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蒼き焔の彼方に  15


数時間後。
今夜も佳奈の病室に泊まり込むという名木に暇を告げ、聖子は病院を後にした。和久も一緒だ。
促されるままに彼の車に乗り込んだ聖子は、まだ混乱から抜け出せないでいた。
病名も分からない状況で何も手が打てず、ただ衰えていくのを待つかのようにベッドに横たわる佳奈の様子が目に焼きついて離れない。

何でこんなことに…。

和久が言った原因と思われることは、俄かには信じがたい。確かにこの世には理屈に適わない、科学や常識では説明できないことはある。事実、その一つが自分の持つ能力なのだから。
だが、それでも納得がいかなかった。
聖子は自分の力を否定することはできない。しかし、それはサイキックとしての能力であって、心霊や霊魂の有無、それが及ぼすと思われているオカルトの現象とは全く異なるものだと考えていた。
第一に、この世を彷徨う死者の霊が、果たして生きている人間に害を及ぼすことが可能かどうか。否、それをいうならば、まず霊というもの自体が存在することを前提として、それが死後も消滅せずに長くこの場に留まっているという考えすら、彼女には受け入れがたかった。

「ばかばかしい」

聖子は誰に向かってともなくそう呟いた。

「それでも、これは現実だ」
その声にはっとした聖子は、隣で運転する和久の方を見た。
「君が戸惑う気持ちも分かる。だが、こうなった以上、そう考えるのが妥当だろう」
彼女の考えなどお見通しだと言わんばかりの言葉に、聖子は反発する。
「そんなことを言われて、『生気が抜き取られている、はいそうですか』なんて納得できるはずがないわ。それに、もしも…もしもよ、佳奈に憑り付いているのが地縛霊とか悪霊の仕業だというのなら、お祓いでもすればすぐに良くなるんじゃないの?」
和久は片手でハンドルを握ると、空いた方の手でこめかみを擦った。
「そんなに簡単な話ではない。第一に、彼女に災いを為している…と思われるのはただの霊ではない。御霊(みたま)だ」
「悪霊にただも有料もないでしょう。本当にそんなものがあるなら、即刻祓って退散願うべきよ」
「君は人の話を聞いていないのか?」
和久は、ある場所に乗り入れるために車を徐行させながら、苛立たしげに唸った。
「憑りついているのは、悪霊ではない。御霊…この家の、瀧澤家の代々の先祖の霊たちだ」
「ご先祖様?あなたの家系って、そんな粗暴な人ばかりだったということ?」
彼女の挑発的な言葉に、彼は半ば諦めたような溜息をついた。
「さあ、どうだったんだろうね。私は祖父と父親以外には直接会ったことがないから。着いたよ、降りて」


「ここは?」
降りるように促され車のドアを開けると、聖子はそこにあった建物を見上げた。車が止まったのは、普通の戸建て住宅よりも二回りほど大きい、伝統的な日本家屋の玄関前だった。
「ここが君の今夜の宿だ。さあ、入って」
和久が玄関の引き戸を開けると、そこには先ほど病院で別れた関口が待っていた。
「お帰りなさいませ、社長。東様、お部屋の用意ができております。すぐにご案内いたしましょうか?」
「いや、彼女は私が部屋までお連れする。君はもう仕事に戻っていてくれ」
「畏まりました。では」
彼は軽く頭を下げると、そのまま玄関ではなく、家の奥の方へと向かっていく。
「ここでお仕事をされているんですか?」
聖子は何気なく思ったことを口にした。
「ああ。ここは私のオフィスも兼ねているからね。とりあえず、先ずは君の部屋に案内しよう」


二人は玄関から関口が消えたのとは違う方へと進んだ。
途中、広い庭に面した廊下を歩いたが、そこから眺める眺望は、一般の住宅とはかけ離れた規模の、見事な庭園だった。 表から見ると一見、普通の民家と同じような造りのこの家は、少し変わった構造になっている。庭を挟んだ反対側にある、これよりもっと大きくて重厚な雰囲気の純和式の家屋から、ガラス張りの長い廊下で繋がっているのだ。その廊下の欄干や土台部分には朱塗りが施され、神社や離宮にあるような回廊を現代風に模したような雰囲気を醸し出していて、風雨避けのガラスの覆いさえなければ、まるで雅な平安時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚える。

「ここは、本当に民家なんですか?京都にある内裏か神社みたいに見えるんですけど。そこらへんに赤い鳥居が立っていても不思議じゃないくらい」
それを聞いた和久が苦笑いを浮かべる。
「少なくとも、この離れは私が生活している自宅だ。本宅は…今は空き家になっていて、ほとんど人の出入りがないけれどね」
「あれが本宅?」
聖子は遠くに佇む巨大な邸宅を見つめた。
「そう。築400年以上とも言われる建物だ。ただ、戦後、内装や耐震設備には大掛かりに手を加えたらしいから、文化財的な価値はかなり損なわれてはいるがね」

彼はそう言うと、入口が庭に面したある一室の前で立ち止まった。
「ここが君に用意した部屋だ」
旅館のような和風の引き戸をくぐると、まずは小さな敲きと靴箱がある。その奥に一枚ドアがあり、それを開けると、中は予想外に洋風の造りになっており、一流ホテル並みの広さを備えていた。

「ユニットだが、一応奥にバス・トイレもついている。キッチンとダイニングは先ほどの廊下の突き当たりだ。食事は家政婦が用意してくれるから、6時に迎えに来る」
「えっ、夕食?」
いつの間にそんな時間になったのかと驚いて時計を見ると、すでに時刻は夕方の5時をまわっている。
「迎えにって、あなたも一緒に食べるんですか?」
不服かとでも言いたげな顔で、和久は片方の眉を上げた。
「なんだったらこの部屋で君一人で食べてもいいが、キッチンの冷蔵庫の中身とかも一応見ておいた方がいいのではないかと思ってね。夜中に喉が渇いても、茶の一杯も飲めないのでは困るだろう。さすがに部屋に冷蔵庫までは完備していないからな」
「念のためにおうかがいしますが、この家には自販機なんてものはないんですよね」
彼は当たり前だという顔で彼女を見下ろした。
「ここは民家であってホテルではないからね。ちなみに言っておくが、少なくとも半径1キロ圏内に自動販売機の類のものはない」
それは即ち歩いていける屋敷の敷地内にはそれらしいものはないという意味だろう。
「…分かりました。お夕飯は、一緒にお願いします」



夕食席には二人の他はだれもいなかった。一度だけ、給仕役の家政婦と思われる女性がこちらをのぞいたが、彼女も二人が食卓についている間に引き上げた様子だった。
用意された食事は美味しかったが、佳奈のことを考えるとあまり食が進まないのは仕方がないことだろう。和久もそれを慮ってか、食事の間にはあまり話しかけてはこなかったし、無理に食べるよう勧めることもしなかった。

食後に彼の案内で見せてもらった大型冷蔵庫には食材はほとんどなく、あるのはチーズやハムといった軽くつまみになるようなものと、ジュースやビール、それにワインのようなアルコール類だけだった。
「基本的に自炊はしないからな。せいぜい酒のつまみや簡単な夜食を作るのが関の山だ」
「本当に…何もないですね」
彼女はとりあえずペットボトルのミネラルウオーターとお茶をもらい、早々に部屋に引き取った。

その後、少し早めだったが備え付けのユニットバスでシャワーを浴び、いつものようにパジャマを着て寝ようした。
「あ、そうそうカギをかけておかないと」
夜間、この家にいるのは和久と彼女の二人だけになると聞いた。何もあるはずはないし、あっては困るのだが、用心に越したことはない。
二度ノブを下げて確かにロックが掛かったことを確認すると、聖子は改めてベッドに入った。だが、今日は色々なことがあり過ぎて気が立っているのか、なかなか眠りは訪れなかった。
「もう何が何だかって感じ。どうすればいいんだろう」
何度も寝返りを打ち、枕の位置を変え、それでも寝られない。それでも何とかやっと眠りについたのは深夜になってからだった。


夜更けの静けさの中、小さな物音に気付いた和久は、自室から外に出た。そして彼は、そこで奇妙な場面に出くわすことになる。




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