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蒼き焔の彼方に  17


翌朝食事の席で、聖子はできるだけ彼と目を合わせないようにしながら黙々と箸を動かしていた。和久は口にこそ出さないものの、彼女の態度を訝しく思っているのは無理からぬことだろう。
何せ彼女は和久と向き合うことが気まずくて仕方がなかった。
昨夜、部屋に帰ってから自分の格好に気付いた聖子は驚き、恥ずかしさに眩暈がしそうになった。というのも鏡に写った自分は髪はボサボサ、パジャマ姿に素足。その上、いつもの習慣でブラジャーはつけておらず、胸の先が透けて見えていたからだ。

あの暗がりで、気付かれなかったことを祈るだけね。

しかし、初めて訪れた不案内な家の、非常灯や常夜灯しかない薄暗い廊下をあそこまでたどり着いたことが不思議だった。
気がついたらいつの間にかあの場所に立っていた。
恐ろしいことに、和久に呼びかけられるまで、自分がどうして、どうやって部屋を出たのかをまったく何も覚えてなかったのだ。
眠っている間に無自覚に起き出して、うろうろと徘徊するという夢遊病のことは知識としては知っていたが、今まで自分にその気があるなどと考えたこともなかった。しかし、昨夜のできごとを顧みれば、まさしくそんな感じではないか。

きっと疲れていたせいよ。だからいつもと違う環境に馴染めなくて…。

そう考えて一度は自分を納得させた聖子だったが、それにしてはあまりにも不可思議なことがあり過ぎた。それに、部屋に戻ってから再び眠ろうとしても、側に迫る慣れない気配に何となく神経が昂り、気が落ち着かなくて、熟睡することができなかったのだ。
お陰で朝、洗顔時に見ると目の下に薄く隈ができていた。コンシーラーとファンデーションでおさえて隠したつもりだが、顔色の悪さはこれ以上誤魔化しようがない。


「疲れた様子だが、大丈夫か?」
身支度を整えた聖子が玄関に向かうと、すでにそこには和久が待っていた。彼も今日は仕事をするのか、昨日とは打って変わってきっちりとしたスーツに身を包んでいる。
「少し寝不足ですけど、このくらいはいつものことですから」
「遅くなれば私は同行できないが、何だったらもう少し休んでから行ってもいいんだよ。誰かに言って、病院まで送る手配はしておくが」
「いえ、佳奈が心配なので…大丈夫です」
「そうか」

そんな会話の後、二人は病院に向かうために、迎えの車に乗り込んだ。
「今日は一日佳奈さんに付き添うつもりかい?」
「ええ。昨日は気が動転していたのであまりちゃんと様子を確かめられなかったし、できればお医者さんにもお話を聞きたいと思っています。それに、名木さんにも少し休んでいただけるよう、今夜は私が付き添いを代わろうと思って」
「あの病院は本来は完全看護で付き添いはいらないんだが、どうしてもと名木が希望してね。だが彼ももう1週間近く、夜は詰めたきりになっているからな。名木が了承すればそれもいいかもしれない。一応彼女は個室にいるから付き添い用にも簡易ベッドを入れてある。そのほかにも不自由はないと思うが、もし何か気がつけば言ってくれたまえ」



車が病院に着くと、和久は病室の前まで一緒に来た。だが中には入らず、内ポケットから名刺入れを取り出して、抜いた一枚の裏に何かを書き始めた。
「これが私のオフィス直通の電話と携帯の番号だ。必ずどちらかに繋がるようになっている。私が出られないときには関口が対応するから」
「あ、ありがとうございます。でも、どうして瀧澤さんはそこまで佳奈のことを気遣ってくださるんですか?彼氏…名木さんの勤めている会社の関係者という以上に親身になって、もっと言うなら佳奈を特別扱いなさっているように思えるんですが」

