青白い光の中心で核となっているは、両手で包み込めるほどの小さな珠だった。 それはまさしく蒼焔の巫女と共に失われたと伝えられる珠玉。 「まさか、巫女の珠玉がこんなところにあったとは…」 驚きを隠すことなく呟く彼の目の前で、光を放つ珠は老木の幹の裂け目から浮き上がると、真っ直ぐに聖子の手の中に納まった。 『風守の力の源、我が手中に戻れり』 聖子は重々しい口調でそう宣すると、両手で恭しくそれを翳した。 すると、珠は更に白く輝きを増し、脈打つように光を放ち始める。 『風守の巫女よ、我が力を受け取れ』 彼女の中にその声が響くと共に、珠は益々その光を強くした。 『しかし、今お前がそのようなことをしては…』 巫女の戸惑いを声の主は一蹴した。 『いくら蒼焔の巫女の力を持ってしても、一人では到底勝てまいぞ。我が持てる力のすべてを珠玉に呈する。思う存分に使うが良い』 『だが…』 『躊躇している場合ではない…来るぞ』 新たに加わった力により形勢が逆転したかに思えたが、数の上では相手の方がはるかに上回っていた。 『思っていたよりも分が悪い』 こちらの消耗を見透かすように次々に仕掛けられる攻撃に、再度劣勢に立たされた聖子は、疲労し、ふらつく足を地面に踏ん張りながら肩で息をしていた。 『どうする…一時退くか?』 聖子の身体を借りた巫女は、途切れることなく襲い掛かってくる御霊を避けながら、先ほどの声の主に心の中で呼びかける。 『いや。今決着をつけてしまわねば、我らがやられる』 声の主も疲れきった様子だが、それでもここを離脱する気はないようだ。 一進一退、膠着状態の続くなかで、聖子は珠を手に一歩も退く気配を見せなかった。 青ざめて血の気が失せた顔、時折ふらつくように揺れる身体。その疲弊しきった様子を間近で見ていた和久は、遂に我慢しきれなくなって悲痛な声をあげた。 「もう止めろ。ここを御するのは無理だ。こんなことを続けていたら、君の方が参ってしまう」 『だが、今我らが退けば、そなたの身の保証はないぞ』 身体を明け渡した聖子の口を借りて、巫女がそれに応える。 「構わない。もしここであなたが御霊を鎮め、私たちを救ってくれたとしても、その代償に彼女が命を落とすようなことになれば、意味がないんだ。 もういい、充分あなた方は戦ってくれた。だから頼むから…ここから逃げてくれ」 その時だった。 突然聖子の持っていた珠玉が更に強烈な光を放ち始め、彼女の手の中から空中に浮かび上がったのだ。 驚いた聖子が見ると、彼女の手を離れた珠玉に、遠くから一筋の光がものすごい勢いで向かってくる。 『何だ?』 強烈な光は珠玉に達すると、そのまま吸い込まれるようにして珠の中に消えていった。 『おお、珠が…』 聖子の、巫女の驚きの声に応えるかのように、珠玉は眩いばかりの蒼い光を放つ。それはまるで彼女に新たに添えられた力の強さを誇示しているようにも見えた。 『一体誰がこの珠にこれだけの力を…』 聖子たちが見守る中、珠玉は高々と空を舞い、ぽっかりと口を開けた岩屋の祠の前でぴたりと静止した。 そしてその場で目が眩むほどの光を放つと同時に、それまで辺りに漂っていた靄が一瞬でかき消されたのだ。 次々と霊たちが散らされ、封じ込められていく様を、巫女は信じられない面持ちで見つめている。 『驚いたか?これがあの娘の本当の力よ』 彼女に語りかける声の主も、苦しげな息の下で笑っているように思えた。 『ああ、あの…子の。だが、まさかこれほどとは…』 『実際はこうまで強大なものではない。ただ、あれには二つの血が流れておる。一つは我らと源を同じくする風守の民の血、そしてもう一つが…この霊たちと同じ瀧澤の血。こ奴らを抑え込むのに必要なのは同族の血筋だ。ならば、これ以上の力はないであろう』 そうしているうちにも、珠玉はどんどん光を増し続け、目視することさえ困難なくらいになっていた。 『ほら、瀧澤の末よ、あれをしかと見ておくがいい』 巫女の言葉に、手を翳しながら光の源を見た和久は、一瞬我が目を疑った。 「巫女の珠玉が…」 眩い光を放っていた珠は突然白金色に輝いたかと思うと、彼の見ている前で粉々に砕け散ったのだ。 「そんな…珠玉が割れるなどとは」 呆然としている和久をよそに、巫女はそれまでとは打って変わった穏やかな顔つきで、再び印を結び始める。するとそれに呼応するかのように、砕け散った珠玉の破片は次々と祠の入口に吸い込まれるようにして消えていった。 特殊な力を有しない和久には実際に起こっている事象しか見ることはできなかったが、聖子は巫女の目を通してその場の出来事をつぶさに見ていた。 彼女たちの力を集め、そのエネルギーを最大にまで高めた巫女の珠玉が、砕けながら御霊たちを捕らえ、欠片で包み込むようにして祠の中に引き戻したのだ。 『加津沙よ』 珠の最後の欠片が祠に消える間際、彼女に呼びかける者がいた。 『我が永遠の巫女姫よ。儂は先にあちらに行き、そなたを待つことにしよう。