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I wish... 12


翌日、剛は約束どおり9時前にマンションまで迎えに来た。
今日は快晴で前日とはうってかわり、晴れ渡った空には雲ひとつない。暑くなりそうな空模様を見て、木綿子はまゆに麦藁帽子を被らせた。
「お待たせしました」
その日、彼女とまゆはおそろいのワンピースを着ていた。
薄いブルーのレース地に小さな花模様のプリント柄がほどこされたその服は、母が木綿子に仕立ててくれたお気に入りだ。
残りの布でまゆのワンピースを作ったところ、まゆは木綿子と一緒にそれを着るのだと言って大事にしまっていたのだと母から聞いた。せっかくのお出かけだからお洒落しようと二人で決めたのがこの服だった。

「ふうーん」
剛は彼女たちを見て目を細めた。
「そうしているとまるで親子だな」
歳の差がかなりあるし、顔立ちも似ているので同じような格好をするとそう見えるかもしれない。
現に買い物に行くと、よく店員に親子と間違えられる。そんな反応に慣れっこな二人は敢えて訂正はせず笑ってごまかすことがほとんどだ。
「似合う?」
二人が気取って同じポーズをとると、剛は苦笑いしながら親指を上に向けて突き出した。
「ああ、目が眩みそうだよ」
そう言いながら彼は木綿子の手からお弁当が入ったトートバッグを受け取ると、後ろのラゲッジシートに入れてあったクーラーボックスの中にそれをしまった。


水族館は夏休みの親子連れでごった返していたので、3人ははぐれないように、まゆを真ん中に挟んで手をつないで館内を回った。
日本有数の規模を誇るという、回遊型の大型水槽を見あげるまゆの口は開きっぱなしだ。
「見て、魚さんがいっぱいいる、亀さんもいるよ」
まゆは壁面のガラスにへばりつくようにしてのぞきこんでいる。
次に向かったのはその水族館の売りである、ガラス張りの水中回廊だった。
パノラマ型の水槽の真ん中に上下左右から中を泳ぐ魚たちが観察できるように作られた歩道は、照明を落とし足元にフットライトのみを照射していて、海底散歩を満喫できるように神秘的な雰囲気を醸し出している。
さすがに人気のスポットだけあって、歩道の左右には子供から大人までが集まり、混雑していた。
興味津々のまゆもどうにかして中をのぞこうとするのだが、身長が小さいので人ごみに阻まれ、なかなかガラスの側までたどりつけなかった。
その様子を後ろで見ていた剛は、人の間からはじき出されたまゆを抱き上げると軽々と肩に乗せた。
「こうすればよく見えるだろう?」
彼の身長は木綿子よりも20センチ近く高い。木綿子の身長も小さくはないが、これほど人が多いと前を見通せるほどではない。
彼の肩に乗り、周囲よりも頭一つ分遠くが見えるようになったまゆは、歓声をあげながら目の前に広がる光景を見つめていた。


「喉が渇いたな。ちょっと休憩しようか」
人波にもまれながら小一時間、水族館を満喫した3人は、屋外の木陰を見つけるとその下のベンチに腰をおろした。
「アイス、食べたい」
ベンチのすぐ前、まゆが指差した方には売店があり、店の前に大きなソフトクリームの形をした看板が2つも並べてあった。
「あの模型は暑さに喘ぐ者にとっては魅力的だな、特に俺たちみたいな」

全員一致でソフトクリームを食べようということになり、その場で荷物の番をしているという剛を残して、木綿子とまゆが売店に向かった。
「バニラ2つとチョコ1つください」
危なっかしい手つきのまゆにクリームを落とさないよう言い聞かせながら自分で選んだチョコを渡したが、彼女はもう片方の手も差し出して2つ持っていくと言ってきかない。
「パパの分も持って行きたいのかな?」
店員の問いかけに、まゆは照れたように笑って頷いた。
「はい、落としちゃだめよ」
仕方なく、木綿子はまゆの空いた方の手にバニラのソフトクリームを持たせると、そっと歩くのよと声をかけ、先に剛のところに帰した。
「パパが大好きみたいだねぇ」
売店の店員さんが木綿子に声をかける。
見ると、まゆはバニラの方を剛に差しだし、二人で仲良く並んで食べている。父子ではないのだが、ここであえて事情を話し込む必要もないので、木綿子は「ええ」と一言返すと財布の中から千円札を1枚抜き出して渡した。
「あの子はパパそっくりだねぇ、親子って一目で分かるよ。そりゃぁパパがめろめろになるわけよね」
そう言われて木綿子は戸惑った。
確かにあの二人を知らない人が見れば、仲のよい親子に見えるのも仕方がない。
だがそんなに似ているとは、言われるまで思わなかった。
木綿子は曖昧に笑ってお釣りを受け取ると、今言われたことを頭の中で反芻し、首をかしげながら二人の元へと戻った。

