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蒼き焔の彼方に  44


「そなたの力で命拾いした儂は、暫くして再びここに舞い戻ってきた」
サダは何かを思い出すように目を閉じた。
「まだあちらこちらに壊された家の残骸が残り、皆その上に粗末な掘っ立て小屋を立てて雨風をしのぐ有様じゃった。田畑は荒れ放題、昔の穏やかな村の面影はどこにもなかったよ」
当時、そんな村を治めていたのが、まだ幼かった喬久の子を当主に据えた関口家の祖先だった。
「最初にその話を聞いたときは、ここを余所者が我が物顔で牛耳っているなどとは信じられなかった。この地は、ここは風守の民の村。それを、あの瀧澤の者ごときに…」
『だが、詮方なきことではないか。すでに村長も巫女もないこの村を、誰かが治めねばならなかったのだ。一度瀧澤に恭順を誓った以上、力を持たぬ村の者たちは彼らに従うしかなかったであろうに』
「ここの領主に納まったのはあの男の子ども、それも他の女腹の血筋じゃぞ。そなたは平気なのか?」
サダは怒りに体を震わせながら、かっと目を見開いた。
「本来なら、そなたの子が…我ら風守の一族の血をもった者が継ぐはずだったこの土地を、奴等の子孫に譲り渡すなどと、儂には我慢ができなかった」

常葉は聖域に身を隠しながら、何度となくこの地から瀧澤を追い出すための策を弄した。だが、巫女を失い、心の寄る辺をなくした村人を以前のようにまとめることはできなかったのだ。
「だから儂はひとりで行動に出た。持っていた力の全てを費やして、瀧澤に…その当主に呪いをかけたのだ」
『しかし、お前一人でここまでやれたのか?』
確かに常葉は加津沙と並び称される術の使い手だった。だが、元々風守の力は民たちの力を吸い上げ、結集させたものだ。だから風守の最高の使い手とされ、巫女であった加津沙でさえ、一人ではあの難事を乗り切ることができず、結果として命を落としたのだ。
「儂には奥の手が残っていた。そう、巫女の珠玉という、とっておきの手段がな」
本来珠玉は巫女にしか扱えない高貴で高等な呪術具だった。だが、正当な持ち主を失い、その後継も定まらない状況の中で、常葉はその珠を使うことのできる数少ない一族の一人だった。

『やはり、珠玉を持ち出したのはお前だったのか』
「ああ。屋敷が落とされた時にな。いずれは…巫女となる者が現れたときには、祠に返すつもりじゃった。あの珠は風守の巫女の象徴、決して瀧澤に渡してはならぬと思うておった」
『常葉…』
「だがそのような者は現れなかった。それどころか、村の者たちは少しずつ我ら本来の力を失っていった…瀧澤の者たちと交わることでな」

そこで一度言葉を切ったサダは、深く皺の刻まれた顔を手で擦った。
「儂は珠玉を用いてあの男の子孫を呪った。そうすることで、我が身にも呪いがかえってきたが、儂はそれに甘んじた。もしあの時、儂があやつ等をこの地に入れなければ、こんなことにはならなかっただろう。そう思うと、この村が…皆がこのような有様に成り果てているのに、自分がまだ生きていることさえ厭わしくてならなんだ。これは儂が負うべき当然の報いなのだと思った」
『お前は…自分の怒りの気を珠玉に吸わせて、これほどまでに強い呪いをかけたのか』
「ああ。巫女の珠玉はそれを使う者の心に呼応する。正しい心根の者が使えば正しい道へと導くが、歪んだ心の持ち主が使えば…言わずもがなだ。
儂はそれを知っていながら、珠玉を呪いの祭具として使い、貶めた」

その代償として、常葉は瀧澤の者たちと大して変わらぬ道を歩むことになった。
死ぬことを許されず、身体を持ったまま、この世を彷徨い続けなければならない。それは自らのかけた呪いが解けるまで続く、長い地獄の彷徨の始まりだった。

「呪いを施した後、あの屋敷跡の…岩屋の祠の前にあった、唯一半分焼け残った木の洞に珠玉を隠した。あの時芽吹き始めていた新芽は、いつしか元の幹を覆い隠すほどに成長し、珠玉を懐に抱いたまま今のような巨木となった。
いつの日か、巫女がこの地に戻ってきたならば、必ずやこの珠を見つけ出して祠に戻そうとするだろうことを見越してな。
無論、瀧澤の子孫たちは絶対にそこに近づけないように念じておいた。珠を取りだせるのは巫女の力を持つものだけ。そしてその力で瀧澤の奴等を救ってやるかどうかは、巫女の心一つということじゃ」
『なぜそれほどまでに、瀧澤を憎む?喬久殿の重臣、関口殿は、お前の…』
「そうだ、儂を謀った男、関口を父に持つ、半分の血を同じくする兄弟だ」

