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蒼き焔の彼方に  35


『ここは、昔から外との交わりを嫌う、閉ざされた村だった。私の親たちも、その親たちも、またその親たちも村の出で、あたりに住む者は親類縁者ばかり。だから年の近い子供たちは皆、兄弟のように育てられた』
加津沙はそう言うと、懐かしそうに目を細めた。
『私と常葉もそうだ。特に常葉は生まれる前に父親を亡くしたと聞いていたし、戻りの風であった母も幼い頃に鬼籍に入った。他に身寄りがなかった常葉は、遠縁であった私の両親に引き取られ、私たちは姉妹同然に育ったのだ』

常葉は父親が風守の一族ではないにも関らず、生まれながらに強い術力を持っていた。
しかしその強さが災いして、成長するにしたがって同じく強大な力を備えていた加津沙と、巫女の座を争うことになってしまう。
『私は…どちらでも良かったのだ。否、むしろ常葉がそうなってくれればと心の中では願っていた』
「なぜ、どうしてですか?あなたは村の中で一番の術の使い手だったと伝わっていますが…」
聖子の素朴な疑問を聞いた加津沙は、皮肉っぽく唇を歪めて笑った。
『確かに。だが、私が得意としたのは先を読む術。民の力を集め、それによって村を守るために戦うには、もっと強い呪術の力が必要だった。そして常葉には…その力があった』
村人の大方は、両親共に村の出である加津沙を次の巫女にと望んだが、中には常葉を推す者もいて、村人の和は少しずつ乱れ始めていた。

『そんな時だった。常葉が突然行方知れずになったのは』
ある日、常葉は村から忽然と姿を消した。
加津沙は懸命に探したが、誰も行き先を聞いておらず、人々は身寄りの無い彼女が村を出奔したと決め付けた。中には権力争いで身の危険を感じて逃げたのではないかという者もいたが、月日が経ち、そんな噂も聞かれなくなると、次第に常葉の存在も忘れられていった。

常葉が村を出たことで、結果として残された加津沙は巫女となり、数年が過ぎた頃。
突如、外から村に大軍が押し寄せてきたのだ。
「伝説では、その軍を手引きしたのは常葉だったと…」
それを聞いた加津沙は、かっと目を見開いて大きく首を振った。
『それは違う』
「でも…」
思わぬ反応に、聖子は驚きの表情を浮かべた。
『手引きしたのは常葉の父親。あれはただ謀られていただけだ』
常葉の父親は生きていた。そして娘の力を使って風の道を探し出し、その情報を瀧澤に漏らした。それをたどってこの地に攻め込んできたのが瀧澤の祖、喬久だったのだ。

戦うための武器を持たない風守の民が侵略者に屈した時、その和睦の印にと敵に差し出されたのが一族の象徴であり巫女でもある加津沙だった。
結果として瀧澤の支配を受け入れるが、風守の民が今までと同じように、ひっそりとこの地に暮らし続けることを保証する。その担保が喬久と加津沙の間に生されるであろう子供だった。
子は表で瀧澤の名を継ぎ、内で風守の力を継ぐ。
それが、何とか風守の一族の力を後の世代に残そうとした加津沙が選んだ苦渋の決断だった。

『だがな、私とて嫌いな男に泣く泣く操を売り渡したわけではない』
加津沙はそう言うと、少しだけ頬を緩ませた。
『瀧澤の主は…喬久殿はお優しくて誠実な殿方だった。実直で裏表のない、穏やかな人柄のお方。巫女である前に、私も一人の女子。私が…あの方をお慕いしていたのは本当のこと』
だが、その平穏な関係が脆くも崩れたのは、図らずも加津沙が喬久の子を身ごもった直後だった。

喬久をはじめとする瀧澤家の者たちは、暫く前から度重なる戦に駆り出されていた。それに伴い、新たに領民となった風守の術の使い手も幾人か、半ば強制的に従軍させられることになった。
村には僅かな人数の瀧澤の兵が残されたが、戦はこう着状態でなかなか終息する気配がなく、次第に村人が不安を募らせていた矢先のことだった。
『瀧澤の者たちが、次々と村の男たちを戦に駆り出し始めたのだ。むろん、我らは抵抗した。元々風守の民は戦には不向きな者たちが多い。下手にそんな所に赴けば命がなくなるのは目に見えていた』
だが、その後も瀧澤は徴兵を繰り返し、多くの男手が戦場に送られた。そして村には女子供、それに年寄りだけが残されたのだ。

なかなか終わらない戦。一人も帰ってこない村の男たち。税は重くなり、働き手を失った村は疲弊した。
そしてついに、残された風守の民たちは、抑圧に耐えられなくなり蜂起した。
風守の民は武器を持たない代わりにその能力で抗った。兵たちを村の外に追いやり、術により惑わせてここから追い払おうと試みた。だが力では叶うわけもなく、女子供や年寄りに至るまで、抵抗した村人は瀧澤兵によって容赦なく粛清され、混乱が収まった時には村の人口はほぼ半数にまで減っていた。

『瀧澤は…喬久殿は、風守の民には決して刃は向けぬと、そう誓って下さった。だが、結局その約は守られなかった』

この機に乗じて、加津沙のいた屋敷も瀧澤兵に攻め込まれ、子を産んだ直後の彼女も命を絶たれた。村人の蜂起に加担したという罪状により、加津沙もまた粛清の対象とされたためである。
だが、そもそもこの騒乱自体が瀧澤に縁のあるものによって仕組まれたものだという説がある。主の寵愛が深かった加津沙の産んだ子供に瀧澤の家督がすべて移ってしまうことを危惧した本領の郎党たちが、喬久が不在のうちに彼女と子供を亡き者にしようと、一部の風守の民を煽り、蜂起を仕向けたのだと。
この騒乱の中、自分たちを屠る瀧澤を恨みながら命を落とした加津沙が、今際の際にかけたのが巫女の呪いだと、和久たち子孫は信じている。

「それで子々孫々、今に至るまで、あなたは彼らを呪い続けているのですか?」
だが、聖子の問いに返ってきた巫女の答えは意外なものだった。

『否。私はこの地に…瀧澤の者たちには誰一人、呪いなどをかけた覚えはない』




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