彼女の身体を拭い、自分も事後処理を済ませた和久は、腕の中で眠る聖子を抱き上げて、人気のない廊下に出た。 気がつけばすでに時刻は夜となり、あたりは闇に閉ざされている。 遠目に見える本宅が、門燈や常夜灯の淡い明かりで、微かに浮かび上がっているのが目に入った。 そしてその向こうには、ここからでははっきりと識別できない闇の中に地下への入口があり、そこに一般には知られていない霊廟が存在する。 「あなたがたは一体何を信じ、何を私に伝えようとしたのか」 彼は窓の向こうの景色に向かってそう呟いた。 眠り込んだ聖子を、和久は自室に運びこんだ。 聖子が着てきた制服や下着は見るも無残な状態で、再び着せることはできない有様だ。とりあえず室内にあった自分のシャツを着せ掛けた和久は、そのまま彼女を寝室のベッドへと寝かせることにした。 部屋に入る時、点けた照明を嫌うように小さく唸って目元を手で隠した聖子だったが、目を覚ます気配はなかった。 しかし彼のベッドに横たえられた途端、突然彼女がぱちりと目を開けたのだ。 「どうした?」 緩慢な動きは半ば眠ったような状態なのか、聖子はゆっくりと身体を起こした。しかし、彼の問いかけに応じる様子はない。不審に思った和久が顔をのぞきこむと、果たしてそこにあったのは、疲労困憊しながらも満たされた、先ほどまでとはまるで別人の、彼女の冷たく硬い表情だった。 それを見た彼は、思わずこう呼びかけた。 「もしや、巫女姫か?」 『…いかにも』 少し間を置いて返ってきたのは、声色こそ彼女のものだが、平素の聖子とは似ても似つかない口調だ。 巫女がこのタイミングで現れたことに驚きを感じながらも、和久は自分の中の疑問を彼女にぶつけるべきかどうかを迷った。 『瀧澤の末よ、せっかくこの娘と懇ろになったというのに、冴えぬ顔をしておるな。もっと嬉しそうにせぬか。それとも何か、期待はずれであったか?』 そう巫女に揶揄されて、思わぬ攻撃に和久は苦笑いを浮かべた。 「いえ、そんなことはないですが。ただ、少し…」 言いよどんだ彼に、巫女は意外とばかりに眉を顰めた。 『ほほぅ、何か至らないことでもあったのか』 「いえ、そういうわけではありません」 そう言ったきり黙りこんだ和久に、巫女がたたみかけてくる。 『一つ聞こう。そなた、この娘に…私に一体何を求めておった?』 「それは…」 『この娘の持つ記憶は、すでにそなたも見たであろう。目合いの間に齎されたものに偽りはない。どんな力の持ち主でも、あのような場で嘘をつくことなどできはせぬからな。我ら、古の頃から今まで、それだけは何だ変わりない』 「ですが、私が受け継いできたものと、彼女が持つものが…少し違うのです」 『違う?』 「はい。私の先祖たちは、こう考えていました…」 彼の話を聞いた巫女は、信じられないと言わんばかりに首を竦めた。 『解せぬな。私はそのようなことはしてはおらぬぞ』 それは聖子の、そして古の巫女の記憶を読んだ和久にも分かっていた。だからこそ困惑したのだ。 「ですが、実際に、私の先祖たちはこれを巫女姫の呪いであると言い伝えてきました。そしてその怒りを鎮めるためには、屋敷が攻め落とされた際に祠から持ち出された珠を…所在の分からない、蒼焔の巫女の珠玉を聖域に納めることが必要だとも」 『だが、私はそのようなことは…瀧澤を呪うようなことはしておらぬ。ましてや、珠玉の行方など知りようもない。 確かにあの時、屋敷が焼けると同時に、祠も崩れ落ちた。だが、私は珠玉には触れてはおらぬ』 「ですが」 『聞け、瀧澤の末よ。あの珠玉は確かにこの村にとって…殊、風守の巫女にとっては大事な宝玉。だが、それは珠があの岩屋の祠にあってこそ。 あの珠はあの場所で村の衆の力を吸い上げ、術の力を高めるために必要なものなのじゃ。珠玉を取り返したからといって、ただ人が何をできるようになるという類ものではない。なのに何の理由があって、そなた達の祖は代々そんなことを言い伝えてきたのか』 それを聞いた和久は一瞬言葉を失った。 確かに珠玉の在り処を巫女の転生から聞き出し、それを元あった場所に戻すことで、謀殺された巫女の怒りを鎮められると言い伝えられてはいる。だが、それ自体にどういった意味があるのかまでは、彼も知らなかった。 それに、この蒼焔の巫女の口ぶりでは、瀧澤家を恨み、災いを齎したといわれる彼女自身も、何のことだか訳が分からないと言わんばかりではないか。 『こう考えてはどうだ?もしやそれは何か、その行為自体の裏に隠された、別の意味があるのではないか?それを知るために、転生した巫女の力が…今はこの娘の力が必要なのでは、と』 「それはどのような…」 『そんなことを私に問うても分からぬわ。だが、これだけは言える。この娘の存在なくしては、そなた達は救われぬのであろう。そして再びこの地に戻ってきた私は、もう二度とは転生することはない。となると、これがそなた達に与えられた最後の機会になるのではなかろうかと思う』 「最後の?」 『恐らくはな』 巫女は鷹揚に頷いた。 『心して挑め、瀧澤の末よ。その謎を解く鍵となるやもしれぬこの娘を、決して悲しませるでないぞ』 日付が変わるころ、目を覚ました聖子は、自分が見知らぬ場所にいることに気がついた。 