「あなたが風守の…最後の巫女姫か」 風守の一族の、最後の巫女となった加津沙は別名「蒼焔の巫女」とも呼ばれる。言い伝えによると、彼女は風と炎を巧みに操り、自らは自在に空を舞うことができたといい、その所以で後世の村人から「蒼焔」の名を贈られたのだと聞いている。 組み敷かれながらも驚きを隠そうとはしない和久を見下ろす彼女は、冷ややかな笑みを浮かべた。 『いかにも。私はそなたの一族に滅ぼされし、風守の巫女。 長き時を越えて今、我が魂この地に戻れり』 ひんやりと冷たい指が和久の肌に触れると、まるで冷気に晒されているように、彼の背筋に震えが走った。 「何をする気だ?」 彼女の手が和久の首にかかる。殺気を感じて慌てて起き上がろうとするが、体は固まったようにぴくりともしなかった。 『我が積年の恨み、その身にて受けるがよい』 少しずつ強くなっていく指の圧力を感じながら、和久は必死の抵抗を試みた。 だが、彼女の術に捕縛された体はまったく動かず、次第に額に脂汗が浮き始める。段々と呼吸が苦しくなり、目がかすみ始め。このままここで絞め殺されることも覚悟したその時だった。 『なぜだ?どうして……』 突然、圧し掛かっていた聖子が彼の首にかかっていた自分の手を空に振り挙げた。そしてそれを側の枕に思い切り叩きつけると、彼の上から身体を引き剥がすように仰け反り、そのままベッドから床に向かって転がり落ちたのだ。 「だめ。そんなこと、できない」 やっと自由になった呼吸に咽ながら和久が起き上がると、彼女がそう叫びながら、必死の形相で自分の身体に抵抗するかのように床を転げまわっているのが目に入った。 和久はこの機を逃すまいとベッドから飛び降りると、床にへばりつき、もがき続けていた聖子の身体を押さえつけた。 「あ、なた…だ、いじょうぶ、だっ、た…?」 内なる自分との主導権争いに敗れ、薄れゆく意識の中で、途切れ途切れに問いかける彼女に、和久は頷いて見せた。 「よ、かっ、た」 自分では制御できなくなった身体を彼に預けることでようやく安堵の表情を浮かべた聖子が、それを最後に何とか繋ぎとめていた自分の意識を深く沈ませていったのが分かった。 それに代わって、再び先ほどの巫女の意識が浮かび上がってくる。 『放せ、放さぬか。よくも…』 そしてそれを見た和久もまた、自らの内の奥底に眠る、記憶の封印を解き放ったのだ。 「巫女姫よ」 彼は再びもがき始めた彼女にそう呼びかけると、両手で上向かせた。そして笑みさえ浮かべながら、ゆっくりとその顔に唇を寄せたのだ。 『うっ、何を…』 「加津沙」 そう呼ばれた彼女の表情が、一瞬凍りついた。 「加津沙、久しいな」 『お前は一体…』 懐かしそうに頬を撫でながら、なおも啄ばむような口づけを繰り返す和久を、彼女は身動きもできないままで呆けたように見つめた。 「分からぬのか、儂が」 『まさか、殿…喬久殿か?』 「いかにも」 『なぜ殿がこんなところに…』 彼女は戸惑いの表情を浮かべながら、震える指で和久の額にかかる髪をかき上げる。彼はその手を取り、自分の胸に押し付けた。 「そんなことは分かりきっておるであろう。儂はここでそなたを待っていた。 それだけの話だ」 彼女は指先が触れた場所から、自分が彼の意識の中へと導かれるのを感じた。 そこに見えたのは、嘘偽りのない想い。彼女が一番欲していた男の飾らない愛情だった。 見る間に彼女の瞳が潤み、大粒の涙が頬を伝い始める。 『お会いしたかった。この長き月日の間、何度も生まれ変わっては望み叶わず命尽きて。 巫女でありながらあなたに魂を抜かれ、虚けた私が欺かれていたことは分かっておりました。それでも…それでも一目だけお会いしとうございました』 「加津沙」 胸に縋り付き頬を摺り寄せる彼女を床に横たえると、彼は貪るようにその唇を奪った。手は忙しなく互いの身体を這い、身につけているものを毟り取っていく。 沈んだ意識の中で、自分の身に起こっていることでありながら、聖子はその様子をどこか遠く他人のことのように感じていた。 自分の中に他の人格が存在するなど、普通ならば到底信じられないし、受け入れがたいことだ。無論、聖子もそう思っている。だが、今自分が陥っている状況はそれ以外には説明のつけようがなかった。 不思議なことに、降り注ぐ口づけも身体を弄る指の感触も、記憶ではなくもっと本能に近い場所がそれを覚えていた。そして彼女自身の意思とは関係なく、彼の行為を喜々として受け入れ、悦びに身を震わせているのを感じるのだ。 「加津沙」 呼ばれる名に覚えはないが、まるでそれが自分のものであるかのようにうっとりとした表情を浮かべる彼女は、完全に加津沙に意識を支配されていることを物語っていた。 それゆえに誰にも許したことのない足の間に触れられた時も、彼に圧し掛かられた時も抵抗もせずにすんなりとそれを受け入れたのだろう。 その時の彼女はまるで無防備で、互いの体を繋げようとしているにも関らず、いつも他人と接する時のように、自らの意識にシールドをかけることさえしなかった。 その結果、事態は思わぬ方へと向かっていくことになろうとは、その時の二人には想像だにできなかったのだ。 HOME |