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蒼き焔の彼方に  37


彼自身に触れなくとも、その欲望の高まりが分かった。
繋いだ指先から、軽く触れた唇から、彼の興奮が彼女の中に流れ込み始める。
一方聖子も、今まで感じたことのない不思議な感覚を持て余していた。
自分の歪んだ力を理解した時から、誰かに触れてみたいなどと思ったこともなかった。
手を繋ぐことも、口づけも、彼女にとっては他人が自分の領域を侵食することに直結すると知っていたからだ。そして、恐らくそれは誰かに身体を許す時、最も顕著に現れるであろうことも、漫然とながら理解していたつもりだった。
だが、実際に彼女がその不安を上回る激情を自分の中に見いだした時、感情がすべての知識を凌駕し、心の抑制を開放しつつあった。

乾いた大地に雨が降り注ぐように、和久の中に眠る記憶で彼女の中が満たされていく。
それは少しずつ時代を上り、やがて彼女の内にいる巫女が知る時間まで遡っていった。
彼を迎える巫女の、喜びの表情に自らもまた幸せを感じ、そしてかの人を残して出立する時の、身を切られるような辛さを嘆く。
それらは決して巫女の側からは分からない、彼女が愛した過去の男の、偽りのない心情だった。
表にこそ現れはしないものの、巫女はさぞかし喜んでいるであろう。自ら選んだ男にありだけの想いを注がれた女の、満ち足りた表情が聖子には羨ましかった。


聖子がひと時の物思いに囚われている間も、和久は緩やかだがしっかりと確かめるように、指先で彼女の顔や首筋をなぞっていく。
他人の手がこれほど自分を熱く駆り立てるなどと考えたこともなかった彼女は、彼の指が新たな場所に触れるたびに息を殺して身悶えた。

「待って」
遂に和久の手が服のボタンに掛かった時、聖子は咄嗟にその腕を押さえる。
気がつけばいつの間にか、二人はソファーからずり落ち、床の絨毯の上でもつれ合っていた。
言われたとおりに手を止め、怪訝そうな顔で自分を見下ろす和久に、彼女はどうしても気がかりだったことを問いかけてみる。
「一つだけ答えて。あなたは誰を見ているの?『記憶』の中にいる古の巫女?それとも今を生きている私?」
彼はふっと息を吐くと、床に肘をついて彼女に覆い被さっていた半身を起した。
「先祖返りが影響するのは確かだ。そう生まれた者は、巫女が生きている間は何としてでもそれを探し出して手に入れようとする。記憶がそう仕向ける。それは偽りのない事実だ。現に私もそうなった」
「ならば聞くけれど、あなたは私を手に入れたとして…他人の記憶を自分の中に受け入れる準備ができているの?」
特殊な能力を持たない瀧澤の人間は、巫女と体を重ねることによってのみ、互いの思考を共有することが可能となる。
「そのことを知っているのか。どこで誰から聞いた?」
「さっき、地下のお墓で。あなたのご先祖を名乗る男から。あなたには側に立っている人が見えなかったみたいだけど」

彼は思い当たることがあったのか、唇を歪めて笑うと、ああと小さく頷いた。
「生憎と私はそういった能力を持ち合わせてはいないものでね。そうだな、正直なところを言えば、どうなるのかはよく分からない。そういった経験がないからな。だが生まれながらに自分以外の人間の記憶を持っていることを何だ不思議に思わないのだから、君の記憶が入り込んでもそれで混乱を起すことはないと思うが」
「自分はそれに耐えられる、という自信があるのね」
「多分」
「それより、さっきの質問の答えは?」
「さっきの答え?私が誰を見ているかというあれかい?」
苦しい体勢のまま、和久は苦笑いしながら彼女を見ている。
「率直に言えば、私が君に惹かれているのは本当だ。自立心が強く、強情で意地っ張り、その上甘え下手なところが、癪に障るのになぜか気になって仕方がない」
これには聖子が苦笑いする番だった。
「褒めているのか貶しているのか良く分からないわね、で、どうなの?」
「今言ったとおりだ。君が欲しい」
「答えになってないと思うけど」
「ならばこれでどうだ?これ以上の答えはないと思うが」
彼は聖子の唇を奪うと、今までより深く口づけた。驚いて抗議しようとすると、今度は開いた口から舌を滑りこませてくる。
始めは抵抗し、もがいていた聖子だったが、気がつけば彼女は自分の腕を逞しい首に回し、自分から彼を引き寄せていた。
「そうだ、それでいい」
和久は淡々と彼女の制服のボタンを外すと、腕から抜いて放り投げる。次にタイトスカートのファスナーを下ろし、足から抜き取る時にスリットが裂けた音がしたが、気にすることなく側のテーブルの上に投げ捨てた。
押さえつけられるようにして次々に着衣を剥ぎ取られ、身動きできない聖子はひたすら彼から流れ込んでくる思考や記憶を読み続けていた。
いつもならば一気になだれ込んでくることで、混乱してパニックを引き起こす事柄が、順序だてて読み込めることで、彼女の中で筋道を立てて見える余裕が生まれていたからだ。