「ここは?」 見ると、僅かに開いたドアの向こうから光が漏れてきていた。 ベッドを下り立ち上がった彼女は、自分がとんでもない格好でいることに気がついた。 「やだ私、こんな格好でいるの?」 彼女が身につけているのは、彼のシャツ一枚のみ。ブラジャーはおろか、パンティすらはいていない。 途切れ途切れに残っている記憶の断片をかき集めた聖子は、思わず赤面した。 「うわっ、恥ずかしい…」 そう言えば、応接室で彼に衣服を剥ぎ取られた時に、何度か布地の裂けるような音と感覚があったような気がする。事実、彼が乱暴に引き下ろした下着は、ほとんど残骸と化していた。 照明を落とした部屋の、クローゼットの扉に取り取り付けられた鏡にぼんやり写った自分を見た聖子は、思わず小さく笑った。 「あんなことがあったのに…見た目って変わらないものね。当たり前のことだけれど」 劇的な変化など外見からは分からない。だが、彼女の内側では確実に何かが変わった。 他人の思考を読み取るだけでなく、自らの心の内を誰かと分かつことができる日がくるなんて、思ってもみなかった。実際、あの地下の霊廟で、和久の先祖だという男に教えられた時にも、まだ半信半疑だったのだ。 「経験がなかったんだから仕方がないわよね」 あの時、喬久は彼女の耳元でこう囁いたのだ。 『男と同衾して、それを身の内に迎え入れた時、そなたは自分の心を、その相手と分け合うことになるであろう』と。 皮肉なことだが、今までそんなことをしたいと思ったことはなかったし、する機会もなかった。それは偏に自分が他人に触れることを拒んでいたからだ。 まさか身体を重ねた相手が、自分と同じ状況になるとは考えつかなかったのだ。 だが、今思えば、彼だからできたことかもしれない。もしもこういうことに不慣れな男性が相手だであったなら、行為の途中で流れ込んでくる他人の記憶に、たちまち混乱してしまうのがオチだという可能性もあった。 暫く鏡の前でそんなことを考え込んでいた聖子だったが、やはり何もつけていない下半身がスカスカして気になった。 「とりあえず、彼を探して下着だけでも何とかしないとね」 隣室の明かりを頼りに隣の部屋をのぞくと、そこにはデスクに向かう和久の姿があった。 すでにシャワーを浴びたのか、湿った髪の毛を後ろに撫で付け、パイル地のバスローブを羽織った格好で、何かの書類に目を通している。 ドアを開けて顔をのぞかせた聖子に気付いた彼は、机に向かったまま、彼女に手招きをした。 「ダメ。入れません」 「なぜだ?」 「だって…」 煌々と明かりが点されている部屋に入るには、あまりに卑猥でみっともない格好だ。丈の長い彼のシャツでお尻の下まで隠れてはいるが、その下には何も身につけていないのだから。 ドアの影からなかなか動こうとしない聖子に痺れを切らした和久は、立ち上がると自分から彼女の方に向かって歩き出した。 「いいから、来ないでください」 慌ててドアの向こうに飛び退けようとした聖子だったが、それよりも一瞬早く彼の腕が彼女を捕らえる。 「どうしたんだ?」 見れば、彼女は暗がりでも分かるほど、顔を真っ赤にしていた。 「恥ずかしいんです。こんな格好だから…」 全身を舐めるような彼の視線が、彼女の頭の先から足の先までを伝っていく。 「と、とにかく、私の下着、返してください。破れてても汚れててもいいですから」 「ダメだ」 「ダメって…どういうこと?」 「あれは、もう使い物にならないから廃棄した。明日の朝までに新しいものが届くはずだ」 「廃棄って、勝手に捨てたんですか?」 「言っただろう、一見して使い物にならないと分かったからな」 「そんな。大体代わりが届くのが明日の朝って…それまで私にどうしろというんですか?」 「そのままでいるしかないな」 「ご冗談を」 「心配しなくても、さっき言っただろう?次はベッドだ。それに、寝るだけなら朝までそんなものは必要ない。ほら、ベッドに戻るぞ」 「次って、朝までって…」 ぶつぶつ言いながら抵抗する聖子を掬い上げるように抱かかえると、和久はさっさと寝室に戻っていく。 「放してください、下ろして」 暴れる彼女を無理やりベッドに入れると、彼もローブを脱いでその横に滑りこんだ。 「私、帰ります」 「そのままでか?」 「仕方がないでしょう?あなたがあんなことするから」 「いいからここで大人しく休め。でなければ、起き上がれなくなるまで襲うぞ」 冗談と思えない言葉に、聖子は顔色を変えてベッドの端まで転がって逃げた。 それを見た和久は思わず哄笑する。 「安心しろ。経験の浅い女相手に無茶なことはしない。分かったら、黙ってここで眠るんだ」 「何もしません?」 「もう今夜はな」 「絶対?」 「ああ」 「きっとですよ」 「分かったからもう寝ろ。これ以上ぶつぶつ言うなら、その口を塞ぐぞ」 何だかんだ言っても疲れきっていた聖子は、すぐにベッドの端で寝息を立て始める。そんな彼女を真ん中まで引き戻した和久は、そのしなやかな背中を抱きながら巫女の言葉を思い出していた。 『この娘を決して悲しませるでないぞ。心して挑め、瀧澤の末よ…』 HOME |