BACK/ NEXT/ INDEX



蒼き焔の彼方に  23


佳奈の病室で意識を失った聖子は、そのまま懇々と眠り続けた。
和久に抱かかえられて車に乗り込む際も、そこから降りてベッドに横たえられた時も、身動き一つせず、ただ静かな寝息を立てているだけだった。

彼女を部屋に運び込んだ和久はその寝顔を見つめながら、病室での困惑した医師の様子を思い出していた。

医師は甦生した佳奈を見ながら、何度も「あり得ない」を繰り返した。
一度は死亡の宣告をしようとした患者が、息を吹き返しただけでなく自発呼吸をし始めたのだ。体温も少しずつ上昇していき、今では35度台まで回復値を示している。
見てはいけないものを見てしまったような顔をして、狐につままれたとでもいうように愕然としていた医師は、はっと我に返るとすぐに看護師に彼女のバイタルチェックを命じた。
そしてその様子を横目で見ながら、傍らにいた和久たちにこう告げたのだ。
「こんなことは、初めてです。甦生、というにはあまりにも…何と言いますか不可思議な感じで。
私はこの世界に入って30年近くになりますが、こんな話は聞いたことがない。もちろん見たのも初めてです。一体その女性は患者に何をしたというのか、私にはこの状況を説明する自信がない」


もちろん、側で見ていた和久にも、聖子が佳奈に何をしたのか、はっきりとは分からなかった。今までもサダが何度か同じ様なことをしているのを見てはいたが、今夜ほど顕著にその回復の兆候が表れたのを感じたのも初めてだった。

特殊な能力を持たない彼は、数日前、サダにその仕組みを尋ねてみた。その時に返ってきた答えが「風守の力」という言葉だった。
サダの言い分ではこうだ。
古の風守の民は、生まれた時から各々がさまざまな能力を持っていたという。その力に多少の強弱はあるものの、彼らは自らがそれを使うと同時に、同族に分け与えることもできたのだとサダは話した。

「今、儂がしておることはその名残りじゃ。昔の村人はこうして互いを護りあった。この行為こそが、風守の民の力であり、彼らの最大の防御であり武器でもあったのじゃよ。そして、民の力を集め、使いこなすだけの強大な力と技量があるものが巫女として据えられた。
風守の巫女は占いに長けたものというだけではない。村を治め、守るための盾であり、戦うための矛でもあった。村人たちは巫女に従い、何事かが起きれば我が身を削ってでも迷いなくその力を差し出す。それを集め、戦うのもまた巫女の役目であったのじゃ。
それを鑑みれば、初代が…喬久公が巫女にした仕打ちは村人を蜂起させるには充分な屈辱じゃった。巫女の怒りの言い伝えは、そこから来ておるのじゃよ」

サダはそう言って彼を見据えると、大きく息をついた。
「おお、話が横道に逸れたのう。
主殿がお尋ねの、儂の『力』じゃが、普通の人には全くとは言わんが、あまり効能はない。これが大きな効力を表すのは、同族の者に対するときだけじゃ」
「しかし、彼女…佳奈さんは、この村の出身ではないでしょうに」
「ああ、そのようじゃな。だがこの娘さんは戻りの風じゃ」
「戻りの風?」
よく理解できないという顔をした和久に、サダは薄く笑いを浮かべて頷いた。
「長い間この村は外の世界と隔てられてきた。しかし、まったく行き来が絶たれていたわけではない。時折、外の世界に憧れた者たちがこの村を離れ、そこに移り住んだ。そして村の外の人間と夫婦となり、子や孫を残した。それらの子孫にも、ごく稀にじゃが、弱いながらも風守の力を有するものが現れる。それを『戻りの風』と呼ぶんじゃよ」
「では、彼女がそれだと?」
「ああ。それもこの娘さんは、かなりの力を持っておる。自分では気付いておらなんだようじゃがな。それで、これほどまでに強く御霊に縋られたのかもしれぬのう」

和久は再びベッドで眠る聖子を見つめた。
仮にサダの話が本当だとすれば、佳奈に「力」を、それもかなり顕著に分け与えることができた聖子も「戻りの風」ということになる。
しかし、サダは決して聖子のことをそうとは呼ばない。その扱いの差が、どうしても彼には合点のいかないことだった。

そしてもう一つ。
彼にはサダの話の中に納得がいかないことがあった。
それはサダをはじめとする村人の間に伝わる伝承と、彼の中にある記憶のギャップだ。
サダは確かに初代喬久が巫女に屈辱を与えたと言った。だが、彼には…喬久の記憶にはそういったことは存在しない。
どこでこの食い違いが生まれたのかが、彼にはまったく分からないのだ。

「とにかく今夜はこのまま寝させておく方がよさそうだな」
彼は聖子に掛けた布団を直すと、足音を忍ばせて部屋を後にしたのだった。



翌朝早く、和久はけたたましく鳴り響く警報音にたたき起された。
時計を見ると、まだ寝入ってから3時間も経っていない。
「一体何事だ?」
一旦アラームを止め、警備会社に確認の連絡を入れると、誰かがセキュリティーを解除せずに離れの鍵を開けたことが分かった。外から侵入した形跡がない様子から、内側から屋外に出たのではないかと推測されたが、念のために会社の方からも警備員が確認のためこちらに向かっている最中であるとの報告を受けた。

まだ家政婦が来る時間ではない。となると、残る選択肢は聖子が勝手に外に出たとしか考えられない。

まさか彼女が?こんな時刻に、一体何のために?
彼女には最初の日にセキュリティーのためのアラームが設置されていることを伝えておいたはずだ。それを忘れて軽はずみな行動するような女性とは思えなかったが。
大体、こんな時刻にどこに行こうとしているのか。
彼は小さく息を吐き出すと苛立たしげに顔を擦った。

その時再びアラームが大きな音を立てて鳴った。
「本宅から?」
今度、警報装置が作動したのはここではなく、母屋の方だった。
「とにかく行ってみるか」
和久は急いで服を着ると、足早に回廊を渡って本宅の方へと向かう。
果たしてそこで彼が見たものは、無理矢理に入口の扉をこじ開けようとして、髪を振り乱しながら必死になってもがいてる聖子の姿だった。




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME