「近いうちに、一度ご両親に挨拶にうかがってもいいか?」 そう言われてからひと月近くが過ぎた。 旅行の翌週に二人で土産を持って帰省しようと予定していたが、まゆが麻疹に罹ったと母から連絡があり、延期になってしまった。 そしてそのまま次の予定が立たないうちに師走に入り、互いに忙しくなってしまったせいで、彼と両親の対面はなかなか実現しなかった。 二人の間では、それまでと同じように週末は互いの部屋を行き来する生活が続いていた。 ただ以前と変わったことがあるといえば、いつも夕食を済ませると帰っていた自分の部屋に戻ることがなくなったことくらいだろうか。 金曜日、仕事を終えるとそのまま日曜日の夜までは、どちらかの部屋で一緒に過ごすことがほとんどだ。 剛は相変わらず多忙で、週末休みの日でも時折病院から呼び出されることがある。 それは日中のみならず、緊急に手術が必要な患者が出た時は夜中でも容赦なく携帯が鳴り響く。 「独りモノだと思ってやたらに呼び出しやがる。まったく…」 彼の部屋に泊まっていたその日も、深夜に緊急コールが鳴り、渋い顔をしながら出かける支度をする剛をベッドの中から見ていた。 「せっかく週末はゆっくりしようと思っていたのに…悪いな」 「私はいいけれど、剛さんが大変ね。帰ってきたばかりなのに、もう呼び出しに掴まるなんて」 先週から10日間ほど、剛はこちらの病院を休んで渡米していた。 彼は、以前アメリカに留学していたことがあり、そこで最先端の移植医療を学んでいたのだと聞いている。志半ばで家族の不幸があって、途中での帰国を余儀なくされたが、今でもあちらの学会に論文を提出しているらしい。 その学術研究のフォーラムのための渡航だった。 「弟が事故死しなかったら、俺はまだ日本へ戻ってきていなかったかもしれない」 一つ違いの弟さんは、医者ではなく建築技師の道を選んだそうだ。 大手の建築会社に入り、日本だけでなく海外へもたびたび仕事に出ていたという。 弟の急な死を受けて、パニックに陥った両親だけでは事後の対処がしきれないと判断した親族に、急遽留学先から呼び戻されたのだと聞かされていた。 止むに止まれぬ事情だったとはいえ、途中で研究を諦めざるを得なくなったことはさぞ心残りだったに違いない。 だが、剛の中では、優先順位は家族の方が上にあったと口にして憚らないところがいかにも彼らしかった。 今回のフォーラム自体は余裕のある日程だったにも関らず、剛はかなりハードなスケジュールをこなして帰国した様子だった。移動に時間を取られる上に、こちらの仕事も出国ぎりぎりまでしていたのだから、体力的にもかなり無理をしていたのだろう。 「ただいま」 金曜日の夕方、彼は自宅へと戻ってきた。 木綿子は仕事を早目に終えて、帰国する剛のために彼のマンションで食事を作って帰りを待っていた。 「お帰りなさい。お疲れ様」 玄関で迎えられ、労われた剛はほっとした様子だったが、さすがに疲労の色は隠せない。 「さあ早くお風呂に入ってきて。すぐに食事も準備できるから」 次々に指図をする木綿子に、いつもならからかいの一つも口にする剛だったが、疲れていたのか、言われるがままに風呂へと向かう。 食事を済ませ、そのままベッドに直行した彼は、後で木綿子が隣に潜り込んだことにも気付かないほどぐっすりと眠り込んでいた。 翌朝、まだやっと太陽が昇り始めた頃、まどろみの中にいた彼女は耳元で囁く声に起こされた。 「木綿子…」 薄っすらと目を開けてみると、そこには彼女をのぞきこむ愛しい人の顔があった。 「剛さん?どうしたの…」 いい終わらないうちに唇を塞がれ、彼の手が体に優しく触れ始めた。 まだ夢うつつで、半分も目覚めていない頭よりも先に体が反応する。 彼の無言の求めに応じるように、木綿子の体は潤い、膝の力が緩む。 密やかな場所に押し入られた時も、意識は抗っていたが、体はすんなりと彼を受け入れた。 そして、掠れた唸り声と共に果てた彼の体が沈みこんでくると、木綿子はその重みを自らの体で柔らかに受け止めた。 「急に…驚いたわ。どうしたの?」 自分の上から動こうとしない彼の背中を撫でながら、ぼんやりと呟く。 その問いかけに、ようやく体を起こした剛は、少し位置をずらすとそのまま木綿子の隣に倒れこんだ。 「体はバラバラになりそうなくらい疲労しているけど、一部分だけ異様に元気な場所があってね。目が覚めて、隣に君がいるのが見えた途端に我慢できなくなった」 あまりにストレートな表現に、木綿子は目を丸くした。 いつもは初心な彼女を気遣ってか、婉曲な言葉しか使わない彼が、こんな直球で挑んできたのは初めてだ。 「ホテルにいた間もずっと木綿子が恋しかった。目覚めた時、君が隣にいたらどんなにか幸せな気分になれるのに、って思っていたよ」 それを聞いた木綿子が甘い笑みを返す。 日頃あまり甘い言葉を囁いてはくれない剛が、こういう睦言を面と向かって言うことは珍しい。 「うーん」 「ん?なんだ?」 「何だかすごく幸せ」 「それは良かった。ついでに俺も、もっと幸せにしてくれ」 抗ういとまも与えず、剛が再び木綿子の中に体を沈める。抗議の声は彼の唇に吸い込まれ、体は満たされた充足感に打ち震えた。 そして彼に求められるままに、いつ果てるともない悦楽に身を委ねたのだった。 昼近くになってようやく解放された木綿子は、何とか起き出して昼食を作った。 午後からは剛が持ち帰った洗濯物を片付けようと思っていたのに、食事を終えた彼に有無を言わせずまたベッドへ引き戻された。 さすがに体力が持たなかったのか、今度は剛もただ彼女を抱いて眠る以外のことはしなかった。 しかし、日が落ち、夜の帳が下りる頃になるといつもの調子が戻ってきたようで、それから呼び出しがかかるまで、木綿子はずっと彼の熱い腕から逃れることができなかった。 彼には申し訳ないが、正直なところ今夜ほど呼び出しのコールをありがたく感じたことはない。 この数時間の間、へとへとになるまで剛に愛された自分の体は、起き上がることさえ辛い状態だった。だが、信じられないことに、彼の方は何事もなかったかのようにてきぱきと身づくろいを済ませ、いつもの冷静な医師の顔になっていく。 その体力と、回復力の速さに脅威を感じたほどだ。 見る間に出かける準備を終えると、彼はまだベッドでうつ伏せたまま動けず呻いている木綿子の側に来て耳元で囁いた。 「まだゆっくり寝てろよ。しっかり体力を回復しとかないと、あとが大変だぞ」 木綿子の肩がぎくりと強張る。今でもこんな有様なのに、まだやる気なのだろうか、この人は…。 「なんだったら帰ったらすぐに続きを始めても…」 「いい。壊れる前に遠慮しますっ。当分いらない」 剛は木綿子の愕然とした顔見ると、笑いながら素早く唇を押し付けた。 「多分昼までには帰れると思う。電話するよ」 そういい残して、彼は扉の向こうに消えていった。 HOME |