「ところでねぇ、聖子。今度飲みに行かない?実は、森先輩が一度一緒に3人で飲みたいって」
「森先輩が?」
「うん。それにこの前のこと、かなり申し訳なく思っているみたいで、自分のおごりで行こうって」
「そんなの、気にしなくていいのに。あれは私も不注意だったんだから。それに二人の間に割り込んじゃったら、私なんかお邪魔でしょう?」
突然の誘いに、聖子は目を丸くした。
「そんなことないって。それに、先輩、自分の目の前で聖子がいなくなっちゃったから、かなり責任感じているみたい。注意監督義務を怠ったとか何とか言ってさ。柄にもなくふかーい溜息ついてるんだよ。だからさ、彼の罪悪感を軽くするためにも、協力してよ」
佳奈はにんまりと笑いながら、森の落ち込みぶりを披露する。それを聞いた聖子は、不謹慎とは知りつつも思わず吹き出した。
いつもながら、この友人の明るさには救われる。今では聖子にとって、佳奈は何物にも代えがたい存在であった。

「悪いことしちゃったな、先輩に。あの時は本当に不可抗力だったんだから。でもそういうことなら、お誘いに乗ろうかな。」
「いいの?きっと森先輩も嬉しがるよ」
「うん、分かった。でも森さんに、あんまり気にしないでって言っておいてくれる?」
「OK、じゃぁまた、日時が決まったら誘うね」


翌週末、3人はイタリアンが美味しいと評判の店に足を運んでいた。
あまりアルコールが得意でない聖子に合わせて、佳奈が食事ができる場所を選んでくれたからだ。

店を出て、2人と別れた聖子は、珍しくほろ酔い気分で自分のアパートへと帰ってきた。靴を脱ぎ、玄関を上ると、電話のメッセージランプが点滅しているのが目に入る。

誰だろう、家の電話に掛けてくる人なんて、滅多にいないのに。

どうせ間違い電話か何かの勧誘だろうと思い込んだ聖子は、何の気なしに再生ボタンを押した。

『そちらは東聖子さんのお宅でしょうか?…』

だが、彼女が耳にしたのは、記憶に残る、あの時に会った男の声だった。




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