聖子は渡された名刺をバッグにしまうと、疑問に思っていたことを思い切って彼にぶつけてみた。
それを聞いた和久は、ふっと息を吐き出すと小さく首を振った。
「彼女が最初に倒れた場所と状況を見ると、自分が無関係だとは思えないからね。それに、おばば様の言うことが真実ならば、この責任は当主である私が負うべきものだろう」
「まさか、本当にあのおばあさんの言っている戯言を信じているのですか?」
彼女の驚いた顔を見た彼は、苦笑いを浮かべた。
「信じているというより、疑っていないというべきだろうな。殊この手のことに関して、サダさん以上に信頼できる者はいない。特に私のように、その力がない者は、彼女を信じるしか術はない」
「でも、あのおばあさんによると、悪さをしているのはあなたのご先祖様たちということなのでしょう?」
「そういうことになるな。だが、悲しいかな、代々我が一族にはそれを見切れるような能力は備わっていない」
聖子は訳が分からないという顔で彼を見つめた。
「それなのに、あなたはその、憑りつくだの祟るだのといったことを信じているわけ?」
彼ははっきりと頷いた。
「話せば長くなるが、とにかく瀧澤家にはそれを甘受するだけの理由があるのだ。では、そろそろ行くとしよう。また一度夕方にのぞきに来る」

和久はそういい残すとその場を後にした。
聖子は未だ釈然としないながらも、気持ちを切替えて佳奈のいる病室に入る。そしてそこで夜を明かした名木に「今夜は自分が泊まり込むから」と家に戻って休養をとるように説得すると、その後彼を仕事へと送り出した。

「佳奈、一体何があったのよ」
聖子はほとんど意識がなく、昏々と眠り続ける親友の枕元で呟く。
できれば彼女から直接原因を聞きたかった。そうすれば、少なくともこんなにも訳の分からない状況には陥らずに済んだはずだと思えたからだ。
ここに来てからというもの、聖子は自分の理解の範疇を超えたことにどんどん巻き込まれていくように思えて仕方がない。
科学万能の現代社会で、未だ呪いだの祟りだのを真顔で論じる人たちに違和感を覚えながらも、心のどこかではそれもありうるかもしれないと納得してしまう自分を否めない。だが、一方で現実的な脳内ではそんな考えを強く拒み続けていて、自分の中でせめぎあう、相反する気持ちに煩悶していた。

彼女は眠り続ける友の、かさついた手を握ると、自分の額に擦り付けた。
「あなたが何か言ってくれれば、そうすれば私にも何か手助けができるかもしれないのに」
「ならば、その娘さんの心を読んでみなされ」
突然かけられた声に驚いた聖子は、小さく悲鳴を上げて椅子から飛び上がり、後ろを振り返った。
「驚かせたか?それは悪かったのう」
部屋に入って来た物音も気配さえも感じさせなかった老婆は、いつの間にかそこに立っていた。そして身振りで聖子に再び座るように促す。
「あんたにならできるであろう?」
「一体何のことでしょうか?」
「この娘さんの心を読むのじゃ」
「心を読む?」
聖子は当惑した様子で、サダの言葉を鸚鵡返しに聞き返した。
「そうじゃ。この子は今、無防備な状態になっておる。恐らく自分の考えを他人に悟らせぬように、遮蔽することは叶わぬはず。ならば心を読むことも可能じゃ」
確かに聖子には他の人の思考を感じとる能力が備わっている。しかし、それはあくまで受動的なものであり、自分の方から積極的に他人の考えを探ろうとしたことは一度たりともなかったし、またそれができるかどうかも分からなかった。
「でも、私には…」
「できぬとは言わせんぞ」
サダは、老婆のものとは思えないほど鋭い視線を聖子に向けた。
「娘さんを救えるのは、あんたしかおらん。拒むなら仕方がないが、そうなるとその子が助かる見込みはほぼなくなるであろう。それでも構わぬのならば…儂は無理強いはせんよ。
やるか止めるか、決めるのはお前様次第だ」




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