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蒼き焔の彼方に 番外編

瀧澤和久の追想  1


自分が自分だけのものでないと、気付いたのは何時のことだっただろうか。
同じ年頃の友人たちに比べて抜きん出た理解力と考察力、そして子供らしさのない落ち着きは、周囲の大人たちを身構えさせるに充分だったらしい。

だが、私の記憶をたどれば、少なくとも小学校に上るまでは、普通の子供とそんなに大差はなかったように思う。
確かに瀧澤に生まれたせいで、いろいろな面で他の子供たちとは違うことは多々あった。
例えば、家には常時、片手では足りないくらいの使用人がいて、家事はほとんど彼らがしていた。父親はおおよそ家庭人とは言いがたい人で、年がら年中仕事や社交に追われていたし、和久が中学生になる前に離婚してここ去った母親も、家にはほとんど寄り付かなかったからだ。
必然的に、子供の身の回りの世話は留守を預かる家政婦やメイドたちに託されることになり、私は彼らに育ててもらったと言っても過言ではないだろう。
それでも毎日学校に通い、友人たちと遊び、喧嘩をしては教師に叱られ…傍目には、そこらの子供たちと何だ違いはないように映っていたはずだった。

その状況が劇的に変わったのは、確か小学校2年生になった頃のことだった。
ある日、私は自分が見たことも聞いたこともないものの存在を夢に見た。
それは見たこともないような服を着たうら若い女の後姿で、両手で蒼白く輝く珠を掲げ、何かを一心に祈っているように見えた。
私は何をしているのかと不思議に思い、声を掛けた。
振り返った女が親しげな笑みを浮かべ、手を差し出す。それを掴んだで引き寄せた途端、辺りが急に暗転し、気が付けば自分はいつものベッドから飛び起きていたのだ。

あれは一体誰なんだろう。そして私は何を…?

女に触れたのは自分に間違いないのに、その感触も、熱も感じられなかった。それに、差し出した手の大きさや掛けた声は明らかに自分のものとは違っていた。そう、もっと年上の、大人の男のもののように思えたのだ。
それから暫くは何度もその夢を繰り返し見た。
男女の動きの一挙手一投足までも思い描けるほどに。

まだ幼すぎて分からないこともあったが、それでも自分が何かの使命を持っていることを自覚するには、充分すぎるくらい現実感のある夢だった。
いつものように父親は不在で、たまたま家に戻っていて、私から最初に話を聞くことになった祖父は、その出来事をこう呼んだ。

内在していた、始祖の記憶の覚醒。

彼の身に起きたことは、この世のどこかに蒼焔の巫女の生まれ変わりが現れたことをこの家に知らしめる役割を果たす。 祖父自身は体験したことはないが、近いところでは彼の曽祖父にあたる人物が同様であったという前例を聞き知っていた。
瀧澤の家に残るもっと古い記録からも、何代かに一人は必ずこういった現象を引き起こすことは明らかだった。その事象は「先祖返り」と称され、潜在的に有している過去の記憶、それも初代当主である喬久のものを引き出すことのできた当主、またはその跡継ぎのことを指すのだそうだ。

祖父はこれが私の代に起きたことを喜ぶと共に憂えた。
それは、瀧澤を長らく苦しめてきた巫女の呪縛から解放する可能性を秘めていると同時に、唯一の後継であり、ただ一人の孫でもある私の生涯を長く束縛する危険性を孕んでいることを知っていたからだ。

巫女の転生は、瀧澤の当主にとっては諸刃の剣。
先祖返りという、その番(つがい)として名指された者は、巫女の存命中は決して他の伴侶を娶ることは許されない。それが叶うとすれば即ち、巫女がこの地に戻れぬままにこの世を去り、また再び瀧澤にかけられた呪いを解く機会を失ったという、絶望的な状況に陥った場合に他ならないからだ。

祖父の曽祖父という当主も、四十過ぎまで独身のままだった。
そして巫女の帰還の可能性が完全に絶たれた後に、親子ほども年の離れた縁故の娘を妻に迎え、五十近くでようやく跡継ぎをもうけた後にこの世を去っている。家の存続を望まれる旧家の当主でありながら、当時としてはありえないくらいの晩婚になった理由もまた、巫女の転生によるものだったのだ。



