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蒼き焔の彼方に  34


「暫くここで休んでいろ」
「でも私まだ仕事中で…」
「その状態で戻っても仕方がないだろう」
会社に戻ると頑固に主張する聖子を、和久は半ば無理やり離れへと連れて来た。
「車はこちらに回しておくから、自分で安全に運転できる自信があるなら、社に戻りたまえ」
痛いところを突かれた聖子は、思わず口をへの字に曲げた。
数年ぶりの車の運転にまだもたもたしている彼女には、平常心の時でさえ自信などというものはないに等しいことを見抜かれているのが、何とも悔しい。

「今日はこっちに関口がいないので、悪いが飲み物が必要なら自分で調達してくれ。キッチンの場所は知っているな。では、私はしばらく向こうのオフィスにいる。また戻ってくるが…何かあったら呼んでくれ」
彼はそう告げると、聖子を残して部屋を出て行った。


「はぁ…」
一人残された彼女はため息と共にがっくりと肩を落とした。
「さっきのは、一体何だったのよ」
思い出しただけで身体に震えが走る。
地上からでは決して分からない、巨大な地下空間。その冷気を纏った場所に、厳かに整然と並ぶ数多くの…棺。
「そういえば、あの中にいた人…」
和久は、自分の父親だと言った。彼女もちらりと見ただけだが、初老の男性に思えた。まるで生きているように、朽ちることなく保たれた遺体。見た目の違いといえば、肌が薄く白蝋化していることくらいか。
それくらい状態は良く、あの暗がりで一目見ただけでは死体だといわれなければ、そうだと分からないかもしれない。

そして彼女の目の前に現れた男。あれが以前サダに聞いたことのある瀧澤家の初代当主、喬久だろう。
当然のことながら、数百年の時を経て、現当主の和久とは容姿も言葉遣いも全く異なっている。しかし、唯一つ、二人に共通するのは他を圧倒する威圧感だ。
そこにいるだけで周囲がひれ伏すほどの存在感を示すことのできる人間は世の中にそんなにいるものではない。
生まれがそうさせるのか、それとも環境が彼らをそう作りあげていくのか。


そういえば、あの男が側にいたというのに、彼女の中の「巫女」は表に出てこようとはしなかった。彼の方は聖子の内側に存在する女性に話しかけたい素振りだったが、彼女には、それに応じようという意志を感じられなかった。
「彼女」が聖子の人格を押し退けてまで現れたのは、この離れで和久に怒りを向けたあの時一度きり、それ以降は、鳴りを潜めたように静かだった。
「なぜ何もしようとはしないの?」
今自分が置かれた状況は、理解できない不可解なことが多すぎる。せめて「彼女」が知ることを自分に教えてくれれば、もっと納得できることもあるかもしれないのに。

そう考えた聖子ははっとした。
自分の中にいるもう一人の別の人格。もしかすると、自分は中にいるはずの人格と対峙し、意思を疎通させることができるのだろうか。

今まではそのことを考えることすらできなかった。自分の内側に、自分以外の何者かが潜んでいるなどと、思うだけでも恐ろしかったからだ。
何かを判断するために誰かの手を借りたくはない。例えそれが自分の分身であっても。
いつも自分で考え自らが決断する。
今までそうして生きてきたし、これからも誰かに依存するつもりはまったくない。だが、ここに来て自分ではどうにもならない状況に追い込まれた彼女は、遂に自力の限界を悟った。そして、ようやく自分の中あるものの存在を認め、それと向かい合ってみようという思いに至ったのだ。


意を決した聖子は、ソファーに腰を下ろし、目を閉じて深く息を吸い込むと、自分の内に意識を向けた。
彼女はこの時、生まれて初めて自分の能力を自らの意志で「使う」ことを試みた。これまでは受動的に、あるいは不可抗力で「誘発されて」いた力を自分の内面に向けて解き放ったのだ。
「さあ、どうか出てきて。そして私に力を貸して」



徐々に内面へと沈んでいく意識が、その奥底に小さな光を捉える。

見つけた…。

聖子は、そこでは存在自体がない両手を無意識にかきながら一心に光源を目指した。
『来たのか?』
目の前に漂うように浮かぶ女性は、彼女よりもかなり小柄に思えた。身長158センチと、現代では平均的な体型の聖子よりも二回りは小さく感じる。姿だけを見ればまるで子供のような幼さだ。
だが、巫女の装束を身にまとい、背中に流した踝に触れようかというほどの長く豊かな黒髪、そして紫水晶のような瞳の輝きは、見た目以上に彼女の姿を大きく感じさせた。

『なぜ、わざわざ私を呼んだ?私はそなたの中で忌むべきものではなかったのか?』
そう問いかけた加津沙は無表情で、彼女見据えたまま微動だにしない。
「教えて欲しいから。あなたが知ることのすべてを」
聖子はただ素直に、自分の心が欲するままに、目の前に立つ「もう一人の自分」に教えを乞うた。
『今更、過ぎたことを知って何になる?私は遠き昔の幻影でしかないのだぞ』
「でも、あなたには、彼を…いえ、瀧澤の人たちを救う力があると、彼らは信じています。彼らは未だあなたを畏れると同時に敬ってもいる。でも今の私は、あなたの現し身でありながら、縋りつき、助けを求めてる彼らをどうすることもできない。
お願い教えて下さい。あなたは一体なぜ今世に生きる私の中に存在するのか、そして私はここで何をすれば良いのか」

それを聞いた巫女は小さく息を吐き出すと、物憂げな表情を浮かべた。
『長くなるぞ』
「はい、それでも…」

『…物好きな』
そう言うと、彼女は静かに語り始めた。
彼女が知る、風守の一族と瀧澤家の宿世の結びつきの始まりと、そしてこの地の因果を。




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