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蒼き焔の彼方に  18


これより少し前、病院を出ようとした和久は、偶然サダと入口近くで出くわしていた。
「これは主どの。今日も見舞いかの?」
サダは曲がった腰を伸ばしながら彼を見上げた。
「ええ。おばば様も、毎日ご苦労様です。無理を言ってすみません」
そう言って頭を下げる和久を見て、老女は歯のない口を開けて笑った。
「まだこの婆にもお役に立てることがあったというだけじゃよ。ところで、今日はあの、東京から来なすった娘さんはここにみえておるのかね?」
「ええ。今日は丸一日、もしかしたら夜も泊り込むことになるかもしれません」
「そうか…」
サダは頷くと、再び杖を支えに腰を曲げる。
「ではな、主どの。今日もお勤めに励みなされ」


あとどのくらい、あの老女に頼ってもよいものなのか。

遠ざかって行く小さな後姿を見送りながら、和久は思案していた。
佳奈が人事不省に陥って以来、サダは仔細を知らない医師や看護師たちの手前、表向き見舞いと称して毎日ここに足を運んでは彼女に術を施してくれている。
だが、サダもとっくに齢九十を超えた老人だ。
施術が必要な期間が長引けば長引くほど、あの老体にかかる負担が大きくなることは火を見るよりも明らかだった。
それでも現代医学ではどうにもならない以上、今はサダに縋る以外に道はない。自分にはどうすることもできないジレンマを抱えつつ車に乗り込んだ彼は、ずっとあることを考え続けていた。

それは、なぜ「今」このような現象が起きたのかということ。
家に残る記録によれば過去、江戸時代に数回、そして明治維新前後にもそういう事例があったことは分かっている。その時にはある日突然災禍は終息しているが、いずれの時もそれらは転生した巫女の動向に左右されたものと言われている。
だが、ここ数代、御霊に煩わされたことはなかったはずだ。少なくとも、父親と祖父はそのような場面に出くわすことなく一生を終えている。
その生涯は決して長くはなかったが。

彼ら瀧澤の一族は、特にその総領たる当主は代々短命な部類に入るだろう。過去に長生きをしたと言われる者でも、六十にやっと手が届くくらいまでしか寿命がない。彼の父親も五十代始めに他界した。その時和久はまだ、25才になったばかりだった。

それでも祖父は、それよりは長く生きたけれど。

彼の祖父、明久は、長く続く瀧澤家の中でも破天荒な行動で名を馳せた当主だったと聞いている。
というのも、それまで瀧澤の人間が数百年も住み続けた本宅を空け、離れを作りそこに居を構えて采配を振るったことや、ほとんどこの地を出ることなく、村の中で一生を終えるものが慣わしだった今までの当主たちと違って、彼は「必要な時」以外はここに居着かず、日本国内あちらこちらを飛び回って事業を展開していたからだ。
祖父が亡くなった時、まだ幼かった和久はそのあたりのことはあまり記憶に残っていないが、孫息子を喜ばせようと、ときどき珍しいものを土産に持って帰ってきてくれたことだけはよく覚えている。

和久の父親はわりと保守的で、儀礼やしきたりに煩い人だったが、その点祖父はもっと柔軟な考えの持ち主だった。悪く言えば大雑把、よく言えば大らかとでも例えられようか。
もしかしたら、それが二人の寿命の差に現れているのかもしれない。

瀧澤の当主の命を削るもの。
それは彼らに課せられた「役目」に他ならない。
だからこの家には、代々必ず男子が生まれる。それはどんなに短命な者からも、例外なく一人は跡取りとなる男児が生まれてくるのだ。彼らがこの世に生を受けるのは、家の存続というだけでなく、ある務めを担うために、必要であるからだと言われている。
それは、一族の総領という名の、巫女の祟りを鎮めるための人身御供。

当主は新月の日、聖域にある社に供物を捧げ、かの御霊を鎮める役割を課せられる。それは当主となってから寿命が尽きるまでの間、必ず欠かさず行わなければならない。もちろんそのためには数日前からの禊や潔斎も伴う。傍目には楽な神事のようにも見えるが、実のところは行に近いものがあった。
だからどんなに遠方にいたとしても、彼らはそのためにここに戻って来なくてはならない。交通が不便だった時代に、代々の当主が長くこの地を離れられなかった理由はそこにあった。


瀧澤家の先祖たちから脈々と受け継がれてきた慣習。奔放だった祖父や、父だけではなく、その役目を忌み嫌った自分さえも、結局はその枷から逃げ果せることができなかった。
だが、もしも自分の代でその悪しき輪廻を断ち切ることができれば、まだ見ぬ子孫たちには害を及ぼさずに済むかもしれない。

彼が何としても「巫女」を探し出そうとする理由はそこにあった。
巫女の呪いを解き、先祖の魂を浄化するために、元のように珠玉を社に奉ること。
それが瀧澤家に伝わる、呪縛を解くために唯一必要な条件だった。
大昔、瀧澤勢に襲撃された砦が陥落した際に巫女が持ち出したとされる、失われた珠玉は未だ見つかっていない。それを探し出すためには、どうしても巫女の現し身にそのありかを聞き出さなくてはならないのだ。

「巫女の珠玉か…」
博物館に展示してある珠玉は、正確にはレプリカであってもレプリカではない。何せ本物がどこにもないのだから、模造品を作りようがない。あの珠は過去の文献や伝承から推測して作られたもので、実物がどのようなものであったのかは未だ謎のままだ。
家長が代替わりする際に新たに設えられる社の祭壇がある場所には、今も珠玉を祀ったとされる石の台座が置かれている。彼も当主になった折に一度きり足を踏み入れたことがあるが、そこには珠を納めたと思われる僅かな窪みがあるだけで、当然のことながら、手がかりとなるものは何も残されてはいなかった。

では、なぜ彼らの一族が巫女の珠玉を取り戻し、社に戻さなければならないのか。
その理由は、先日佳奈が倒れた場所のすぐ側にある瀧澤家の霊廟が深く関係している。
あの場に葬られている代々の瀧澤家縁の者たちは、決して浄土へ渡ることはできないと言われている。それは巫女姫を裏切り、一族を滅ぼした瀧澤の者に対する彼女の怨念が齎す復讐であり、その咎は巫女の呪いが解けるまで決して許されることはないとされているからだ。
つまり、行き場を無くした先祖たちの御霊は、今もこの世とあの世の間で彷徨い続けているというのだ。
彼自身はそれを直に感じることはできない。しかし、数々の現象や、彼のDNAに刷り込まれた「過去の記憶」は否定のしようがない。
それは瀧澤家の何代かに一人は現れる「先祖返り」と言われる和久が、唯一有する転生の証だった。




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