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あなたの声が聞こえる 12


横たえられた彼女の身体は小さく震え続けていた。
大きなベッドの上にしどけなく投げ出された身体はあまりにも小さく、儚い存在に見える。
ドレスを剥ぎ取られてしまった時から脚の間に残った小さな下着だけが唯一彼女の身に残った防具だったが、それさえも彼はいとも簡単に取り去ってしまった。
彼の視線から彼女を守ってくれるものはもう何もない。
視界の端で、彼がゆっくりと自分が着ている物を脱いでいくのが見えた。だんだんと露になっていく体の逞しさに息をのむと同時に、言い知れない怖さを覚える。

私に彼を受け止めることができるのだろうか。

経験のなさは承知の上なのだから、いつもの彼になら安心してこの身を委ねたかもしれない。
しかし今夜の彬は、今まで見たこともないくらい自分を失っているように見えた。
彼が恐ろしかった。
今夜、彼から逃れられる確率はないに等しいだろう。
いや、今仮にここから逃げおおせたとして、一体どこに行けばよいというのだろうか。
彼女が身を寄せる場所など、どこにもありはしないのに。

香流は迫りくる心細さと恐怖に負けまいと目を閉じ、唇を噛んだ。
ベッドに仰向けになった身体の片側が沈み、僅かにスプリングが軋む。
彼に見つめられている。
目を閉じていても分かるほど、強い視線がじりじりと彼女の裸身を焦がす。
すぐにそのまま圧し掛かられると思い、身体を硬くしてその衝撃を待ち構えていたが、彼は一向に体を重ねてはこなかった。
それどころか彼女に体重をかけないように両肩の側に肘をつくと、優しく髪を撫でながら啄むような口付けを繰り返していのだた。

不思議だった。
唇をこじ開けるかのような、力ずくの荒々しいキスとはまったく違う柔らかな感触は、同じ唇が紡ぎだしているとは思えないほど穏やかで官能的だ。
彼の唇の動きは、図らずも彼女を魅了した。
気がつけば、香流は彼のキスを受け入れていた。
少し開いた唇はすんなりと彼の舌を受け入れる。こういう口づけがあることは知識としては知っていたが、実際体験してみると聞いていたのとはまったく違った。
彼の舌は巧みに、しかし容赦なく彼女の口内を貪っていく。そして最後に彼女の舌を見つけ出すと、強く吸い上げて、自分の舌を絡ませた。そのあまりにリアルな感触に怯え、顔を背け逃げようとする彼女の顎を掴むと、彼は再びゆっくりと深く唇を重ねた。

彼の唇が彼女の顔を離れ、首筋から鎖骨へと下り始める。
思わず身を捩ったが、彼は片手で彼女の腰を動けないように支えると、また彼女の身体を探り始めた。
彼の唇と舌があらゆる曲線をなぞり、その感覚に香流は身を悶えさせた。
どこからくるのか分からない、湧き上がるような快感が何度も彼女の身体を震わせる。指先で玩ばれていた胸の先はいつの間にか硬く尖り、彼の湿った唇に吸い上げられる。
指の感触が腰からお尻へと移り、太腿を滑って脚の付け根に辿り着くと、彼女は本能的に両足をぴたりと合わせてその行く手を阻んだ。
「少し力を抜いて…」
囁きとともに温かい息が耳元を擽ると、香流は暗示を掛けられたかのように無意識に脚の力を抜いた。
緩んだ脚の間に忍び込んだ彼の指が今まで誰にも明かされることのなかった場所を撫で、敏感な場所を探り当てる。
「ああ…」 経験したことのない恍惚とした感覚に、思わず喘ぎが漏れる。
自分の物ではないようなその声にひどく狼狽した彼女は、思わず太腿を閉じようとしたが、それより先に彼が両脚の間に体を入れてそれを阻んだ。
彼の長い指が、ゆっくりと慎重に彼女のなかに押し入れられるのを感じると、震えとともに身体が強張る。押し広げられるような違和感と鋭い痛みを伴う異物感が彼女を襲った。
「いや、お願いだからやめて」
香流は呻くようにそう言うと、痛みから、そして彼の腕から逃れようと身を捩った。
しかし彼は逃げようとする腰を片手で抱き押え、彼女の悲痛な懇願など聞こえないかのように、角度を変えて何度も指を動かし続ける。
しばらくそれを繰り返すと僅かずつだが彼女の秘所が濡れ始め、潤いを指に感じた彼はゆっくりと体をずらすとそっとそこに唇をつけた。
「だめ、そんなところに…はうっ…ん」
僅かに潤んだそこに舌を這わせ、剥き出しになった芽を唇で食まれると彼女の身体が弓なりに撓り、口からは拒絶の言葉に代わって喘ぐようなため息が漏れる。
尽きることなく溢れ続ける潤いは唾液と混ざり合うように彼の指に絡み、そして唇を濡らした。