だが、その余裕も彼が彼女の未知なる部分を探り始めた時にどこかに消し飛んだ。
「ね、ちょっと待って」
まだ何かあるのかとでも言いたげに、和久が不満げな表情をする。
「まさか、ここで止めろと言い出すんじゃないだろうね」
その顔を見た聖子は、笑っていいのか、怒るべきなのか、良く分からないまま不安げに彼を見上げた。
「私だってそこまで非情じゃないつもりだけれど。でも、先に言っておくけど、私まだ、その誰とも…」
それを聞いた彼は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐになぜか納得した顔をした。
「そうか、やはり本当だったんだな」
「本当って何が…」
迫ってくる彼の顔を押し退けて、聖子が途切れかけた話を戻そうとするのを、和久は苛立ちを募らせながら半ば諦めたような目で見つめた。
「巫女の生まれ変わりは、その運命の相手にしか身体を許さないという言い伝えだ。今まで誰もその真偽を確かめたものはいなかったがね」

加津沙が言っていたように、幾度も転生したのに一度もここにたどり着けなかったとすれば、この地から離れられなかった過去の瀧澤の当主がそれを確かめることはできなかったはずだ。
当の和久は、今どきの女性である聖子にそれを求めるつもりはなかったが、図らずも彼女の持つ能力が彼以外の者に身体を許すことを阻んだことになる。

不安げに揺れる聖子の眼差しに気付いた彼は、そっとしなやかな身体を抱きしめた。
「あとは私に任せてくれれば…それでいい」


彼との交わりは不思議な体験だった。
本来の行為である身体同士の接合と同時に、二人は互いの精神的な部分までも繋ぎ合わせた。
彼が押し入ってきた場所には、痛みとともに言いようのない充足感が生まれる。
今まで自分に欠けていたものが一気に満たされるような、そんな感覚が内側から押し寄せ、彼女を飲み込んでいった。
彼が腰を煽り、彼女の中に自分を埋め込むたびに、確実にその繋がりは深くなる。それによって刻み込まれる肉体的な快楽よりも、むしろ心の繋がりに聖子は悦びを見いだしていった。


和久が果てた後、自分の横に転がったのを横目で見た聖子は、身体を動かそうとして感じた慣れない痛みに、思わず顔を顰めた。
「無理をしない方がいい」
その言葉を無視して、身体を起こそうとした彼女を、彼の腕が自分の側に引き戻す。
「このままだと背中が痛いのよ。大体、初めてが硬い床の上というのもどうかと思うけれど。これはこれで乙なものなのかしら」
いつものように辛辣な言葉を放ちながらも、聖子は彼の腕の中から逃れようとはしなかった。すでに全てを分け合った相手とは心置きなく触れ合えるという魅力に、彼女自身が抗えなかったからだ。
今までは知らなかった人肌の温もりが、頑なだった彼女の心を少しずつ解していく。
「悪かった。余裕がなかったんだ。次はちゃんと柔らかいベッドで抱いてやる」
「次があればの話でしょう」
鼻を鳴らし、挑むようにそう答えた聖子だったが、肉体的な疲労は本より、他人の思考を読み込むことで受けた精神的な疲労がピークを迎えた彼女の瞼は、すでに落ち始めていた。
「それはまた、後で話をしよう。今はゆっくりとお休み」

ほどなく眠りに落ちた聖子に小さく口づけを落すと、和久は徐にその表情を引き締めた。

「一体、これは…どういうことだ?」




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