それから数年後、祖父が他界すると、家督は父親に引き継がれた。
その頃になって、初めて私は本当の意味での「瀧澤の当主の務め」を知った。
対外的には、瀧澤観光をはじめとする瀧澤グループのトップとして君臨するのがそれに当たる。だが実際のところ、経営はほとんど有能なブレーンに任せきりで、自分たちにはもっと重要な役目を担うことを課せられるのだ。

それが聖域の維持と新月の祭祀だった。
瀧澤家の当主は、新月の数日前から俗世との接触を絶ち、神事に向けて準備を行う。自らやってみて分かったことだが、この潔斎が思った以上に精神と肉体を疲弊させる。歴代の当主が短命なのはこれが一因ではないかと感じたほどだ。
元々丈夫な性質ではなかった私の父親も、当主の地位を引き継いでから後、体調を崩しがちになった。おそらくは、自分の体のことと、家の維持だけで精一杯で、他のことに気を配る余裕はなかったのだろう思う。
だからその間、私は進学に託けてこの村を飛び出した。
都会には煩い世間や親の目の行き届かない、自由な世界が広がっていて、今まで「瀧澤」の名の元に抑えつけられてきた鬱積を思う存分発散することができた。
暫くの間は、次の当主としての重責も、旧家の跡取りという枷も、何もかもを忘れて普通の若者としての生活を満喫していたのだ。

大学卒業後、父親の命に背いた私は、単身海外に渡った。
そうすれば少しでも長く自由でいられると考えたからだ。しかし、僅か2年でその反乱は終わった。
父親が突然倒れ、そのまま他界してしまったために、この村に戻らざるを得なくなったせいで。

そして私は若干25才にして、瀧澤の当主となった。
今のご時勢、自分が嫌なら家など捨ててしまえばよいと思われるかもしれない。
だが、幼いときから刷り込まれた旧家の跡目の責任と義務の教えは、そう容易く放棄できるものではない。
ましてや私には、「先祖返り」としての重責も担うことが求められていたのだから。

それに、認めたくはなかったが、私はある時点で一つの事実に行き着いていた。
それは、家のためではなく「私自身もまた、巫女の存在を求めている」ということだ。
ここを離れている間に、それなりに恋愛もしたし、体だけの関係を持った女も幾人かいた。だが、どれだけ他の女たちを抱いても、決して私の情欲が満たされることはなかった。家云々にまったく関係のない女性たちとベッドを共にしながらも、無意識に彼女たちに巫女姫の存在を重ねている自分に気づくたびに、慄然としたものだ。
これが祖父の恐れていた「束縛」であると気付いたのは、家を継ぎ、この地に落ち着いてから後のことだ。
それまでは、私を拘束するのは家であり、役目であると思っていた。当主であるからこそ祭祀を執り行わなくてはならない、先祖返りであるからこそ巫女の帰りを待たなければならないのだと。
だが、実際にはそれらに縛られるのとは別に、自らの意志で巫女の帰還を待ちわびている気持ちに気付くと同時に、彼女は必ず自分の匹偶とならねばならないという思いが強く湧き上がった。
まだ見たことも、触れたこともない女に対する、激しい独占欲に支配される自分がそら恐ろしくなったこともある。
その強すぎる感情こそが、自分を縛る枷、本当の意味での「束縛」だった。

しかし、肝心の巫女の転生が、今どこで何をしているのかはまったく分からなかった。探そうにもその方策すら掴めないまま、時間だけが虚しく過ぎていく。
僅かばかりの手がかりになりそうなものと言えば、吹野のおばば様のご神託くらいで、それすらも確信を持てるほどのものではない。
結局、彼女の方からこちらに戻って来なければ、私としてはただその時を待つしか、打つ手がなかったのだ。


そんな苛立ちを胸に秘めたまま、日々過ごしていた私の願いが、叶うことになった。
ある日突然、目の前に現れた一人の女。
それが巫女姫の…蒼焔の巫女の生まれ変わりである聖子だった。




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