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I wish... 11


少しドライブをしているうちに、予想通りまゆが車の中で眠ってしまい、結局家まで送ってもらうことになった。
これまで深い付き合いではないことを盾に剛に自分のマンションを教えなかった木綿子だが、さすがに眠りこんだまゆを抱いては動けない。
仕方なく家の場所を教え、車で回ってもらったのだ。
「ここの3階です」
路肩に車を停めると、剛はさっと後ろのドアを開け、声をかけて起こそうとする木綿子を制してまゆを座席から抱き上げた。
「重いでしょう?代わります」
「君よりは軽いよ」
むっとして顔を顰める彼女を横目に、剛はまゆを抱いたままさっさとエントランスホールへと通じる階段を昇って行ってしまった。
慌てて座席の足元から買い物袋を取り出し、手に提げた木綿子がその後ろをついて行く。
入口で暗証番号のキーをたたきロックが解除されると、丁度1階で止まっていたエレベーターに都合よく乗り込んだ。

「家の鍵を開けて」
促されて、ごそごそとバッグから鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。
先に入り玄関の明かりをつけて靴を脱ぐと、奥のLDKのドアを開け、剛が挟まれないように手で押えた。
室内へ入ってくる彼を見て、落ち着かない素振りでそわそわしている自分が分かる。父親を除いては、ここに男の人を通すのは初めてなのだ。
そんな様子を見ていた剛は、まゆをソファーに寝かせると、木綿子に目配せしてその足で玄関へと向かった。
慌てて後を追い、儀礼的にコーヒーでもと勧めたが、意外にも彼は丁重に断った。
「明日は早起きするんだろう?もう休めよ」

車内で、明日は早起きしてまゆと一緒にお弁当を作る話をしたことを言っているのだろう。
材料の話になり、木綿子が思案しているのを見た彼は夜遅くまで営業しているスーパーに車を停め、二人を買い物に連れ出した。
そこでもまゆと剛は一緒にカートを押して、好きなものを教えあいながら、楽しそうに買い物をしていたのだ。

「明日、楽しみにしてるから」
彼はそう言うとサンダルを履こうとする彼女を押しとどめ、やんわりと外までの見送りを断り、帰っていった。

急に肩の力が抜けたような気がする。
戸締りをしてリビングに戻ると、まゆの満足そうな寝顔があった。
それを見るだけで木綿子も優しい気持ちになれる。
あの日、今にも壊れそうなくらい小さかったあの子が、こんなに大きくなったなんて。
いつもの癖で胸元を触り固い感触を確かめる。
木綿子にとって、この4年間は喪失感との闘いだった。
姉が命がけで産み落としたまゆを守ることが残された彼女の使命であるかのように、悲壮ささえ漂わせていた時期もあったくらいだ。
まるで、まゆが自分の本当の娘であるかのように。
まゆは着実に大きくなっている。
そしてこれからもいろいろな試練を乗り越えながら、もっと確かな成長を遂げていくのだろう。

満足げだった木綿子の表情が、突然曇る。
今はまだ誤魔化すことができても、そのうち全てを知りたがるときがくるはずだ。
自分の出生のことや…父親のことも。
もしこの子がそれを確かめたいと思っても、木綿子には与えられるような情報はほとんど何もない。
こんな時に思うのだ。
麻実がもっと何か手がかりを残してくれていたなら、どんなにか良かったのにと。


一方、木綿子のマンションを後にした剛は、車に乗ったままエンジンもかけずに長い間シートにもたれて目を閉じていた。
あのまま長居をしていると、彼女に触れてしまいそうだった。
木綿子があまり男女の付き合いに明るくないことは、彼女の様子を見ていればわかる。
それに、自分を異性として意識しないようにしていることを感じていた。
あの実直そうな目は、今はまだ彼を友人としてしか映していないことを物語っている。
だが今夜、彼女が見せた幼い妹に対する愛情の細やかさは、彼の琴線に触れるものがあった。
彼女のような女性となら、きっと温かい家庭を築くこともできるだろう。

ここ数年いろいろなタイプと付き合ってきたが、紹介された女性たちは彼の理想とは程遠いことがほとんどだった。
剛自身、今まで気ままに奔放な生活をし続けていたのも良くないのだろうが、あてがわれるのは皆一様にドライでキャリア志向な女性ばかりだったのだ。
彼女らの多くは伴侶をビジネスパートナーのように考えている。
家庭を作るよりも、自らの仕事の方を優先させたいという者がほとんどだった。
――中には医者は金づると思っていた女もいたな。
そんなことだから、関係がある程度まで行くとどうしても考えが合わなくなってくる。
気楽な酒の席などで、しばしば付き合う相手が変わることを聞かれて正直に理由を告げると、友人たちからは「見かけによらず保守的だ」と言われた。もっと割り切って考えた方がよいのではないかと。

しかし彼は、落ち着ける家庭と家族が欲しかった。
家をしっかりと守り、愛情を持って子供を育ててくれる妻。時代錯誤と言われても仕方ないが、昔からそういう家庭を築くことに憧れを感じていた。
両親は共に医師で常に多忙であったため、いつも家にいなかった。
もちろん彼らは与えうる限りの愛情をそそいでくれたし、常に自分と弟に気を配ることも忘れたことはない。
だが、友人の家に遊びに行くと出迎えてくれる母親の温かい存在を感じ、漠然とした憧れを抱いていたのも事実だった。
その家庭的な雰囲気を、木綿子の中に感じ取ったのだ。

それにしても、まゆの存在はあまりにも愛らしい。
剛は、今夜まゆが彼に見せた表情の一つ一つを思い出しては微笑んだ。
面差しは木綿子に似ているが、口の達者さは姉以上のようだ、あの年齢で。
何度か彼女がまゆにやり込められるのを見て、剛は心の中でにやりと笑った。
木綿子の生真面目さは4歳児にも感ずるところがあるらしい。図星を指され、慌てて取り繕おうとすると必ず横から妹に突っ込まれる。
彼から見れば、適当な言葉が継げず赤面して絶句する彼女の純朴ささえ妙に魅力的だった。

ふうと溜息をついた剛は独り語ちた。
「ハマったな…」
彼女に対しては今までのように簡単にはいかないだろう。何せ、彼女自身が彼をそういう対象として見ていないのだから。
「お友達から、でいくしかないか…」
そんな柄ではないけれど、と反駁してみる。
思うに、彼女のようなタイプは、強引に迫れば怯えて逃げるか、逆上して拳が飛んでくるかのどちらかだろう。
剛はぐすりと忍び笑いを漏らした。

彼女なら、間違いなく後者の方だ。

そんな想像をするのも愉快に感じるのは、それだけ自分が彼女に入れ込んでいるということの証なのだろうか。
今までの彼からするとまったくナンセンスな話なのだが。

それでもいいと思った。
木綿子を見ていると、俗世のしがらみで汚れた自分の心が浄化されていくような気さえするのだから。




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