暫しの暇だ』 それが瀧澤の始祖、喬久だと気付いた聖子は、心の中で加津沙に問いかける。珠玉による浄化で、ここに留まる力を失いつつある彼の姿はすでに彼女にも見ることができず、気配を感じられるだけだ。 「いいの?このままで」 だが喬久の別れの言葉を聞いても、加津沙は頑なに口を開こうとはしない。 「このままでいいの?何も言わなくて…本当にいいの?」 『相変わらず情の強い女子だな、そなたは』 そんな彼女たちのやり取りに、喬久の声色に苦笑が感じられた。 「ねぇほら、何か言いなさいよ。ねぇってば…」 『煩いわ』 そんなしつこい聖子のお節介に、つい加津沙も反応してしまう。 『もうよい、放っておいてやれ。こやつはいつもこういう女子だった。今更変わりようもなかろう』 『…無礼な』 今度はつい呟いてしまったような加津沙の言葉に、聖子は思わず破顔した。 「ほら、言いなさいって、何か言いたいことがあったんでしょう?」 だが、相変わらず加津沙は黙ったままだ。 『では、もうそろそろ行くとしよう。皆が待っておる』 『…子は』 『何だ?』 呟くように、初めて自らの意志で言葉を口にした加津沙に、喬久が先を促す。 『あの時生まれた娘は、無事成長して…健やかな一生を送れたそうだ。一度として会うことが叶わなんだ子とはいえ、貴殿も親として、知っておきたかろうと…』 『…そうか。良かった』 夜明けが近づき、益々弱くなる喬久の気配に、聖子が一人で焦れる。 「ほら、もっと言うことがあるでしょう?」 『……』 『娘よ、もうよい。儂はそれだけ聞けば充分だ』 「でも…」 『すでに時は満ちた。今夜の…月がない闇夜のうちに、我らはここから旅立たねばならぬ』 それを聞いた加津沙がぴくりと身体を振るわせたように、聖子は感じた。 『あ、あちらで…必ずやお待ち下さるのでありましょうな?』 喬久は徐に手を差し伸べると、彼女の頬に触れた。彼の指がかすめた場所が、ひんやりとした感触に包まれる。 『ああ、必ずや、そなたが来るのを待っておるぞ』 その言葉を最後に、辺りからは御霊の気配が完全に消えた。 「これで本当に良かったの?」 最後まで喬久に思慕の情を告げなかった巫女に対して、聖子は何となく気遣わしげな気持ちになっていた。 『この世にはどうにもならぬこともある』 巫女姫は多くを語らないが、聖子には何となくその気持ちが理解できた。 今、彼女の身体に内在している加津沙には、自由に己の身を動かすことはできない。たとえすぐに喬久の元に行きたいと思っても、聖子が生きているうちはどうしようもないのだ。 将来、聖子の寿命が終わる時に、今度は加津沙も同じように天寿を全うするはずだ。この地に戻り、大願を成就させた巫女は、以後転生することなくようやく安らかな眠りにつくことになるのだろう。それまでもうしばらく、喬久はかの場所で、再び巫女を待つことになる。 自分が生きることが即ち彼らの再会の妨げになると考えると、聖子は妙に切なく、やりきれない気持ちになった。 『気にするでない。喬久殿は待つと仰せになったのだ。あの男ならあと数十年くらいは苦もなく待っておろう。何といっても、今日まで数百年の長き時を待ち続けてきたのだからな…』 「聖子君」 心の中で巫女と語り合っている間に、気がつけば、和久がすぐ側に来ていた。 「大丈夫か?」 青ざめた顔に笑みを浮かべて、聖子は小さく頷いた。 「多分。もう何も起こらないと思うけど…」 だが、彼女が和久のもとに歩み寄った時、突然辺りに地鳴りのような轟音が響き渡った。 「何だ?」 驚いて周囲を見回した二人は、僅かに明け始めた空の明るさの中で信じられないものを目にしてその場に立ち尽くした。 「岩が…」 見れば、背後にあった大岩が崩壊し、中腹にあったはずの祠の入口は跡形もなくなっていた。 「一体何が起きたんだ?」 御霊たちの姿を感じとれない和久にそれまでのことを伝えると、彼は感慨深げに祠のあった場所を見上げた。 「もうあそこは役目を終えたということか」 「そうね。入口は珠玉の破片で固く封印されているから、もう二度とあの場所から彼らがこちらに戻ってくることはないでしょうね」 恐らく、巫女の珠玉が必要だったのは、御霊を封じ込めるためだったのだろう。 だが、浄化された霊たちを、最早この場に封じ込める必要はなく、彼らは今夜あの世へと渡っていったはずだ。 和久は再度感慨深げに、今はなくなった岩屋の跡を見上げた。 「そうか。これでようやく…」 「珠玉の力で浄化された御霊たちも安らかに眠れると思うわ」 「…ありがとう」 「お礼なら、私よりも加津沙たちに言って」 「そうだな。だが、まずは君に、私たちのために戦ってくれた、私の巫女姫に…」 少し照れたように笑う聖子を抱き寄せると、二人はどちらからともなく互いを引き寄せ唇を重ねる。 黎明が訪れる前の薄闇の中、一つに重なった影はいつまでも離れることはなかった。 HOME |