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蒼き焔の彼方に  43


夜が明け、明るくなってから山から下りた和久と聖子は、雨でずぶ濡れの衣服を着がえるために、一旦離れへと向かっていた。
その途中、邸内が一望できる見晴らしのよい場所まで来た二人は、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

「これは…」
本宅の向こう側一帯、庭に緑の芝生が広がっていた部分が大きく陥没している。そこに裏山から崩れてきたと思われる土砂が大量に流れ込み、地面の色が黄土色に変色していたからだ。
「本宅の側の…あのへんって、もしかして…」
「ああ、地下に霊廟があるあたりだ」

「総領」
少し高台になった離れの端で立ち尽くす二人の背後から、関口が声をかけてきた。
「何が起きたんだ?」
和久はそこから目を逸らすことなく、関口に問うた。
「はっ、実は昨夜、激しい雷雨がありました。その際、裏の山肌に亀裂が走っているのが見つかりまして、警戒しておりましたところ、明け方にあった地震で大規模な地すべりを起こしたようです。地震の際に庭に直径が70メートルほどの大きな陥没ができ、その部分に岩や土砂が流れたので、いまのところ地下部分を除いて家屋や邸内の道路、それに外塀には被害はでておりません」
「霊廟は?」
「地下からの通路は完全に土砂で埋まっていて、遮断されています。復旧させるには、地上から、重機を使って掘削していくしかないと思われますが。すぐに手配いたしますか?」
「…いや。地下は…霊廟はこのまま封印する。これ以上陥没が広がらないように、整地を急がせてくれ」
「良いのですか?」
「ああ。昨夜、聖域の祠が封印されると同時に岩屋が崩壊した。御霊たちは浄化され、解き放たれたそうだ。ここに眠る我らの祖先の遺骸も、時と共に朽ちていき、やがて土に還るだろう」
関口は信じられないといった顔で和久を見つめた。
「では、巫女の呪いは…」
「解かれたようだ」
「そうでしたか…それは良うございました。これで瀧澤家の長年の苦難が終わるのですね」
「そうだな。まだ実感としてよく分からないが」
そう言いながら、和久は側らに立っていた聖子に向かって頷く。


「では、庭の土砂の方はそのように手配いたします。それから、あと、ご報告なのですが…」
関口が何かを言いよどんだ。
「何だ?」
「はい、実は、昨夜…と申しましても明け方近くだったのですが、吹野のサダ殿が、息を引き取りました」
「おばば様が亡くなった?」
「はい。夜中に急に自宅でこん睡状態に陥って、すぐに医師が駆けつけたらしいのですが、そのまま…」
「そんな、だってお見舞いに行った時には、まだ話だってされていたのに」
聖子も驚きを隠せない様子だ。
「そうか。お前はおばば様の遠縁ということで、家族として面倒をみているんだったな』
「はい。私の祖父の遠い親戚…ということですので」
「サダさんにもっと近親者はいないの?」
「ええ。どうやら生涯独身だったようです。他には縁者はいないと聞いています。私が物心ついた時にはすでにうちの離れに一人で暮らしていましたし、父も生前、そのあたりの詳しい話は何もいたしませんでしたから」
「そうなんですか。何だか不思議な人でしたよね、サダさんって」


一昨日、サダが体調を崩したと聞いた聖子は、潔斎中で身動きの取れない和久に代わって、彼女の自宅に見舞いにいったばかりだった。
いつものごとく、病院嫌いで、どうしても入院を拒むサダは、聖子が訪れた時には、自宅で介護用のベッドに横になっていた。
「いかんのう、まだ頭はボケてはおらんが、どうも体の方がついていかん」
そう言いながら、サダは歯のない口を窄めて笑った。
「そろそろお迎えが来てもいい頃合なんじゃが、まだもう少しこっちにやり残したことがあるのでなぁ」
「そんな、もっと長生きしていただかないと。社長に、あの強情で自分勝手でオレ様な人にがつんと言える人は、そうはいないんですから」

その前日、和久とやりあった聖子は、そのことを思い出して少し悔しそうに頬を膨らませた。新月の夜に一緒に聖域に入りたいと主張する彼女を、和久は「だめだ」という一言であっさりと退けたのだ。
「ああ、思い出しただけでもむかつく」
そんな彼女をサダが楽しそうに見つめた。
「そう言って主殿に咬みつけるのは、この世界広しと言えども、お前様くらいじゃろうて。これからも精々主殿を引っ掻き回して差し上げてくれ」


その後、15分ほど世間話をした聖子は、サダの体調を慮って早めに暇乞いをすることにした。
「では、またお顔を見に来させていただきますね。今度は社長も一緒に連れて来ますから」
椅子から立ち上がり、挨拶をして帰ろうとする聖子を、サダが引き止めた。
「お前様に頼みがあるんじゃが」
「はい?何ですか?」
「少しの間だけ、巫女と…加津沙と話をさせてくれんかのう」
「えっ?」
聖子は思わず戸惑いの表情でサダを見つめた。
「サダさんは…このことをご存知だったんですか?」
「ああ、知っていたさ。お前様が最初にここに来たときからな」

確かに博物館でサダに会ったとき、『ようここに戻っておいでになった』と言われた記憶があった。聖子が何一つ知らないで、旅行者として初めてここにやってきた時のことだ。
あの時からすでにサダは自分うちに潜む巫女のことに気付いていたのかと思うと、聖子は驚きを隠せなかった。

「で、申し訳ないが、お前様にはちょっとだけ余所で休んでいてもらいたい。頼めんか?」
どうしてそんなことを、と言いかけたが、自分の中の巫女もまた同じことを望んでいるのを感じた彼女は、老婆のたっての願いを聞き入れることにした。
「では、私は聞かないようにしていますね」
サダと巫女の話を聞かないように意識を沈ませることを暗に承諾する。
「悪いのぉ」
サダが申し訳なさそうにそう言うのを聞きながら、聖子は自分の中で巫女と居場所を替わったのだった。


「加津沙よ、聞こえるか」
『ああ。久しいな』
「あれから何百年が経ったと思うておる?さすがに儂も待ちくたびれたわ」
『そう言うな。私とて、戻る努力を怠っていたわけではない』
そう、何度も転生を繰り返し、それを願っては思い半ばで命を落とした。そしてやっとのことでここまで帰り着いたのだ。

『これらは…そなたの仕業だな』
巫女の名の下に、長年瀧澤家を苦しめてきた「呪い」。
それを施した張本人は、巫女であった加津沙ではない。だが、これだけの強い呪術力を持つものは、風守の民が瀧澤に侵略され、混血が進んでからは出てきていないはずだ。
その強大な能力を持っていた最後の風守直系の二人。
それが巫女の座を争った、加津沙と常葉だった。

早速詰問してくる加津沙に、サダは思わず苦笑いを浮かべた。
「ああ、そうじゃ。あの時、瀧澤を呪ったのは…この儂じゃよ」
『なぜ私の名を語ってこのようなことをした?』
「……」
『なぜだ?答えよ…常葉』




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