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蒼き焔の彼方に  32


外部から地下の書類庫に行くための方法は2つある。
一つは以前に聖子が宿泊した離れから回廊を通って本宅に行き、そこから外に出るルート。
もう一つは、瀧澤の本宅のゲートをくぐって、直接地下の倉庫に行くルートだ。

もちろん、今回は直接倉庫に行くルートを選んだ。遠回りして離れに寄り、和久に頼んで回廊の出入り口に付いているセキュリティーロックを解除してもらうより、自分が直に赴いて倉庫の入口で暗証番号を打ち込んだほうが効率的だからだ。
「それに、わざわざ顔を見る必要もないでしょうからね」
誰の、とは言わずと知れた和久のことだ。

佳奈にはああ言われたものの、聖子は相変わらず彼を避けていた。
彼に会いたくないというより、彼に会うと自分の中で何かが起こりそうな気がして、それが怖かったからだ。
彼女は普通の女の子が体験する思春期の恋を素通りした。中学生になった頃には、すでに自分が周囲に及ぼす悪影響を身に沁みて感じていたせいで、どうしても必要以上に他人と密接な関係を作れなかった。そして成人してからも特に異性と密に接することほとんどなく、恋愛という甘やかな感情には無縁の生活を送っていた。
そんな状況で、誰が見ても極上クラスと認めるほどの男性が自分に近づいてきたのだ。それが興味本位であれ何であれ、彼女には彼のアプローチにどう対応してよいのかが分からなかった。

決して嫌というわけではないのだけれど。
最初の頃、鼻についていた強引さや傲慢さも、彼の立場ならばいたし方がないと今なら理解できる。
優しいだけでは人の上には立てない。

だが彼の側にいると、どうしてか必要以上に反発して強がる自分の言動を持て余してしまうのだ。
それが果たして自分の本当の気持ちなのか、それとも彼女の中に存在する別の誰かの感情に引きずられているだけなのかが認識できなかった。そして彼もまた、彼女自身を見てくれているのかそれとも中にいる人物を投射しているだけなのかをはっきりと掴めないところがもどかしい。
「別にいいんだけどね、どっちにしても私には関係のない話しだし」
自分でも強がりだと分かっている言葉に、聖子は思わず苦笑いした。



会社を出るときに予め教えられたとおりの手順でロックを解除すると、古めかしい造りの本宅の門をくぐる。
そして玄関脇の空きスペースに駐車してから車のドアを開けた。

「…っ」
自分を取巻く空気の変化を感じ取った途端に背中にぞくりと悪寒が走り、手足が冷たくなる。
「どうしたのかしら?さっきまで何ともなかったのに」
それでも何とか車から降りると、何度も小さく首をかしげる。そして書類を持ち帰るために用意したダンボール箱を手に、倉庫の入口へと向かった彼女だったが、そこに近づけば近づくほど身体が動かなくなっていくように感じられた。
入口までたどりつき、暗証番号を打ち込む手を持ち上げるだけで一仕事だった。何とかカバーを外し、やっとの思いでロックを解除したところで、ついに聖子は持っていた箱とカバンを放り出し、地面に座り込んだ。
「何なの?これは…」
全身が鉛でコーティングされたように重い。

「もう無理。ここから先は進めない」
いくら仕事とはいえ、ここは何かがおかしい。車に戻った方がよいのではないか。

そう思った聖子は、すぐさまその場から引き返そうと立ち上がったが時既に遅し、彼女の身体はその意志に逆らって、開いた重い金属製の扉からつんのめるようにして中引き込まれた。
「えっ?もう、一体何なのよ?」
そこからは、腰を引いて抵抗しつつも、何かに絡め取られているかのように彼女はどんどん中へと進んでいった。及び腰で機械的にぎくしゃく歩くその姿は、まるで下手な使い手に手繰られる人形か何かのようだ。
逃げ出そうにも手足の自由は全く利かず、彼女はただ何かに引き寄せられるようにひたすら奥へ奥へと誘われていく。

声を上げて助けを呼ぼうにも、ここからでは誰にも聞こえないことに気付いた聖子の背中に冷たい汗が流れた。
ふと、先日佳奈が漏らした言葉が頭を過ぎる。
『気をつけてね。一人では絶対にあそこには近づかないで』
仕事をする以上は、そんなことも言っていられないと強がって来てはみたものの、この異様な感覚は尋常ではなかった。

「どこまで連れて行くつもり?」
倉庫や書類庫のプレートが付いた扉を素通りしながら、聖子は首を傾げた。
もう見える範囲に部屋に入るドアらしきものはない。
あとは行き止まりなっている廊下を曲がった突き当たりに格子状の模様の壁があるだけだ。
と、その前まで来ると、彼女の足は急に立ち止まった。身体だけがつんのめるように前にでそうになりながら、彼女は思わず自分の前のそびえるものに目を見張った。

「これは…?」
遠目には平らに見えたそれは、壁ではなく巨大な扉だった。前面には鉄格子がはまっており、ちょうど映画で見たことのある銀行の地下金庫のようになっている。
恐る恐る彼女が取っ手に触れると、持ってきた鍵では開かないはずの扉が中へと押し込まれる。いや、そもそも鍵など最初から掛かっていなかったかのように、自然に内側に引き込まれていったのだ。
そして格子の中にあった自分の力では扱うことは到底不可能だと思えるようなハンドルに手をかけると、彼女は軽々とそれを回した。回転させたというよりも、彼女は手を添えていただけで、ハンドルの方が勝手に回ったような感じだ。
「あ、開いた」

重い金属音があたりに響き、扉の閂が外れるのが分かった。
そして彼女の背丈の倍はあろうかという巨大な金属の扉が軋みながら両側に大きく開いたのだ。

恐る恐るのそくと、中は廊下よりもまた一段と暗かった。暗がりに目が慣れるまで暫く掛かったが、目を凝らすとそこには通路を挟んで両側に夥しい数の大きな箱が整然と置かれているのが見えた。
彫り込んだ装飾の入ったものから漆のような光沢や金箔の貼られたもの、多種多様な箱は、しかしある一定の間隔を開けて、同じ方向に向かって並べられていた。
「何が入っているのかしら?」
好奇心に負けた聖子は、思わず一番手前に置いてあった箱へと近づいた。
檜だろうか、未だ芳しい木の香りが立ち上る箱の上は留められてはおらず、手を添えて軽く押しただけで乗せられた蓋は簡単に動いた。
蓋を少しだけずらして中をのぞいた聖子は思わず悲鳴を上げてその場から飛び退いた。
「ひいっ…」
そこにあったのは紛れもなく「人」、それもまだ生きているかのようにきれいな姿を残したままの人間だったからだ。奥までずらりと並ぶ箱を横目でちらりと見た聖子は震え上がった。
「まさか、これ全部お棺なの?一体何でこんなところに、こんなものがあるのよ」
立ち上がろうにも腰が抜けて足が立たなかった彼女は、尻餅をついたまま床を後ずさった。
と、何かが軽く背中に触れたような気がした。
震えながらゆっくりと振り返ると、そこには見たこともないような装束に身を包んだ一人の男の姿があった。
聖子は咄嗟に助けを求めて藁にも縋る思いで手を延ばしたが、あろうことか彼女の指先はその男性の体をすり抜けたのだ。
「あ、あなたは?」
それを見て震える彼女に、彼は静かに微笑みかける。

『この時を待っていたぞ。我を…我らが一族を長きにわたる苦しみから解き放つ、巫女の力を内に宿しし者よ』




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