久しぶりにあの夢をみた。 でも今日の夢は、結末が少し違った。 いつもなら、いつの間にか麻実は一人でどこかに消えてしまうのに、今日はずっと側に寄り添っていてくれた。 心配そうな、そして何かを言いたげな表情で、ただ黙って隣に座っていた。 迷子のように途方にくれて涙を流す木綿子の背中を、宥めるように擦る優しい手の温もりが嬉しかった。 あと少し、夢の中にいさせて。 木綿子の願いも虚しく、ゆっくりと夜は明けていく。 ぼんやりと明るくなった周囲に気付き、はっとして見上げた麻実の顔が少しずつぼやけ始める。 そして、ついに姿が霞んで見えなくなる刹那、麻実の指であのリングが光ったような気がした。 床に就いたまま数日もするとさすがに寝足りてしまい、ベッドでじっとしていることが苦痛になってきた木綿子は、昨日あたりから「リハビリ」と称して少しずつ動き回っている。 まだ時々ふらつくが、熱も下がった今となっては動いている方がよほど気分が良い。 「まゆ、ちょっとこっちへいらっしゃい」 幼稚園が冬休みに入り、母が外出している間は木綿子がまゆの面倒を見ていた。 まゆは居間の床の上にクレヨンや画用紙を並べて、お絵かきに勤しんでいる。 「なぁに?」 木綿子が入っているコタツの側にまゆが寄ってくる。 「ちょっと後ろを向いて」 背中向きになったまゆに、自分の首から外した細いチェーンをかける。 その先にぶら下がったリングを指で摘んで、驚いたように見上げるまゆに木綿子が微笑んだ。 「これはね、まゆのママが作ったものなの。失くさないようにちゃんと持っていてね」 「ママが作ったの?」 「そうよ。ママが自分と、ママの大切な人のために作ったの。だから、とっても大事なものなのよ」 神妙な顔つきでまゆが頷く。 麻実は細く華奢な指をしていたが、それでも子供の手には大きすぎるリングだ。 嬉しそうに中指にはめて、くるくるまわしていたまゆだったが、やはり最後にはチェーンに戻して首から下げる様子を、木綿子は複雑な思いで見ていた。 本当なら、一緒に父親のことも伝えられたはずなのに。 もし、それが剛ではなくまったく別の人であったなら…。 翌日、年末の慌しさの合間を縫って、剛が市瀬家を訪れた。 その時、あいにくと母は不在で、まゆも遊びに出ていた。 実家の場所を教えてはいなかったはずだが、彼はどこからかそれを探り出したようだ。多分、母親経由で園長先生あたりから聞き出したのだろう。 倒れてから数日。 そろそろ何だかの行動を起こさなければとは思っていた。 だが、今日の来訪は不意打ちだった。 インターホン越しに剛の姿を認めるや、木綿子は返事もせずにモニターを切った。 それでも何度か呼び出しが掛かったが、耳を塞ぎ、居間のコタツに潜り込んでやり過ごした。 モニター越しに見た剛の姿がたまらなく恋しかった。 ドアホンから聞こえてきた彼の声に、切ないほど胸が震えた。 それでも木綿子はドアを開けることができなかった。 今、彼と向き合っても冷静に対峙できる自信がなかったのだ。 一方、剛は家の前で一人途方にくれていた。 確かに中に誰かいる気配はするのに一向に応答がない。 ここに木綿子が帰ってきているはずなのだ。 聞いた話ではひどく体調を崩しているという彼女が、この寒さの中で外出などできるわけがない。 最後に会った時から数日。 心配で何度も電話をしたが繋がらず、メールをしてもまったく返事が返ってこない。 避けられているように感じたが、彼にはその理由に思い当たる節がなかった。 最初は私事だからと躊躇していたが、とうとう母親の伝手で彼女の職場にまで連絡を入れてしまった。 そこで聞き出したのが、木綿子が体調不良で欠勤していることと、実家であるここの連絡先と住所だった。 彼女の母親は落ち着いたら連絡させると言ってくれたが、数日たってもまだ音沙汰が無い。どんな状態なのかが気がかりで、ついに実家にまで様子を見に来てしまったのだが。 「さて、どうしたものかなぁ」 溜息をつきながら、門の前に停めた車に乗り込もうとした時、後ろから知った声に呼び止められた。 「おにいちゃん?」 振り返ると、そこには息を切らしたまゆが立っていた。 「まゆちゃん、どうしたんだ?」 「そこの公園でおともだちと遊んでたんだけど、うちの前に車がとまったから急いで走ってきた」 忘れないうちにと車のドアを開け、中から綺麗にラッピングされた包みを取り出してまゆに渡す。 「クリスマスに会えなかったから。ちょっと遅くなっちゃったけど、プレゼントだ」 嬉しそうに受け取り、ありがとうと礼を言うまゆを見て、剛も顔を綻ばせる。 「お姉ちゃんにもあるんだけど、家にいないみたいだね」 それを聞いたまゆが即座に否定する。 「そんなことないよ。おねえちゃん、まだお家から出ちゃぁいけないんだもん。たぶんまた寝てるんだよ」 「まだそんなに調子が悪いのかい?」 「ううん、ずっと寝てることはない。もう起きてるよ」 「でも呼び鈴を鳴らしても出てこないんだ」 「ふーん、変だなぁ…クシュン」 その時、まゆが口を手で押さえてくしゃみをした。 頬を赤くして、しきりに鼻をすするまゆに渡そうと、ポケットからティッシュを取り出した時、カバーに引っかかっていた何かが一緒に道に転がり落ちた。 「あっ」 気付いたまゆが、急いで転がるものを追いかける。 「はい、これ」 まゆが剛の手のひらに置いたのは、鈍い光を放つリングだった。 木綿子が彼のマンションからいなくなった日、リビングテーブルの上に置いてあったものを無意識にジャケットのポケットに押し込んだらしい。 あの時は急に姿を消した木綿子の行き先を探すことに気を取られていて、なぜこのリングがあんなところに置いてあったのかを考えることもなかったのだ。 ポケットに入れてからは、そこにリングがあることすら忘れていた。 「あ、これ、まゆのと同じだ!」 そう言うとまゆは手袋をはめた手でぎこちなく、胸元からチェーンを引っ張り出した。 「これ」 鎖に引っ掛けたまま、剛の手のひらに並べて置いた指輪はサイズこそ小さいが、剛の持つものと同じデザインであることは間違いなかった。 「これは?」 「あのね、お姉ちゃんがくれたの。まゆのママが作ったんだって。とってもとっても大事なものなんだって」 剛は暫くその場に固まったように動けなかったが、頭の中だけは物凄い速さで回転していた。 同じデザインの、一対のペアリング。 まさか、そんなことが本当に…あるのだろうか? HOME |