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蒼き焔の彼方に  19


「私には…やっぱりできません」
聖子は佳奈の枕元に立ったままうな垂れた。

元気だった時に比べると、今の佳奈はあまりにも無防備だ。この状態であれば、いくらガードの固い彼女とはいえ、心に触れることも決して不可能ではないだろう。しかし、例えそれで彼女の考えが分かったとしても、今の事態の解決に結びつくとは限らない。

聖子自身、今までに誰かの考えを読もうという明確な意思を持って人に接したことは一度もないし、寧ろそうならないようにと極力接触も避けていたくらいだ。時に何かの拍子に外れたシールドの隙間から脳内に忍び込んでくる他人の思考に翻弄されることは苦痛以外の何物でもない。
それに、この場で彼女を一番躊躇わせているのは、佳奈の思いを知ることに対する潜在的な恐れだった。
いつも側にいてくれた仲の良い親友が、もしかしたら心の中で自分のことを疎んじていたのではないか。そんな風に考えると、どうしても二の足を踏んでしまう。

最も身近であるはずの家族たちにさえ距離を置かれてきた聖子には、それを感じさせられることが何よりも恐ろしかった。だから佳奈と一緒にいるとき、不用意にこちらが緊張を緩めても決して考えを読み取らせない親友の存在は、彼女にとっては救いだったのだ。
果たしてこれが、その領域を侵してまでする価値のあることなのかどうかが、聖子には決断できなかった。


「そうか、ならば仕方がない。無理強いはせぬよ」
サダはそう言うと、前日と同じように佳奈の額に手を翳して念じ始めた。やはり前の日と同じように、蒼白な佳奈の顔に少しだけ赤みが戻る。
前のめりになっているサダに聖子が椅子を差し出すと、彼女はよっこらしょと腰を下ろした。
「じゃがな、儂の力もそう長くは続かん。いずれは果てる時が来る。それだけは、覚えておきなされ」



何も話すことなく暫くそうしていると、サダはゆっくりと顔を上げて聖子を見つめた。そして、徐に話し始めたのだ。
「こうしていても退屈じゃろう。どれ、この婆が昔話でも話して聞かせようぞ」
正直なところ、聖子はそんな気分ではなかったのだが、狭い病室に二人でただ向かい合って座っているだけというのも気詰まりなのは確かだ。

そんな彼女の意向を確認することもなく、サダはいつも昔語りをするときに使う特有の低い声で、ゆるりと話し始めた。


「そうさな、この地にはずっと昔、1000年も、否それ以上も前から小さな村があった。決して豊かではなかったが、大きな戦も諍いもなく、皆平和に暮らしておったのじゃ…」

この地に根を下ろした一族は風守の民と呼ばれた。
それは一族が自然を、主に風を操る力を山の神から授かったものとみなして崇め奉ったことからきた名だ。

一族は族長である村長と、彼らの中でも抜きん出て「先を読む力」に優れたものが据えられる「巫女」の元で、そのお告げによって統べられていた。
元来険しい地形を天然の城塞とした彼らは、近隣の者ともほとんど行き来がなく、婚姻もほとんどか村の中で行われる。だから村中が一つの氏のようになっていて、その団結力はかなり強固なものだった。
彼らのほとんどは痩せ地を耕して糧を得ていて、決して裕福とはいえなかったがそれでも村人が飢えることはなかった。 だから治世の乱れも外敵も、何だ関係のない外の世界の話だったのだ。


「今から数百年前に遡る。世は乱世、群雄たちが割拠する時代じゃ。その時代、この村に二人の優れた女子が現れた。名を加津沙(かづさ)と常葉(とこは)という。将来、この二人のどちらかが巫女姫となることが決められていたが、どちらの力も優劣付けがたく、また、どちらの女子も相手を立てて自分がそうなることを固辞し続けた」

結局、巫女には加津沙が選ばれた。
だが、それは彼女が一番優れていたためではない。常葉が村を出奔したせいだった。残された加津沙は巫女としての精進を重ね、長とも力を合わせて平穏に村を治めていた。
だが、そんな時、出奔していた常葉が連れ帰った一人の男によって、村には突然振って沸いたような災難が降りかかることになった。
その男の手引きにより急襲され、今までどの軍も入ることが叶わなかった、村を守る風守の砦を攻め落とされたのだ。

