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蒼き焔の彼方に  40


「あと…あの霊廟で見たあなたの先祖っていう男の人のことなんだけど」
食事を終えた聖子が再び話を切り出した。
「君には見えたんだろうな。自分の身内であっても、私には気配を感じることさえできなかったが」
「もう一度あの人を見て、ちゃんと確認しておきたいの。私のためというよりも、加津沙のために」
「巫女姫は何か言っているのか?」
「ううん、何も。でも、もしかしたら、彼女もあの男性に会いたいんじゃないかと思って」

和久が眉間に皺を寄せて、何かを考え込むような顔をする。
「本当にそう思っているなら、あの巫女姫のことだ、もうすでに出てきていてもおかしくないと思うが」
「でも、あの男の人は一応加津沙の想い人だったんだし、今もあそこにいるのなら」
『いる』というのはもちろん『遺体が収められている』という意味だ。

「本当に…あれを見たいのか?」
本音を言えば、聖子は霊廟に入りたいとは思わない。何と言ってもあそこに安置されているのは人の遺体なのだ。そんなものを好き好んで見たがる女性はそういるものではないだろう。
それでも、彼女はあることを確かめたいと思った。それは昨夜、彼女が和久から引き出した記憶の中に埋もれていた事実の一つだ。

「ええ、どうしても見ておきたいの」
どうしても退かない彼女に、和久は脅すように念押しした。
「また昨日と同じ様な目に遭うかもしれないぞ。それでもいいんだな?」
頷いた聖子に、彼は溜息をつきながら渋々了解したのだった。



その日の午後、半日の休みを取った聖子は、和久の案内で再び霊廟に入った。
金庫並みに重くて厚い扉に閉ざされていた入口をくぐると、そこはこの世とは隔絶された冷気と静けさに満たされた空間が広がっている。
一歩足を踏み入れた途端に、聖子は自分の周りに纏わり付くような空気を感じ、思わず鳥肌を立てた。

「昨日も言ったが、手前が一番新しく安置された…私の父だ」
二人は彼の父親の棺の側で立ち止まると、手を合わせた。
「そしてこっちが祖父。順々に、奥へ行くほど時代が古くなっていく」
「では一番奥にあるのが…?」
「初代当主で、瀧澤家をこの地に入れた喬久ということになるな」
「見たことはないの?」
「棺を開けて中を『確認』したことはない」
「…そうなの?」

そう話しながら、二人は並んで奥へと向かって歩いた。
「そして、これが初代の当主様いうわけね。でも、何だかこれだけやけに小さいわね」
そこに安置されていたのは、手前に並べられている他の棺よりもはるかに薄く小さなものだった。
「開けてもいい?」
「巫女姫の生まれ変わりという君ならば、始祖も許してくれるだろう。私たちの間では禁忌とされているが」

聖子が緊張に震える手で蓋を開けると、その中には思っていたのとはまったく違うものが入っていた。
「和紙?」
そこに納められていたのは、器の大きさに見合わない、掌に乗るほど小さくて黄色く変色した古い和紙の包みだった。
「触っても大丈夫かしら?」
和久が頷いたのを見て、聖子は両手で慎重にそれを取り出す。そしてそっと包みを開いてみると、中から現れたのは彼女の小指ほどの太さに束ねられた、不ぞろいな一房の髪の毛だった。
それを見た彼女の顔が一瞬強張る。だがすぐに、愛しむように指で房を撫でると、何故か不意に頬を一筋の涙が伝った。
「これが…」
「初代当主、喬久のもの…と伝えられる遺髪だ」
「ご、誤解しないでね。これは私のではなく、加津沙の涙だから」
和久の指先で涙を拭われた聖子は、思わずそう言い訳をしながら、辺りを見回した。

「他の体は?遺体があるんじゃなかったの?」
「初代のもので残されているのはこれだけだ」
「でも、あなたたちは…いつまでも遺体が朽ちないって言ったじゃない。あれは嘘だったの?」
「いや、本当のことだ、その証拠に、2代目以降の当主は皆ここに安置されている」
「でも、だったらなぜ、この人だけが…」
「それは初代が…巫女姫の死後、二度とこの地に戻ってくることはなかったからだ」



風守の民たちが蜂起し、巫女姫が謀殺された時期と相前後して、瀧澤家は戦に破れ、本領を攻め落とされた。
その最中、初代当主の喬久は討ち死、配下の者たちは散り散りに敗走することになった。その中で唯一、形見となったこの遺髪をここまで持ち帰ることができたのが、瀧澤家の姻戚であった、関口の先祖にあたる武将だったのだ。

「でも、だったら彼の死後、誰がこの家を継いだの?」
当主亡き後、将来この地を継ぐことになっていた巫女の子供も行方知れずになったはずだ。
「初代の遠縁で家臣でもあった関口の祖先が、喬久の正妻の子供を擁してこの地に入って来た。彼らはすでに本領を攻め落とされて、戻るべき領地を失っていたからね。まだ成人していなかった当主の息子が成長するまで、彼が代わってここを治めた。その後、元服した喬久の正妻の子が、瀧澤の次の総領になった。私たちはその子孫に当たるんだ」
「えっ?初代の当主には他に奥さんがいたの?」
ましてやそちらが正妻だったとなると、加津沙は一体どのような扱いをされていたのだろうか。
「当時はそういうことが許される時代だったんだ。ましてやここに攻め込んだ時、喬久はすでに三十路を超えていた。他にも妻がいて、子供の一人や二人いたとしてもおかしくないだろう」
「でも、何か嫌だ」
道理としては理解できる。だが、加津沙の立場や感情を抜きにしても、聖子は何となく不愉快な気持ちになった。特に男女間のことに不慣れで融通が利かない彼女にとっては、他に女性がいただけでも生理的に受け付けず、裏切り行為のように感じられたのだ。
そんな聖子の心情を察知した和久は、仕方ないと苦笑いを浮かべる。

「戦に負け、当主と兵力を一気に失った瀧澤勢は、周辺国の侵略や敵の追い討ちを恐れて、ここを本来の風守の隠れ里に戻し、外部からの侵入を遮断した。それから数百年の間、瀧澤家はその中でひっそりと系図を繋いできたんだ」


遺髪を元に戻し、棺の蓋を閉めると、二人はその場を後にした。
やはり昨日と同じように、扉を閉めた途端に纏わり付いていた気配はなくなり、漂っていた冷気も消えた。
中にいて決して気持ちのよい場所ではないが、なぜかもう二度とここに来ることはないような気がして、聖子は扉の前で静かに手を合わせた。
「そろそろ戻ろう。日が暮れると厄介だ」
和久にそう促された彼女は、後ろ髪を引かれる思いで廊下を進み、地上と戻ってきた。
外に出るとすでに日は傾き、夕日が辺りを赤く染めていた。

「明後日からしばらく、身動きが取れなくなる。その間に何かあれば、関口に伝えてくれ」
「何か直接会えない理由でもあるの?」
聖子の問いかけに、彼は暫く押し黙ったまま、逆光になっている背後の山を見据えた。そして厳しい表情で一言だけ、こう答えた。

「5日後に…また新月がくる」




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