戻りの風として、ここに舞い戻ってきてから常葉を産んだ母親は、最後まで父親の素性を明らかにはしなかった。
彼女が自分の出自を探り出したのは、この村を出奔してからのことだ。
その父のたっての願いで、彼女は彼と、自分の兄弟に当たる男を密かに村に引き入れた。それがこの村を戦乱に巻き込む引き金になるとは、思いもしないで。

「愚かな儂は、あやつらの姦策を見抜けなかった。自分の母親が、なぜ一度は離れたこの地にこっそり舞い戻ってきたのか…それを考えれば理由は自ずと分かるものを」
サダは自嘲するように笑った。
「その男が仇敵を…瀧澤の息子を担ぎ上げて、大きな顔でこの地に居座ることなど、許されるわけがない。いや、誰が許そうが、儂が許せんかった。
父親も、兄弟たちも、それらが仕える瀧澤も、すべてが憎かった」

『だから、まずは関口の本流を根絶やしにして、瀧澤を呪ったということか』
関口の家系は、度重なる不幸で一度完全に途切れている。今の関口家は後になって傍系にあたる人間が再度興したものだ。
「ああ。だが、報復というのは虚しいものだな。どこまで相手を落そうとも、決して平穏は訪れぬ。そのことにもっと早く儂が気付いておれば、違う終わりもあったのかもしれん」

しかし結果として、彼女の瀧澤に対する呪いは連綿と続き、自身もまた、その報いを受け続けてきた。今となっては、浄化されない御霊たちの怨嗟も加わり、宿怨はもはや彼女の力だけでは到底太刀打ちできないほどに、大きくふくれあがっていた。
巫女の帰還は、呪われた瀧澤家の人間だけでなく、呪いをかけた彼女にとっても待ちに待ったことだったのだ。

「この愚かな呪いが解かれるとき、やっと儂の過ちにも終止符が打たれる。その時には儂のすべての力をそなたに委ねる。受け取ってくれるか?巫女よ」
『常葉、お前は…』
「あまり長く待たせては、その娘御に申し訳ない。そろそろ行ってくれ」
そう言って一方的に話を打ち切ると、サダは再びベッドに身を横たえて目を閉じた。

その様子を見て、その場を立ち去ろうとした彼女を目を閉じたままのサダが呼び止める。
「加津沙」
『何だ?』
「赤子は…そなたの娘は預けた先で何も知らされぬまま、無事健やかに育った。年頃になり、気の良い男と所帯をもって子にも恵まれ、幸せな一生を送ったそうだ」
それを聞いた加津沙の、実際は聖子の表情が、心なしか緩んだように見えた。
「そなたが気付かぬのは無理もないが」
『何がだ?』
「その子の末裔が、ここに…そなたのすぐ側におったであろう」
『すぐ側に?…それはもしやあの、御霊に取り憑かれた娘か?』
「ああ、あの娘だ。無論、巫女の生まれ変わりである、そなたの宿った娘御はそのことを知らぬはずだ。それでも往代は親子、二人の間には何か通じるものがあったのかもしれぬ」
『あの子もまた、長いときを経て、今世で自らの源に戻ってきたということか』
「それだけではない。もしや…いや、今は言うまい。その時が来れば分かることだ」

それきり途絶えた会話に、今度こそ加津沙はサダの元を後にした。
『常葉、長い間…辛かったな』
最後に一言、この言葉を残して。




訃報を聞いた和久と聖子が駆けつけた時、サダの体はすでに棺に収められ、葬儀場に安置されていた。
そこで聖子は初めて、サダの遺言により、遺体はそのまま土葬されることになっていると聞いた。
「土葬なんて、今でもできるの?」
驚く彼女に、和久は頷いた。
「このあたりでも、近年ほとんどそうする者はいなくなったがね。なぜ今更おばば様がそうするよう言い残したのかは、私にも分からない」


『常葉よ、お前は最後まで、誰にも秘密を明かさぬまま、逝ってしまうのだな』
長い年月、人目を忍んで生き続けてきた風守の術師は、呪縛を解かれてその長すぎる生涯に幕を引いた。
火葬を拒んだのは、数百年生きた体では、骨さえ燃え尽きてしまい、不自然なほど何も残らないことが分かっていたからだ。呪いという、科学では解明できないものによって生かされていたサダは、生前、病院や医者を嫌った。それさえも、説明のつかない自分の命というものを、他人の目に触れさせたくなかったからだろう。


サダの棺の前で手を合わせながら、聖子は自分の気持ちとは別の所で深い悲しみを感じていた。
「巫女が…」
「何だ?」
「加津沙が、泣いている。何でかは分からないけど、とても悲しんでいるのを感じる」
聖子はそう言うと、疲れた顔で一緒に手を合わせていた和久を見上げた。

「お願い、私を連れて帰って。どこか、誰も見ていないところで…加津沙を思い切り泣かせてあげたいの」
和久が無言のまま手をとると、二人は葬儀場を後にした。
理由も分からず、心の中にぽっかりと穴が開いたような、切ない気持ちのまま、和久に支えられるようにして歩く彼女の肩を、降り始めた小糠雨が静かに濡らしていった。




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