「それは…その常葉という女性が男に村を売ったということ?」
黙って聞き入っていた聖子は、ポットから湯飲みに注いだお茶をサダに差し出した。
「いや、どうかのう。常葉がその男の情に絆されたのか、それとも他に何か意図があったのか、それも今となってはな」
サダは受け取ったお茶を啜りながら、答えた。
「攻めてきた者たちは、風守の特異な力を求めていた。風を呼ぶ力、水を操る力、民たちは他にもいろいろな能力を持っていた。それらは田畑を耕し作物を育てるのもさることながら、戦に使うにも都合がよいものじゃからのう。
結局、砦を落とされた風守の民たちは、彼らに従属するしかなかった。
元は争いごとを好まぬ農耕民族じゃったのじゃ。戦い慣れた武士たちに向かっていっても、到底勝ち目はなかったろう。 そして巫女は降伏の証として、ここを攻め落とした武将に召し上げられることになってしまったんじゃ。もちろん、村長を始めとして村のものはこぞって反対したさ。じゃが、巫女姫は自分の身と引き換えに、村と人々の暮らしを護ろうとした。それが…自分にできる唯一の守護者の務めだと覚悟してな。
そして巫女姫は砦跡に建てられた、館に篭められることになった。彼女が手の中にある限り、刃向かおうにも風守の者たちは迂闊には手が出せん。その頃にはまだ、一族の中には巫女ほどでなくとも強い能力を持つ者もいたからな。加津沙はそれらを封じる盾として使われた。
それから程なくして、巫女は子を身ごもったのじゃ。姫を封じた男に手篭めにされたのか、自ら進んで身を差し出したのかはわからんが、ともかく巫女姫は村を攻め落とした男の子を宿した。
その男こそが、瀧澤の初代、喬久。今の瀧澤家の当主、和久殿の先祖じゃよ」

だが、その後、喬久の出兵中に蜂起した風守の民は、瀧澤の軍勢の圧倒的な武力の前に制圧される。女子供に至るまで動員し、決死の覚悟で侵略者に挑んだ風守の村人たちは次々に殺戮されていき、混乱が収まったころには、村の人口は元の半分にも満たないほどにまで激減していたという。
その際に、巫女も命を奪われ、館には火が放たれた。その有り様は凄まじく、焼け跡には草木の一本も残ってはいなかった。
こうして導き手を失い、制圧された風守の民は、侵攻してきた外部の人間たちとの混血が進むにつれてその大半が特異な能力を失ったとされる。


「そんな、でももう一人強い力を持った女の人が…常葉でしたっけ?いたでしょう?その人は争いを止められなかったの?」
「さぁな。常葉は村を攻められた後になって手引きした男とは縁を切り、和沙とともに館に引きこもっていた。そして最後まで加津沙に付き添い、命運をともにしたと伝えられている、伝説ではな」

サダはふっと含みのある笑いを漏らすと、小さく首を傾げた。
「だが、この話には表向きの悲話とは別に、村人たちの間で実しやかに伝えられてきたもう一つの結びがある。それが加津沙と山の神の契りのくだりじゃ」

「山の神?」
「そう、風守の民は風を操ることで村を守った。元々その力を彼らに授けたのは山に御座す神様がたじゃ。加津沙はその神々に自らを捧げ、その見返りに命乞いをした。我が子の、な」
「子供?」
「そう、喬久公との間に生まれた赤子じゃ。山の神は加津沙の願いどおり、竜に姿を変えて天高く昇り、館が包まれた猛火の中から赤子を連れ去った」

突然、聖子の脳裏にあるシーンが甦った。
それは、迷い込んだ山の中、神木に触れた時のあの場面だった。

業火の中、蒼い炎を纏った竜と共に天に昇っていく女と赤ん坊。

だが、あの時、屋敷の中にはもう一人女の人がいたはずだ。もしこの伝説が本当ならば、どちらかの女性は子供と一緒に助け出されたはずだ。しかしサダはまったくそれには触れなかった。

「その後、赤子の行方は杳として知れない。無論、喬久公も手を尽くして探したはず。何せ、その子は竜の懐で巫女の珠玉を抱いていたというのじゃから」
「珠玉を?でもそれは今、瀧澤の宝物庫にあると…」

サダはそれには答えず、話を続ける。
「それからというもの、瀧澤の支配下に置かれた風守の村は度重なる天変地異に見舞われた。山の神に助けを求めようにも、それを担う巫女を失っていてはどうにもならなかった。
そこでやむなく瀧澤の主があの山に社を造って神々と巫女を祀り、自らその怒りを鎮めようとしたのじゃよ。それがあの聖域の始まりじゃ」

それだけ言うと、サダはもう一口冷めたお茶をすすってから湯飲みを聖子に返す。
「さて、そろそろお暇するかの。長々と年寄りの話に付き合ってくださって、ありがとう」
側に立てかけてあった杖を手に取るとサダはゆっくりと立ち上がった。

「あの、お聞きしたお話は、本当にあったことなんでしょうか?とても信じられない話なのですが…」
戸惑う様子の聖子に、サダは意味ありげな笑いを浮かべた。
「瀧澤が風守を滅ぼしたことだけは事実じゃが、その他はすべて昔からの…伝承に過ぎん。本当のところは誰にも分からんのさ。
そうさな、もし真実を知るものがいるとしたら、恐らくそれは…現世での巫女の生まれ変わりだけかもしれぬのう」




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