午後になってますます入場者が増えてきた館内は、思うように休憩場所も確保できなくなった。
3人は早めに水族館見学を切り上げ、どこかゆっくりとお弁当が食べられそうな場所を探して車を走らせた。
海岸線沿いは海水浴客の車で混雑していたため諦めて、少し街側に戻ったところで大きな公園の駐車場に車を停めた。
「真夏に炎天下で弁当はきついな。ちょっと狭苦しいけど、ここでひろげようか?エンジンをかけておけばクーラーも効くし」
座席を倒し、俄か作りのテーブルにすると、クーラーボックスからお弁当を取り出して並べた。
「この『かにさん』は、まゆがつくったんだよ」
切れ込みの入ったウインナーに楊枝をさしてまゆが自慢する。
筒型の抜き型に挟んで押えるだけなのだが、きれいにかにの形になったウインナーを満足げに頬張るまゆに、彼はわざと口を開けて食べさせてくれと強請った。
「ハイ」
楊枝を使い、差し出されたウインナーを一口でくわえた剛に、まゆも満足そうな顔をして次は何が食べたいかと希望をうかがう。
そんな二人を見ていた木綿子は、不思議な感覚に襲われた。
さっき売店の店員に言われたせいなのか、互いに弁当を食べさせあう剛とまゆの横顔がどことなく似ているような気がするのだ。

まゆに父親がいれば、きっとこんな感じなのかな…。
木綿子の両親は親代わりとしてまゆを大事に育ててはいるが、それはあくまで祖父母の立場であって親ではない。
まゆも漠然とだがそれを理解している様子で、木綿子を「お姉ちゃん」と呼ぶが、父と母のことは「お祖父ちゃんとお祖母ちゃん」と呼んでいる。
友達の両親の存在を羨ましがるようなことを言い始めたと、いつだったか母がこぼしていたことがあった。まゆには今まで父親という立場の人間はいなかった。だからこそ友人たちの父親と同世代の剛にこれほど懐いてしまったのかもしれない。

持ってきた弁当をきれいに食べ尽くした後、3人は食後の運動を兼ねてしばらく公園を散歩することにした。
野球やサッカーができるほど大きいグラウンドは日差しが強すぎて陽炎がたつほどの熱気だったが、木陰の遊歩道は風が通り何とか暑さを凌げる。
途中、遊具が置かれた広場を見つけたまゆがそこで遊びたがったが、太陽にじりじりと照りつけられた鉄の遊具は触ると熱いくらいに焼けていた。
「あーあ、遊びたかったな…」
自分で触って使えないことを納得したとはいえ、まゆはまだ鉄棒やブランコに未練があるようだった。
「また、そうだな、次はもうちょっと涼しくなったらまた連れてきてあげるよ。その時は一杯遊ぼう」
剛はまゆの目線に合わせる様にしゃがんでそう言うと、小指を突き出した。「約束だ」
まゆは彼の指に自分の小指を絡めると、いつも幼稚園で友達としているという「指きりげんまん」を唱えた。

木綿子は目の前で起きていることに唖然としていた。
今、彼は確かに「次は」と言った。そして指きりで約束までしたのだ。
今回は、たまたままゆが遊びに来ていたから木綿子もこの機会に乗っただけで、これから先がどうなるかなんて全く分からないのに、彼は平然と次回のことを口にする。
彼女にはそれをどう理解すればよいのか分からなかった。

友人として付き合うには、彼はあまりにも深入りしすぎる。
剛が時折彼女に見せる気遣いや親密さをどう受け止めたらよいのかが、恋愛経験に乏しい木綿子には受容しきれなかったのだ。
彼女は戸惑っていた。
気持ちをさらけ出して、剛との間の微妙なバランス関係を崩すのが怖い。
だが彼がまゆの心をしっかりと掴んでしまった今となっては、彼に背を向けすべてをなかったことにすることは許されないだろう。
何よりまゆの心を傷つけるようなことだけは、絶対にできない、してはならないのだ。




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