BACK/ INDEX



蒼き焔の彼方に 番外編

瀧澤和久の追想  2


彼女に初めて会ったのは、あの岩屋の祠の前だった。
普通ならばそこまで入ってくることのできる者はいないはずだ。何せ聖域は幾重にも結界が張り巡らされ、瀧澤の本宅の庭園裏から続く登山道以外は、道はあれども常人には見えないように設えられている。
山中に何本かある、獣道のように複雑な細道を見分けることが可能なのは風守の民の、それも強い能力を持つものだけで、その力を持たない私などには当然のことながらそれを見極めることはできなかった。

私が最初に見つけた時、聖子は我々が触れることをタブーとしているご神木に両手を突いて、何かを呟いていた。私が見ている気配に気づくこともなく、半ばトランス状態に陥っていたように思う。
後になって分かったことだが、あの老木の洞に長年私たちの先祖が探し求めていた珠玉が隠されていたのを知ったときには本当に驚いた。何せその木は歴代の当主たちが祭祀を行ってきた場所の、ほんの目と鼻の先にあったのだから。
こんなに身近な場所にあったのに何百年もの間、誰も探し当てられなかったのは、この神木に触ることを禁じられていたせいに他ならないだろう。
今思えば、もしかしたらこのタブー自体も我々が珠玉を見つけ出すことに対する牽制で、長く解かれることのなかった呪縛の一端を担っていたのかもしれない。



山中で聖子に会った時から、私は彼女に強く惹かれていたのだと思う。だが自分は巫女を待たなくてはならない身。どんなに手に入れたいと思っても、それだけは常に頭の片隅に置いておかなくてはならない戒めだ。
おまけにあの当時の彼女は、近寄ってくる男に対してまるでハリネズミのようにとげとげしくて、全身から「私に触るな」というオーラを漂わせていた。
顔を突き合わせるたびにさっと身を交わすか無視を決め込むか、さもなくば突っかかってくるかのどれかで、反応は面白いが実に扱いにくい女だった。

そんな聖子の中に、蒼焔の巫女が潜んでいると分かったのは、私と二人きりになり彼女の能力が暴走した夜のことだった。
信じられないことに、彼女は内在する巫女の意思に背こうと足掻いていた。
私たち瀧澤の先祖返りは、初代喬久の記憶を我がものとするが、それはあくまでも古の記憶であって、現在の自分の行動には直接影響を及ぼさない。
感覚的に左右されることはあっても、それに抗う必要はなかったし、記憶は記憶として頭の中の引出しに納めたまま、自分の判断を優位に立てて物事を処理することも充分可能だった。

だが、彼女は…巫女の生まれ変わりはそうではないようだった。
聖子の中には自身の人格とは別個に、巫女姫の人格が潜んでいた。それが表に現れるときには、必然的に彼女が沈んでしまう。その入れ替わりが互いの了承のもとでスムーズに行われない場合に、一つの身体にある二つの人格が主導権争いを始めてしまうらしい。
私に向かって来ようとする巫女姫と、それをギリギリのところで阻止しようと抵抗する聖子。
これを事情の分からない他人の目の前でやってしまえば、間違いなく彼女は精神を病んでいるか、もしくは多重人格の烙印を押されかねないような状況だった。
私もその時初めて転生した巫女の有り様というものを目の当たりにして、愕然としたものだ。
しかしそれも止むを得ないことだろう。
なぜなら長い歴史の中、今まで瀧澤の当主の誰一人として、巫女の生まれ変わりに直接遭遇できた者はいなかったのだから。



巫女と珠玉の力によって、瀧澤の先祖たちの霊が浄化されると同時に、聖域内の岩屋の祠は倒壊した。
それに伴い、以前は新月ごとに行っていた祭祀も、今では年に一度、呪縛の解かれた日だけに行うことと決めた。
また、陥没と、それに続く土砂崩れで埋没した霊廟を地上から整地した跡には、先祖墓と供養塔を建立したが、果たして本当に先祖たちは土に還ることができたのかは定かではない。
それを知るには膨大な土砂を取り除き、霊廟を再度掘り起こして遺体の状況を確認するか、もしくは考えるだけでもぞっとするが私自身がこの世を去った後に、亡骸がどうなるのかを残ったものが見極めるしかないだろう。
だが私としては、当主としての立場上、正面切っては言えないが、願わくば自分の死後は火葬にしてその遺骨を、先祖たちの眠る墓ではなく、妻と同じ場所一緒に葬ってほしいと望んでいる。

将来、よほどのことがない限り霊廟の跡地が掘り返される可能性は少ないし、仮にそうなったとしてもあの深さまでは到達することはないだろうが、一応子々孫々まで管理はしっかりとさせるように遺言するつもりだ。


「あら、お帰りなさい。ちょっとタイミングが悪かったわね。今さっき寝たところよ」
家に戻ると、聖子がそう言って私を出迎えた。
結婚と同時に私たちは離れに新居を構えた。そこにあった私のオフィスは本宅に移し、今では事務所機能をすべてそちらに移管したので、離れは文字通り「自宅」となった。
彼女は出産ために仕事からは完全に退き、今では先月生まれたばかりの娘の育児に追われている。

「そろそろいいでしょう?あんまりじっと見てると顔に穴が開いちゃうわよ」
聖子に呆れ顔で揶揄され、渋々自分たちの寝室に置いているベビーベッドの側を離れる。
自分の子供の、それも娘の寝顔はいくら見ていても飽きない。
これを見ることのできなかった喬久は、さぞ無念であっただろうとつくづく思う。
古の記憶によれば、彼は巫女姫に…自分に娘が生まれたことさえもはっきりとは知らされていなかったようだった。この村から遠く離れた戦場で、彼は最後に誰を思い、何を考えながら死んでいったのか。
引き継がれない記憶のその部分は、推して知るべしだろう。

「着がえてきて。食事の用意をしているから」
そう言い置いて部屋を後にする妻の後姿を見ながら、私はふと思った。
巫女姫は、始祖に娘のことを知らせようとしなかったのではないか?
彼女が子供を産んだ時、すでに瀧澤の中では後継の問題が燻っていたとしたら、巫女姫は敢えてその渦中にわが子を放り込むようなことはしなかったであろう。
結果としてその思慮も虚しく、彼女たちは惨禍を被り、母子は離れ離れになる憂き目にあったのだが。

できることならば、そのことを巫女姫に問うてみたいとは思うが、最後に交わした言葉通り、あれ以来巫女姫が表に現れてきたことはない。
恐らく彼女は自分を聖子の中の奥深くに沈めたまま、二度と姿を表すつもりはないのだろう。

だが、私は今でも時折聖子の中にいる蒼焔の巫女と、その思い人であった始祖に対して、複雑な思いを抱くことがある。 自分の妻と身体を共有する他の女が、自分以外の男に…例えそれが自分の先祖であっても、心を寄せることに不満を感じると言ったら、嫉妬深いと皆に呆れられるだろうか。

そんな思いに囚われながら、私は平服に着替えると最後に一度娘の顔を見てから寝室を後にする。
そして夕餉を用意して待っている、妻の元へと向かうのだった。




≪BACK / この小説TOP へ
HOME