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蒼き焔の彼方に  epilogue


サダがこの世を去り、瀧澤の御霊たちがあの世に渡ってから数ヶ月が過ぎた。
今夜は新月。
だが、和久はもう禊をすることもなければ、夜通し聖域に篭って祈祷を行うこともなくなっていた。

岩山の崩壊と共に崩れ落ちた祠の側には、小さな社が建てられた。落雷に遭い、真っ二つに裂けてしまったご神木は取り除かれる予定だったが、そこから新たな芽吹きが見つかったために、覆いを掛けられ、新たなご神木として大切に守られることが決まっている。


「あの祠は霊気の…御霊たちの通り道になっていたのか」
和久は、今は原形を留めないまでに崩壊した岩肌を見ながら、感慨深げに呟いた。
「多分。だから昔から、あの場所にあった社は珠玉で封印され、巫女がそこを守っていたんでしょうね。でも、あの騒乱で珠玉を失い、巫女を失って、だれもあの場所を封じることができなくなった。だからあの世に渡る術を失くした者たちが浄化されずにあそこに溜まっていったんだと思うわ」
「それが、新月の夜の、荒ぶる御霊の正体ということか」

今では新月の日にはこうして聖子と二人、その社を清め、供物を捧げて家の安泰と、この村の繁栄を祈ることにしている。同様に、以前地下の霊廟があった跡には地上に供養塔を建て、そこで先祖の霊を弔っていた。

「もうそろそろ来月辺りからは、ここまで来るのは無理だな」
目立ち始めたお腹に目をやりながら、和久が微笑む。
「そうね。供養塔へのお参りは大丈夫だと思うけれど」


あれは、サダの野辺送りを済ませた夜のことだった。
隣で眠っていたはずの聖子が突然起き上がると、彼に語り始めたのだ。
『これですべてが終わった。もう私が表に出てくる理由はなくなった』
驚いて起き上がった和久を、聖子の身体を借りた巫女が見ていた。
『この娘は私の最後の現し身。これを終いに、二度とこの世に迷い出てくることはない。故にこの先、瀧澤の中にもそなたのように、古の記憶を持って生まれる者は現れないはずだ』
「巫女姫…」
『そなたは自由じゃ。もうここに縛られることもない。これからは、思いのままに生きるがよかろう』
「あなたはこれから、どうされるのですか?まさか…」
『案ずるな。この身体はこの娘のもの。私はただ静かに、娘の中で命数が尽き、天寿を全うするのを待つ』
安堵の表情を浮かべた和久を、加津沙は苦笑いしながら見ている。
『然れば、永の別れじゃ』
「ありがとうございました。瀧澤の…先祖たちに成り代わってお礼申し上げます」
『それには及ばぬ。それよりも現し世で、そなたに自由を与えたこの娘を、大事にしてやってくれ。それが我が思いに報いる、たった一つの術じゃ』
「彼女には…何か伝えたいことはありませんか?」
暫し目を閉じた加津沙は一言だけ、こう告げた。
『幸せになれ、と』



翌朝、それを聞いた聖子は目を潤ませながら自分の出生時のことを話し始めた。
「もし、加津沙が私を拾ってくれなかったら、私はあのまま死んでいたかもしれない」
生まれてすぐに、一度は死んだ自分が再び息を吹き返したのは、加津沙のお陰だと気付いたのは、ここに来て、その存在に気付いてからだ。
巫女の転生には、生まれや血筋は関係しない。だから、巫女がこの世に現れる時に、たまたま偶然身体を貸すことのできる状況にあった聖子が現し身として選ばれたのだろう。
そのお陰で人とは違った力を持ってしまった彼女が歩んできた道は、決して平坦なものではなかったが、それでも聖子にとって、加津沙は命の恩人であった。

ありがとう加津沙
巫女が最後に残した言葉に、聖子は心の中で応える。
こうして聖子は、もう二度と向き合うこともないであろうもう一人の自分に、別れを告げたのだった。


それから少し経って、聖子は自分が妊娠していることに気付いた。
まだ本宅や庭園の復旧工事の最中だったことや、サダの喪も明けていないことを考慮して、二人は華やかな祝宴は開かず、入籍と内輪での簡素な披露宴を選んだ。

そしてつい先日、お腹にいるのが女の子だと分かった時、それを一番喜んだのは、夫である和久だった。
「これで本当に瀧澤が呪いから解き放たれたことが証明された」
元々少子傾向にあった瀧澤家には、ここ二、三百年の間に男児しか生まれていない。それも家を絶やさないための巫女の差し金といわれ続けてきた。
そんな家に、家長の最初の子供として女の子を迎えることは、呪縛からの完全な解放を意味するからだ。

あと数ヶ月もすれば、瀧澤家に新たな歴史が刻まれるだろう。
それは同時に、巫女の伝説が残るこの風守の村を、未来へと導く次の時代の風が吹き始めることにもなるのだ。


その昔、古の悲劇の巫女が、わが子の命と引き換えに己が身を焼き尽くされようとしたその刹那、蒼き焔の向こうに見ていたのは、そんな希望の風だったのかもしれない。


〜 終 〜


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