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蒼き焔の彼方に  33


『恐れずともよい、我は古の…そなたの中の女子を娶りし者』
「も、もしかして、あなたが瀧澤の…?」
目の前に立つ男は表情を変えることなく、鷹揚に頷いた。
『いかにも。我はこの地に根付きし一族の始祖でもある』

俄かには信じがたいことだが、不思議と聖子にはそれが真実だと確信できた。
数百年も時を経てなお、魂はここに留まっている、瀧澤家最初の当主。和久の先祖にあたる人物だ。
『遥か悠久の時を越えて、この地に戻ってきたそなたを、我ら一族はどれほど待ちわびていたことか。これでようやく我らの苦難の歴史は終わる』
「ち、ちょっと待って」
聖子は慌てて大げさに両手を振った。
「私には何の話しか、皆目見当がつかないんですが…」

『そなたの中に潜む巫女の記憶を辿り、その力をもってすれば、我らが欲するものを取り戻すことができるのだ』
「取り戻すって…一体何のこと?」
本心から困惑していることを見て取った男は、差し出した手で軽く彼女の頬を撫でた。質感のない指先から伝わる冷気に、聖子は思わず身震いする。

『加津沙よ。そなたも酷なことを。この期に及んでなお、この娘には何も伝えてはおらぬのか』
男の指がゆっくりと首筋をなぞり、ブラウス越しに鎖骨の窪みにまで達すると、同時に纏った冷気も徐々に下がり、身体を伝っていく。
「や、止めてくださいっ。記憶だの力だの、そんなもの、私は知りません」
彼女が取り乱した様子で後ずさりするのを見た男は、薄く笑いながら目を細めた。

『我が望みは、そなたの中にある古の記憶。それが詳らかになれば、我らはここから解き放たれる』

「私の中の…埋もれた記憶を探り出せと?」
だが、例え聖子の特殊能力であるエンパスを用いたとしても、自分が相手に同化することはできるが、相手に自分の内側を読ませることはできない。ましてや、それが今の自分の体験に基づかない、本当にあるかどうかも分からないような古い過去の記憶を取り出すことなど、尚更困難なことに思える。
「でも、そんなこと、できっこありません。現に手段がないし…」
『その術はある。ただし、たった一つだけだ。それは…』
聖子の逡巡を見て取った男は、実態のない体をずいと寄せると、彼女の耳元で何事かを囁いた。
『……』
「む、無理です。そんなこと、とてもできない…」
彼女が顔を赤く染めながら、困惑の表情を浮かべて強く否定したその時だった。

「そこに誰かいるのか?東君?聖子君か?」
遠くから響いてきた聞き覚えのある声に、思わず彼女は上ずった声で助けを求めて叫んだ。
「います。ここにいますから。早く来てください。お願い、助けて」



声の主、和久は霊廟の中に駆け込んでくると、腰が抜けてその場に座り込んでいる聖子を怪訝そうな顔で見下ろした。
「何で君がこんなところに?どうやってここに入った?」
和久には、彼女の側に立っている男の姿が見えていないのか、そちらに注意を払う気配はまったくない。
「そ、そんなことより、お願いですから早く立たせてください。腰が抜けてしまって…」
彼女の懇願を無視して、彼は注意深く周囲の様子を見回した。そして一番端に安置された棺の蓋がずれているのに目を留めると、床にへたりこんだ彼女に厳しい視線を向けた。
「見たのか?あれを」
中にあったものを思い出した聖子は、震えながら頷いた。
「…そうか」

和久はただ一言そう言うと、後は無言でその棺に歩み寄り、開いた蓋の間から暫く中を見つめていた。それからふっと小さく息を吐き出しながらゆっくりと、ずれていた蓋を元の位置に直す。
そして再び彼女の側まで戻って来ると、ようやくもの問いたげな聖子に向かって手を差し伸べてきた。
「あの、それ…いえ、その方は?」
「あれは…先代当主。私の父だ」
「えっ?」
それを聞いた聖子は、信じられないという表情で、思わず出しかけた手を引っ込めた。
先代の瀧澤社長、彼の父親は確か数年前に亡くなったと聞いている。
だが、彼女が一瞬だけ見たその姿は、まるで生きている人間がただそこで眠っているようだった。

「でも…」
「話は後だ。とにかく、早くここから出た方が良いだろう」
それには彼女も、一も二もなく同意した。一刻も早くこんなところから脱出しないと、本当に神経が参ってしまいそうだ。相変わらず彼女の側では、瀧澤の始祖を名乗る男が仁王立ちで、二人のやり取りを見つめている。

和久に抱えあげてもらい何とか立ちあがったが聖子だが、膝が笑って歩くどころではない。そこで彼女は仕方なく、恥を忍んで身体を支えてくれるよう彼に頼んだ。
「何だったら抱いて行こうか?」
「いえ、そこまでは」
足を震わせながらも強がってそう答えた聖子に、和久は苦笑いしながら小さく肩を竦めた。


「少しここで待っていてくれないか」
和久は彼女を廊下の端まで連れて行くと、自分ひとりだけ来た道を戻った。壁にもたれて見ていると、彼は霊廟の入口を、一人黙々と元のように厳重に封じていく。

それと同時に、辺りを漂っていた薄い煙が幾重にも連なり帯のようになって、扉の隙間から霊廟の中へと流れ込んでいくのが見えた。
そして今まさに扉が閉じられようかというその刹那、聖子の耳元で、男が囁く声がはっきりと聞こえたのだ。

『我らをここから解き放ってくれる時をまっておるぞ。蒼焔の巫女、我が心の便(よすが)よ』

驚いた聖子は急いで辺りを見回したが、先ほどまで側にいたはずの男の姿はすでにどこにも見えなかった。




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