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蒼き焔の彼方に  26


「ぎゃぁぁぁ…」
突然、腹の底から搾り出すような悲鳴をあげた聖子は、信じられない力で彼を薙ぎ払うと、身体をくの字に曲げてもがき苦しみ始めた。

怯んだ隙に、彼女の上から振り落とされた和久は、一瞬何が起こったのか理解できず、ただ呆然と辺りを見つめた。
二人のいる場所を中心に、まるで部屋の中で嵐が起きたようにものが飛び散っている。窓の強化ガラスには蜘蛛の巣のようなヒビが入り、室内にあった家具や調度品が、吹き飛ばされたかのようにあちこちに散乱していた。

「どうしたんだ?これは一体…」
その間も聖子は断続的に悲鳴をあげ、頭を掻き毟りながら、床を転げ回り続けている。
力任せに自分で引き抜いた長い髪が床の上にとぐろを巻くのを見た和久は、はっと我に返ると再び身体を押さえつけて、自らを更に傷つけようとする彼女の両手を強く拘束した。

「何が起きているの?自分が制御できない。助けて、お願い」
口の端から血を滲ませながら、なおもあがき続ける聖子の目には狂気さえ孕んでいるように見える。
「落ち着け。落ち着くんだ」
「私は知らない。何も分からないの、なのにどうして…助けて」
手足の自由を削がれてなお、流れ込んできた記憶から逃れようと必死で抵抗している彼女は繰り返し和久に助けを求めるが、彼にもどうしてよいのか分からなかった。


「総領?」
その時、本宅での騒ぎに収拾をつけた関口が、和久を呼びに部屋に入ってきた。
「これは…」
関口も一瞬何が起こったのか理解できない様子で、戸口に立ち尽くしたまま目にした室内と二人惨状に呆然としている。
「一体何があったのです?それに彼女のその姿は…」
「今は何も聞くな。それからすぐに別に部屋を用意して、それから医者を呼んでくれ…できれば内密に」
「は、はっ」
和久の冷静な指示が飛ぶと、関口は慌てて踵を返した。

ぐったりとした聖子も徐々に力を使い果たしつつあるのか、彼の下で弱々しくもがきながらも、もうそれを押し退けることはしなかった。
「大丈夫か?」
体力を使い果たしてもなお、自分の意に沿わない動きをしようとする身体に抗うのに精一杯の彼女は、彼の気遣いにただ頷くことで応える。
そして最後に一言こう呟くと、意識を閉ざすとともに、内なるものも自らの奥深くに封じ込めた。

「嫌、私は私なのよ。誰にも勝手はさせない」


その言葉を最後に聖子は動かなくなった。
それを見届けてから、彼女をその場に横たえたまま立ち上がった和久は、いつものように冷静になって自分たちの姿を見るなり思わず唸り声をあげた。
「これはさすがに、関口が驚いたはずだな…」
彼が目を剥いたわけがやっと分かった。
どうしてそんなことになったのか分からないが、二人とも着衣は裂けてしまい、そこら中に衣服の残骸が散らばっているような状況だ。そして自分の下には息も絶え絶えの様子で聖子が組み敷かれていたのだ。
もしもこれで部屋の様子が異常に荒れていなければ、レイプ未遂かと勘繰られても文句は言えないところだろう。

しかし、一体どうしたら一瞬でこんなことができるのか。
ぐるりと見回した部屋は竜巻が通過したあとのようになっていた。壁に掛けられていた絵画や時計は跡形もなく吹き飛ばされているし、重量のあるベッドや無垢材のテーブルまでもが転倒したり、あらぬ方へと向いている。
重機でも使わなければ、人の手では到底こんな風に壊すことができないというくらいに、室内は破壊し尽くされていた。

これも巫女の…風の使い手の為せる技か…?

だが、何度も意識の浮き沈みを繰り返しながら、聖子は最後まで自らの主導権を巫女姫に譲り渡すことを拒んでいるように見えた。
転生を繰り返す巫女と、先祖返りでそれを待つ自分たち一族。 同じ因縁を基にする両者に違いがあるとすれば、巫女は自らの意志でそれを行うが、瀧澤の者には選択の余地が与えられないことであろう。
瀧澤に先祖返りが生まれること、それは即ち現世での巫女の転生を意味する。
彼らの先祖返りは巫女によって引き起こされる現象であり、物心ついたときからそう教え込まれ、過去との共存を受け入れてきた彼には、彼女の中で起きた激しい葛藤が理解できなかった。


「総領、お部屋の用意ができました。すぐに往診にも来てくれるそうです」
戻ってきた関口に促され、聖子を抱き上げた和久は、一歩外に足を踏み出した瞬間に目に入った光景を見て思わずうめき声を上げた。
「どういうことだ?」
室内の様子から、建物全体がさぞ酷い事になっているであろうと予測していたのに反して、廊下や隣室、延いては離れ自体にもまったく変化がみられなかったからだ。

荒れているのは自分たちがいた部屋だけ?そんなばかなことがあるのか!?

あちこち確かめるように見回してみたが、壁や天井、それに窓ガラスにもひびの一本も入った形跡がない。今まで彼らがいた部屋と同じ屋内にあるとは信じられないくらいだ。
「総領と東様のおられた部屋以外、何も起きてはいません。ですから私も…驚きました」
何度も周囲を見回す和久の様子を見た関口が、そう言いながら新たに用意した部屋のドアを開ける。
「すでに家政婦に連絡しましたので、東様には医師が到着するまでに何か寝間着代わりになるようなものに着がえていただきます。そのままでは示しがつきませんので、総領もどうか着替えを」

それを聞いた和久は小さく頷くと、聖子をそっとベッドに下ろした。だが、そこから動こうとはせずにベッドの横に跪くと、横たわる彼女を見て今まで抑えてきた感情を吐露するかのように低く静かに笑い始めたのだ。
「見つけた。やっと、やっと見つけたぞ」
「何をでございますか?」
彼はそれには答えず、共に部屋に入った関口にドアを閉めるように促すと、聖子の乱れた髪をひと房掴んで唇に寄せた。
「長かった、だがやっとこれで…」
いつもはほとんど感情を表さない主が、喜びに震えながら笑い続ける姿に、関口は戦慄さえ覚えた。
「総領、一体何を…」

和久はふっと息を吐き当座の笑いを収めると、困惑する関口を鋭い視線で一瞥する。

「東聖子。彼女こそ、蒼焔の巫女の生まれ変わり。捜し求めていた、私の…巫女姫だ」




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