「目を開けて、僕を見るんだ」
彼が体を起こし彼女の上に圧し掛かると、その体から発せられる熱が彼女の身体を包みこむ。そして彼は異物の進入を阻み、締め付ける彼女の中を押し広げるようにゆっくりと身を沈めていった。
裂けるような痛みから逃れようと無意識に腰を引く身体を押さえ、少しずつ彼女の中に自分を埋め込んでいく。
決して彼女を傷つけまいとするように慎重に腰を沈めていた彼の額にも汗が浮かび、こめかみを伝って行く筋も流落ちていた。
ようやく全てが柔らかな襞の中に包み込まれた時、彼の漏らした安堵の息が、涙で濡れた香流の頬を掠めた。
身体の中心に脈打つ、指などとは比べようもないほど圧倒的な熱。
ベッドに連れ戻された時から香流は一度も彼を見ようとはせず、きつく目を閉じたままだった。
目の前にある彼の目が、冷たく自分を見下ろしているのだと思うと目を開ける勇気が持てなかった。
「目を開けてごらん」
再度促され、恐る恐る目を開けると涙でぼやけた視線の先に彬の顔があった。しかしその目は彼女が想像していたように冷たいものではなく、むしろ見るものを焼き焦がすほど熱い欲望を帯びている。そして彼はそれを隠そうともせずに彼女を見つめていた。
「君は僕のものだ。それを忘れるな」
彼はそう言うとまわした腕で香流の腰を浮かせるように抱き寄せ、ゆっくりと動き始めた。
貫かれるたびに襲ってきた痛みはだんだんと鈍くなり、しばらくすると麻痺したかのように何も感じなくなっていった。

二人の乱れた息とどちらのものとも分からない呻き、そして肌を擦り合わせる鈍い音だけが無音の部屋に響いている。
それをどこか遠い世界の出来事のように感じながら、香流はぼんやりと目の前の男を見つめていた。
彼と自分しかいない不思議な空間。
これほどまでに彼を近く感じたことは今まで一度もなかった。
優しいけれど、どこか距離を置いて彼女に接する彬との間には、いつも二人を遮る薄いヴェールのようなものがあった。
何を考えているのか、決して気取らせない彼にずっと怯えていた。
もしかしたら一生このまま互いを受け入れることさえ叶わないのではないか、そんなことを孤独に思ったこともあった。
なのに今、繋がった身体から彼の切迫した純粋な欲望が、ストレートに彼女の中へと流れ込んでくるのが分かる。

彼に求められている。

こんな時なのに、無理矢理身体を奪われているというのに、もっと彼を引き寄せたい、彼を強く感じたいと思うなんて。
身体は混乱する意識とは裏腹に勝手に動き、彼を体内へと迎え入れてはじわじわと締め付け続けた。
不意に彼が耐え切れなくなったように動きを速め、彼女の中を鋭く深く突き始めると、そこから再び痛みとともに新たな熱が沸き起こってくる。
何度かそれを繰り返すと、彼の体が突然硬直し彼女の中に身を沈めたまま痙攣し始めた。
背中に回した手の下で硬い体が波うつのが分かる。そのうねるような感覚に翻弄されながら、途切れかけた意識の片隅で彼女の身体の一番奥深いところに放たれた彼の熱を感じていた。


彬は彼女を抱いたまましばらく横たわっていたが、荒い息が整うとそっと体を起こしてベッドを抜け出した。
そして湿らせたタオルを手に寝室へと戻り、香流の身体をタオルで拭いながら血の気のない青白い顔をのぞきこんだ。
緊張と疲労は限界を超えていたのだろう。身体を動かされても微動だにせず、なされるがままの彼女は深い眠りに囚われていた。
覆われたシーツの下の白い肌には彼がつけた征服の痕が点々と、生々しいまでに赤黒く浮き出している。
そして彼女が味わった痛みを無言で訴えるかのような破瓜の印が、いくつか真っ白なシーツに残されていた。

「こんな風に奪うつもりはなかった」

もっとゆっくりと時間をかけて、花開く時を待つつもりだった。
恋愛の駆け引きに慣れきった今までの相手たちとは勝手が違う。一目見た時から無垢な彼女が欲しいと思っていた。
実際、彼女の家など今の彼には何の価値も見いだせなかったが、それでも無利益な取引に応じたのはただ彼女を手に入れたい一心だった。
まだ誰にも侵されていない彼女だからこそ、掌中の珠としてこの手で大事に慈しみ、育てていくつもりだったのに。

一度手折ってしまえば歯止めが利かなくなるのはわかっていた。
自分はそこまで聖人君子でいることはできない。
まだうっすらと涙の痕が残る頬を撫でていた指先が止まる。
苦痛に耐え、無意識に噛み切ったのだろうか、僅かに開いた唇からうっすらと血が浮き出していた。
「君は僕を憎むだろうか、それとも…」
柔らかく唇を押し付けて、彼女の唇に滲んだ血をそっと舐めとる。
口に広がる血の味は、彼女を貶めたという苦い後悔の味がした。
それでももう手放せない。
彼女をこの腕から逃すことなどできない。
そのためなら何でもしよう。非情な手段も厭わないし、どんなに汚い手を使っても構わない。

タオルをランドリーボックスに放り込み寝室に戻ると、香流はこちらに背を向け、掛けられたシーツを身体に巻きつけて眠っていた。
背中を丸めたその姿はまるで無防備な赤ん坊のようだ。
しかしその下から伸びたほっそりした白いうなじや細い腕から漂ってくるのは、男に抱かれた後の、匂い立つような大人の女の色香だった。
自分以外の男に彼女を見せないように、どこかに閉じ込めてしまえたら、どんなにか安心できるだろうに。
彬はそんなことを考えている自分に気付き、思わず顔を歪めた。
つい数時間前まで何も知らなかった無垢な彼女の身体に力ずくで楔を打ち込み、無理矢理「女」にしてしまったのは他ならない自分だというのに。

香流の身体から薄いシーツを取り去ると、彼女の隣に滑り込み上掛けを引き上げる。そして彼女の背中にぴったりと自分の体を添わせ片腕を彼女の腰に巻きつけた。
背中に感じる温かさに惹かれるように、彼女が無意識に身体を預けてくる。
暗闇の中で仄かに甘い香りのする彼女の髪に顔を埋めながら、彬は眠れないまま窓に浮かぶ都会の灯りを見つめていた。




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