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蒼き焔の彼方に  22


連絡を受けた聖子たちが病院に駆け付けた時、佳奈はすでに自力では呼吸もできない状態で、呼吸器をつけられていた。

「佳奈は、大丈夫なんですか?」
聖子はベッドの側で看護師に指示を出し続けている医師に縋り付いた。
「まだ何とも…。それにこの体温は異常な数値ですから」
佳奈に付けられた体温計はすでに25度近くまで下がっていた。通常では、かなり重篤な低体温であり、生命の維持に必要な温度を下回っている。
「もうこれが40分以上続いています。普通ならばいつ心停止してもおかしくないような状況ですが、弱いながらもちゃんと心臓は機能している。私もこんなのは初めてです、まるで…ゆっくりと冬眠状態に陥ろうとしているみたいに。ただ、人間は冬眠することはできません、身体もそういう構造には作られていない。ですから、もし、そういう状況になれば…それは確実に死に繋がります」

「そんな…」
それを聞いた聖子は、戸口の近くで待機している和久に助けを求めるように詰め寄った。
「すぐにあのお婆さん、サダさんに話をして…」
「無理だ。おばば様は夕方から高熱を出して寝込んでいる。連絡をすれば熱をおしてでも駆け付けてくるだろうが…。ただでさえ、ずっと無理を承知でここに通うように頼んでいたんだ。あの高齢の老人にこれ以上の負担は掛けられない」
「でも、このままだと、佳奈が、佳奈が…」

その時、佳奈に付けられていたアラームが小さく警告音を発した。
「先生、体温が25度を切りました」
「心拍は?」
「弱いですが、まだ振れています」
医師も看護師も何とか状態を維持しようと躍起になっていた。
「強心剤の投与を。それから体温を上げるよう処置して」
ばたばたと動き回るスタッフの真ん中で、佳奈は身動きもせずに横たわっている。血の気がない真っ白な顔に計器のランプが反射して不気味に映し出されている。

「ああ、どうしたらいいんだろう。どうしたら…」
聖子は両手を胸の前で固く握りしめた。
医師たちが最善の努力をしていることは分かっている。しかし、このままだと佳奈は為す術なく死んでしまうかもしれない。
その時、聖子の脳裏に前日にサダから言われた言葉が甦った。
『同じことがお前様にもできるはずじゃ。今はできんでもいい。じゃが、もしもの時には…』

「無理よ。私には無理」
聖子は脳裏に過ぎった言葉を否定するように頭を振ると、小さな声で呟いた。
だが、何もできないままで、見す見す佳奈を死なせてしまうかもしれないという恐怖は振り払うことができなかった。
『もし…もしも、じゃ、儂に何かあった時には、お前様があの娘さんを救うこと。これが為せるのはお前様しかおらんのでな』


「仕方がない、とにかくもう一度おばば様に連絡をしてみよう。もしかしたら、来ることができるかもしれない」
蒼白になった聖子と状態が悪化の一途を辿る佳奈の様子を見た和久が、携帯を使うために病室から出ようとしたその時だった。
先ほどよりも大きなアラームが病室中に響き渡った。
「先生、心拍が…」
「心停止か?」
「血圧もさらに低下しています」
「いかん、すぐに心肺蘇生を」

切迫したやり取りに、弥が上にも緊迫感が増す。
テレビのドラマでしか見たことにないような器具がセットされ、佳奈の身体にあてがわれる。スタッフの掛けと共に、数回、彼女の全身が撥ねたのが見えた。
「先生、心拍が完全に落ちています」
「無理でしょうか?」
「まだ分からん」
再度けたたましいアラーム音が響き、一瞬スタッフの動きが止まる。
モニターがフラットになり医師は必死の形相で心臓マッサージを繰り返しているが、アラームは鳴り続ける。そのうちに完全な停止状態を示す更に大きな警告音が辺りに鳴り響いた。
「ダメだったか…」
医師はその後もしばらくマッサージを続けていたが、そう呟いて手を止め、死亡宣告前の確認のためにペンライトで佳奈の瞳孔を覗き込もうとした。

「待ってください」
その時、突然聖子がスタッフの間をすり抜け、ベッドの側に立った。
「お願いです。私にやらせてください」
「やるって、一体何を…」
驚いた様子で彼女を見つめる医師を余所に、聖子は昨日サダがやっていたように佳奈の額に自分の手を乗せた。
本当にこんなことで、自分のエネルギーを分け与えることができるのかは分からない。だが、今の彼女にできることは、ひたすらにそれを念じ続けることだけだった。

『お願い、助かって』

すると徐々にサダの手から感じた時のような、温かい感触が手のひらに広がっていくのが分かった。
自分の手から放出される熱が佳奈の方に向かって流れていく。それと相反するように、聖子の中に彼女の意識が流れ込んでくるのも感じる。

一体これは…何?

心の準備をする間もなく始めてしまったために、咄嗟にそれを遮る余裕がなかった聖子は、ダイレクトに佳奈の意識に触れることになった。それが少しずつ形を作り、流れ込んだ聖子の思考を侵食していく。
自分の中にあっても、自分のものではない意識。
彼女は徐々に他者の思考を自分と同化させ始める。
その変化は側で見ていても気づかない者がほとんどだったが、和久だけはそれに感付いていた。

「先生、見てくださいっ」
看護師が慌ててモニターを指し示した。
見ると、一度は完全に停止したモニターの針が、いつの間にか振れ始めている。
「すぐに再度蘇生を開始する。そこから避けて下さい」
医師に促されるも、聖子はその場から動こうとはしなかった。
「そこから避けて」
再度促されるも、彼女は微動だにせず、立ち尽くしたままだ。

側に寄って彼女をその場から引き離そうとした和久は、聖子が立ったまま、意識朦朧としていることに気がついた。
後ろから身体を支えられ、引きずられるようにしてようやく部屋の隅に退いた聖子は、彼を見て小さく悲鳴を上げると、その場に崩れ落ちてしまう。和久はその様子に不審を持ったが、すでに聖子は完全に意識を失っていた。
「君?しっかりするんだ。東さん、東さん?」

「心配ない、力を使い過ぎただけじゃろう」
和久は背後から突然聞こえた声に驚いて振り返った。
「おばば様、大丈夫なのですか?」

そこにあったのは、関口に負ぶわれたサダの姿だった。
「すみません、どうしても行くと言って聞かなくて」
関口はそう言うと、背中の老女を振り返った。
「儂のことは心配いらん。熱も下がった。それよりも早く家につれて帰って、その娘さんを休ませてやりなされ。かなり疲れておるじゃろうからな。
この調子なら、こっちの娘さんも今夜一晩くらいは大丈夫じゃ。儂も様子を見たらすぐに帰る」

サダに促された和久は、後を名木や関口たちに任せて病院を後にした。
その時聖子の身に何が起きていたのか、彼はその後、それを自分の身を持って知ることになるのだった。




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