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蒼き焔の彼方に  12


「会社を辞めるって…どういうことなの?」
佳奈の突然の報告に、聖子は気色ばんだ。
「うん、いろいろとあって、考えたんだけどね」
「一体何があったのよ。そんな急に」

会社帰りのカフェで向かい合う二人。
動転して友人を問い詰める聖子と、ぽつりぽつりと質問に答える佳奈。
それはいつもの仲の良い二人の様子とはかけ離れた光景だった。
「もう辞表は出してあるの。今月の末で退職するって」
「そんな…もうあと3週間ほどしかないじゃないの。何でそんな大事なこと決める前に、もっと早くに相談してくれなかったのよ。私たち、友達じゃない」
つい責めるような口調になってしまう自分に気付き、聖子は唇を噛み締めた。
「ごめん、言い過ぎた」
佳奈は首を振ると俯いたままこう答えた。
「聖子に言うと、多分反対されると思ったから。ここを辞めて出会ったばかりの人について行くなんて、自分でもバカだなぁって思っている」
佳奈の口から飛び出した言葉に、聖子は思わず唖然とした。
「知らない人って…それ誰なの?もしかして男の人?」
「聖子は知らない人だよ。知り合ってまだ1ヶ月くらいだから」
「あ、でも森先輩、森さんどうなったのよ。私はてっきり彼と付き合っているんだとばかり…」
「彼とは少し前に別れたんだ。お互いに気持ちにずれができて」

そういえば、ここのところ社内で森と佳奈が一緒にいるところを見ることがなくなっていた。友人とは言え、あまり他人のプライベートなことに口を挟まない主義の聖子は、常に気にしていたわけではないので、佳奈に言われるまで気が付かなかったのだ。
「それで、その男の人って」
「先々月だったかな、偶然知り合いになって、そのまま気が合ったから付き合い始めたんだ。彼が自分の実家に戻って仕事を継ぐって聞いて、それで一緒について行こうと決めたの」
「それ、どこ?」
「ほら、少し前に社内旅行で行ったでしょう、あの村の近くだよ」

それを聞いた聖子は前身総毛立った。
あろうことか、彼女がもっとも避けたいところに、佳奈は自ら飛び込んでいこうとしている。
聖子は瀧澤から呼び出されて以来、何度も悪夢にうなされた。舞台は決まってあの山の中。彼が「聖域」と呼んだ山中の岩室の前だった。
沸き起こる怒号とあちらこちらからあがる悲鳴の中、生きながらにしてその身を焼かれているのは、なぜか他でもない聖子自身だった。ゆっくりと火に呑まれていく苦痛を味わう自分の姿をただ見ていることしかできないのは歯痒くもどかしく、また何とも辛いものがあった。
その夢を見るたびに、彼女は夜中に悲鳴を上げながら飛び起きるはめに陥る。夢を見るのが嫌でなかなか寝付けず、一時は睡眠不足になったほどだ。

あの夢が彼女に何を言おうとしていたのかは分からない。だが、聖子には、誰かが自分があの場所に近づくことに対して警告をしているように思えてならなかったのだ。

「でも仕事を辞めてあっちに行って、これからどうするつもりなの?彼と結婚するの?」
聖子の問いに、佳奈は小さく首を傾げた。
「結婚とかは…考えたことがないし、正直まだよくわからない。仕事は行った先で探そうと思っているの。幸い、彼のやってる仕事に関係で、口を利いてもらえそうなところがあるみたいだから。ほら、私たちが泊まったホテルがあるでしょう?あのホテル、瀧澤観光がやっているらしいから。
あそこならホテルチェーンとしては一流だし、結構待遇もいいみたい」
「え?瀧澤?」
「うん。都内にも幾つかホテルや料亭があるでしょう、あの瀧澤観光だよ」
そういえば、あの時呼び出されたホテルも瀧澤観光グループのものだった。しかし、まさかホテルチェーンのオーナーである「瀧澤」と、和久に関係があるとは思いもしなかったのだ。

「もしかして、佳奈の彼って、その瀧澤さん?」
佳奈は驚いた顔で慌てて首を振った。
「違う違う。そんなわけないでしょう?彼はその会社で働いている人だよ。大体、天下の瀧澤観光のオーナーとお知り合いなんて、あり得ないよ」
佳奈の言葉に、ほっと胸を撫で下ろすと同時に、瀧澤と聞いて、瞬時にあの男性を思い浮かべた自分の思考に苦笑する。 もしかしたら遠い親戚か何かではあるかもしれないが。名前が同じだからといって、彼が瀧澤観光の関係者であるとは限らない。最初に会った時には禰宜の装束を着ていたことを考えても、あの男性が実業家だとは到底思えなかった。

「あんな辺鄙なところに瀧澤観光がホテルを持っていたなんて、知らなかったわ」
「でも瀧澤って家は元々あのあたりの旧家だったらしいよ。だからあの村の住民の大半は瀧澤観光の恩恵を受けて、その関連の仕事に就いているとか」
「ふうん、そうなんだ。今でも変わらずご領主様、瀧澤家さまさまってわけね。で、佳奈、このことはご家族にちゃんと話をして了解をとったの?」
「転職をするって話はした。でも彼のことは言ってないよ。まさか、男の人を追いかけて引っ越すなんて、言えるわけないからね」

それはそうだろう。大都会から片田舎へ、知り合ってたった一ヶ月しか経っていない男についていくなんて。
あまりにも佳奈らしくない軽はずみな行いに、彼女と同年代の聖子でさえ、開いた口が塞がらなかったくらいだ。ましてや嫁入り前の娘がそんな理由で転居、転職を決めたなんて知れたら、両親は大反対するに違いない。

「いいの?それで」
「うん、今のところは」
そこまで言う佳奈の決意の固さを知った聖子は、溜息をつきながらも頷いた。
「そうか。佳奈がそこまで言うなら、私ももう何も言わないわ」
「ありがとう、聖子」
「でも、本当に大丈夫なんでしょうね、その人」
「いい人だよ。こっちにいる間に一度会ってほしかったんだけど、彼の方がもう東京を引き上げているから、無理かな」
佳奈はそう言うと、友人に一大事を告げた安堵を滲ませる笑みを浮かべた。
「そうだ、聖子、連休にでも遊びに来てよ。そうすれば彼とも会えるし、ゆっくり話もできるから」
「えっ」
聖子は即答できなかった。
佳奈の引越し先に行くということは、即ちあの場所に近づくということにも繋がる。和久との一件もあるので、できれば近寄りたくないところだが。
「う、ん…分かった。そっちで落ち着いたら連絡をくれる?そのときに考えてみるから」
佳奈はその答えに小さく頷くと、聖子を正面から見つめた。
「また時々近況報告も兼ねてメールをするから。大丈夫だよ、ちゃんとやっていけると思ってる」
「諸手を上げて賛成はできないけど。佳奈が自分で決めたことだから、応援するよ」
「うん。ありがとう。聖子もこっちで、がんばってね」



それからひと月後、佳奈は借りていたアパートを引き払い、東京を後にした。
引越しの荷物を送り出したその日、一度実家に戻ってから転居先に行くという佳奈を、聖子は一人、駅で見送った。
それから暫くの間は互いに頻繁にメールで連絡をとっていたが、いつしか徐々に回数が減っていった。だが、聖子はそれが佳奈の生活が落ち着いたせいだと思い込んでいたため、何も不審に思うことはなかった。

そんな矢先、突然彼女のもとに入った連絡は、思いもかけない人物からのものだった。




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