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月の宴 華の乱 その一 



「開門!開門っ」

急を知らせる早馬が止まることなく、開きかけた城門の間を駆け抜ける。
家臣たちと共に山城の天守に篭っていた鈴は、その声に一瞬目を閉じた。

戦場からの急ぎの報に嬉しいものなどあるはずもない。
あるのは嘆きと悲しみ、そしてそれがもたらす苦しみだけだ。

「お方様…」
青ざめた表情でこちらを伺う侍女たち。
中でも侍女頭の綾乃は、今にもその場に倒れてしまいそうに見えた。

「使者をこちらへ」
天守を降りた鈴は、土ぼこりをあげて止まると同時に転がり落ちるように馬から下りた男の元へと歩みを進める。
「誰か、水をこれへ」
男の様子を見た彼女は、つき従う侍女に命じた。

半分ずり落ちた具足、生々しい傷を負った顔体、振り乱した髪。
そのどれもがこの度の合戦の凄まじさを無言のうちに物語っていた。

「も、申し上げます」
侍女から渡された水を一気に飲み干した男は、息つく間もなく鈴の足元に跪き咽ながら声を張り上げる。
「景久様、幸成様、一昨日の戦にて討ち死、信義様、秋永様も行方が知れませぬ…」

周囲の者たちが泣き崩れる。
相良の親族の名が次々と呼ばれる。
夫と共に出陣した者たちのほとんどが、すでにこの世にいないと知らされた。

「そして、そして…」
そこまで一気に続いた悲報は、彼の躊躇で暫し途切れる。
気がつけば、男はその両眼から滂沱の涙を流していた。
「お、御館様には、本日の西の原の戦にて…御討ち死になさいましたっ」

あちこちに悲鳴と怒号が飛び交う。
ついに綾乃は気を失い、他の侍女に付き添われながら奥へと運ばれた。
だが唇を噛み締める鈴の目に涙はない。

「して、敵方の、右近の様子は?」
「はっ、明日の早朝にもここに入城する所存かと」

鈴は閉じていた目を開け、ぎりっと歯を食いしばると、城に残っていた兵たちに向かって命じた。
「すぐに城内のものを全員集めなさい。大事な話があります」


天守の前に集められた群衆は、おおよそ五百。
この城内にいれば外敵からは守られる。
この時代の城は、民たちを戦火から守るためのシェルターでもあった。
群衆の中には城を守るために残された兵士たちのほか、領民、夫や息子を戦地に送った家臣の妻子たちも含まれており、その誰もがこの度の成り行きに途方にくれているようだった。

「皆も、もう聞き及んでいるとは思う」
こう眼下の民に切り出した鈴は、粗い三層造りの櫓の最上階に立っている。
「殿が…景之様が討ち死になされた。明日にも、ここには敵方が大挙して押し寄せよう」
動揺にどよめき、すすり泣く民の声が楼に響き渡る。
鈴は目を閉じた。
景之や自分、そして家臣たちが丹精したこの地が敵の将兵に踏み荒らされることを考えると、やり切れない思いだった。
誰の目も気にせず夫の死を悲しみ、皆のようにその場に泣き崩れたかった。
だがその前に、彼女にはまだやらなければならないことがある。
相良の長であった景之に代わって、領民たちを守るという最後の役目はまだ終わっていない。

わたくしは、まだ泣けない。泣いてはいけないのだ。

「今夜のうちにここを去るよう、皆に申し渡す。身の回りのものをまとめて夕刻、再びここに集まってほしい。仔細は世話役の者が指図するので、それに従うように」

この山城の地下には、自然にできた洞窟が複雑につながった抜け穴が無数にあった。
城と外を繋ぐものはそのうちの数本。
相良家は予めその出口近くに神社や仏閣を配し、いざという時の蓄えを隠していた。
そこに身を寄せれば、民たちは暫くの間ならば飢えることなく食いつないでいられるはずだった。

三々五々に散っていく群衆を楼の上から見送った鈴は、向き直ると側に控えていた侍女たちにも同じように命じた。
だが民たちとは違い、彼女らは誰もその場を動こうとはしない。
「お方様、私たちは最後までお方様と共にここに残るつもりでございます。主お一人を残していくことなどできるはずがありませぬ」
一番年かさの侍女の言葉に皆が頷く。
その言葉を聞く鈴の目に、堪えきれない涙が滲んだ。
ここに嫁いで三年余り、いつも側にいた者たちと別れることは鈴にとっても辛いことだった。

「皆の気持ちはありがたいと思う。だが…」
一瞬亡き主、景之を思い浮かべた彼女の声が震えたが、すぐにいつもの気丈さをとり戻した。
「これは殿のご指示なのです。それに、ここに右近の者たちが入ってくる以上、これからも皆一緒にいられるとは限らない。風の噂では武人でありながら、負けた国の女子たちを嬲り者にしたり、下賎な者たちに売り飛ばす、恥知らずで野蛮な輩もいると言うではないか。よいですね、皆でここを逃れるのです」
「しかしそれではお方様は…」

鈴は穏やかに微笑んだ。
「案ずる事はない。わたくしも決して無駄死はいたしません。できる限り、どんなことをしても生きて、生き延びてみせましょう。相良の家を絶やさぬこと。それが、わたくしに科せられた最後の命なのですから」




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