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蒼き焔の彼方に  27


シールドを張ることなく、直接触れた和久の思考に飲み込まれそうになった聖子は、自ら閉ざした意識の中でその膨大な記憶の波に翻弄され続けていた。
今まで何度か経験したことのある他人の思考、―その大半が悪意であった―の流入とは違い、彼から受け取ったもののほとんどは過去の記録、それも古の時代から連綿と受け継がれてきた彼の一族の記憶であり、それらは彼女にとってはまったく未知なるものであるはずだった。

しかし、彼女の中に存在する「別の誰か」はその全部、あるいは一部を共有していて、その事柄を精査するように反芻しながら、一つ一つを紐解いていこうとする。
聖子は今まで自分の中に別の人格が存在するなどと、考えたことがなかった。
ただ、自分は人とは違う感覚を持っていることは十二分に理解しているつもりだったので、「どこかで見たことがある」とか、「何となく知っている」といった類の違和感はすべてそれを理由に、半ばこじつけるように片付けていたことは事実だ。
だが、今思えば、もしかしたらそれらのデジャビュは自分の中に潜んでいた別人格が起こしたものだったのかもしれない。
そう考えれば考えるほど、彼女は更に自分が怖くなった。
他人に思考を乗っ取られることの恐ろしさを、身をもって知っている彼女には、自分の意思に反して身体を勝手にされているという感覚が不快だった。だが、自分と別の人格とを自身の意志で遮断することができない状態ではお手上げといわざるを得ず、それに甘んじているしかないことがジレンマだ。

しかし、「自分の中の彼女」は一体何者なのだろうか。

和久は「巫女姫」と呼んだが、むろん今の聖子には身に覚えのない呼称だ。
特異な力は持っていても、転生などということにはまったく無縁だった自分が、どういう因縁でこの場にいるのかなど、考えたくもないことだ。
ましてや、その「巫女姫」は和久に身を委ねるなどという、とんでもないことを彼女にさせようとした。それがどんな結果を引き起こすのかを身をもってしっている聖子は、迂闊に他人に触られることさえも恐れていたというのに。

だが、もしもあの時聖子が流れ込んでくる意識にパニックを起さなかったとしたら、彼女は間違いなく和久に抱かれていただろう。そこには認めたくはないが、「巫女である彼女の差し金」だけではないものが確かに存在した。
それは誰かに頼りたいという、決して人には見せたくない自分の弱さだ。
幼い頃から自分以外の人間を信用することができなかった聖子が、大事な友人である佳奈を失いかけるという局面に立ったとき、側にいて縋れそうな人物は和久しかいなかった。
いくら苦労続きで実年齢よりも老成した感があるとはいえ、彼女も一人の若い女性だ。頼りなくぐらつく気持ちを誰かに支えてもらいたいと思わないはずはない。だからすぐ側にあった、彼の存在に慰めと助けを求めそうになったのだ。
でも、結果としてそれは叶わなかった。
今までも散々思い知らされてきたことだが、今回ばかりはそれを幸いだったと思わなくてはいけないのかもしれない。
聖子は心の中でそんな自分を戒めるように嘲笑する。

どこか懐かしくて、どこにいても異邦人のようだった私を受け入れてくれそうな場所。
きっとこの雰囲気が私を弱くしてしまっている。
それに佳奈のことで動転して、自分を見失いそうになっていただけ。
ここに来てからの私はどうかしている。だって誰かに縋りたいなんて女々しい感情は…とっくの昔に捨てたはずなのだから。



そのまましばらくは、「巫女」にされるに任せていた聖子だったが、その行程がじれったく、また神経に障りそうなくらいにもどかしい。
何とかそれらと自分を切り離すことはできないものかと抵抗を試みるも、自分の中の人物はそう簡単には彼女を開放してくれそうにない。
こうして仕方なく嫌々付き合っていくうちに、ふと触れたある出来事が、彼女の心に疑問を芽生えさせた。


これは…なぜなのだろう…?

ただ一つ、聖子自身が彼の記憶の中で共有できたのは、以前彼女が「聖域」で老巨木から見せられたものだった。
視点は違えども、場所や周囲の状況、そして出てくる人物の姿かたちは同じように思える。
だが、その両者の何かがしっくりと収まらなかった。

どうして?

確かに、それぞれの立場の違いでものの見え方が変わってくることがあるのは否めない。ましてや彼女が「見て」いるのは、個人の中に蓄積された記憶。そのほとんどが間違いなく持ち主の主観に左右されるし、むしろ感覚の部分までを客観的に分析できる人間がいたとしたら、その方が珍しいだろう。
だが、ともすれば感情的になり、物事の本質を見極められなくなる当事者たちとは違い、聖子はまったく先入観のない状態で、同じ出来事を二通りの解釈で辿ってみた。
すると、どうしても感覚的にズレが生じると感じることが出てきたのだ。

この違和感はどこからくるのだろう?

加えて、彼女が老木から受け取ったメッセージはそれだけではなかった。そこには、彼女が知っていて、彼の記憶から欠落している出来事が存在するという決定的な違いも含まれていたのだ。


その時、彼女の中の別人格である「巫女」が何かを探し当てたのを感じた。そしてそれに納得したのか、突然彼女を自由にしたのだ。
支配が唐突ならば、開放もまたそうだった。
「勘弁してよ。もう勝手に私を乗っ取らないで」
急に拘束を緩められた反動で、思わず暗闇の深淵に引きずられそうになった聖子は、思考の中でもう一人の人格に向かって悪態をついた。
それを最後に、彼女自身の記憶が完全に途絶えた。そして気がつけば、今までとは違う部屋で、見覚えのないパジャマを着た自分が前後不覚に近い状態で休んでいたというわけだ。

不思議なことに、「彼女」はその時以来、表立っては身体の持ち主である聖子の意志に逆らってまで何かをしようとはしなくなった。一時は力ずくで彼女を動かそうとしたことを考えると、不気味なほどの沈黙と言ってもよいくらいだろう。 ただ、時折自分の意志や感情以外のもの何かに導こうとする力を発するのを感じるようになったのは確かだ。

漠然とした不安は残ったものの、聖子はその出来事に無理やり蓋をして、できるだけ考えないことを決め込んだ。それが一番手っ取り早く自分を落ち着かせる手段に思えたし、それ以外に考えたくなかったというのが正直なところだ。
和久とのことも、あれ以来何かにつけて彼女に接触しようとする彼をできるだけ避けるように気をつけた。
自分が彼を意識することで、中の別の人格を呼び覚まし、結果として気持ちがコントロールできなくなることを恐れたからだ。



あの出来事の後、佳奈は医師たちの予想を覆して危機を脱したばかりか、容態が急速に回復に向かい始めた。
彼女はそれを見届けると、最後まで、和久と向き合うことなく、逃げるようにかの地を後にしたのだった。




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