彼との同居が始まって数週間が経った頃、香流はあるパーティーに招かれた。 もちろん夫である彬の同伴者としての出席だったが、相変わらず仕事関係の話が多く、場に馴染めなかった香流は彼に断るとカクテルの入ったグラスを手に会場を抜け出した。 彼は話が済んだら呼びにきてくれると言った。それまで外でぼんやりと景色でも眺めていた方が気晴らしになりそうだ。 「あなたが、彬の奥様?」 背後からの声に思わず振り向いた。 そこにいたのは見知らぬ女性だった。 すらりとした長身に張り付くような薄い生地のドレスを纏い、豪華な宝石を身につけたその女性は、まるで雑誌に出てくるモデルか何かのように洗練された美しい人だった。 「あなたは…?」 「あ、ごめんなさい。突然に」 彼女は夫、彬の友人だと名乗った。彼の友人には何度か会わされたことがあったが、この女性を見たのは今日が初めてだ。 しかし香流は彼女の物言いに何か引っかかるようなものを感じ、思わず息を呑んだ。 直感したのだ。 多分この人は彼の恋人だった女性だ。そして今もその関係は続いているのかもしれない。 でなければ、これ見よがしにわざわざ彼を呼び捨てにする理由がない。 「新婚の奥様をわざわざ連れて来たのに、そのまま放っておくなんて彼らしいわね」 その女性は手にした飲み物を煽ると気だるげにふっとため息を漏らした。 「彼は全てにおいて仕事の利害を優先するの。きっと、彼にとっては結婚さえビジネスの一部でしかないのね」 香流は哀れむような彼女の目を感じて、身体を強張らせた。 「それに彼にとって女はただの道具なのよ、自分の欲望を満たすためだけの、ね。あなたにはそれに加えて『旧家のご令嬢』というオマケが付いてきたから、たまたま結婚に踏み切っただけのことなのよ、多分ね」 「でも彬さんはそんな人では…」 自分でもなにを言いたいのか分からないまま、香流は無意識に彼を庇う言葉を探していた。 「あなたには彼の本性が見えていないのね。だったら尚更気の毒よ。これから先どんなにあなたが彼を想っても、あなたが彼に愛されることはないわ。だってあなたは家に飾っておくために迎えられた『妻』という名の人形なんだから」 そしてその彼女は勝ち誇ったように、こうも付け加えた。 「昨日の夜、彼は私と一緒だったの。きっとそのうちあなたに跡継ぎを生ませたら、家に帰る必要性もなくなるわね。でも彼の周りでこういう関係の女は私だけではないのよ。彼はそういう人。それだけは覚えておいた方がいいわよ」 その女性はそれだけ言うと、満足そうに颯爽と会場に戻って行った。 香流の耳に冷ややかな笑い声を残して。 足が震えてその場にしゃがみこんだ。 私は女として愛されてはいない。そう自覚はしている。 けれどそれを彬の恋人にはっきりと言われたことは、想像以上に辛かった。 自分は彬のことを「夫」として大切に思っている。しかし彼は自分を妻にすることを本心から望んでいたのだろうか。 香流自身、夫に必要とされているという自信すらなかった。もしかしたらあの女性の言ったとおり、彬にとって自分は体のいい飾り物でしかないのだろうか。 妻を求めようとしない夫には、それなりの捌け口というものがあると考えても不思議ではない。 彼が自分とは違う、美しい大人の女性を求めるのをどうして止めることができるだろうか。 彼女は俗悪な想像を断ち切るように首を振ると、手にしていたグラスを一気に煽り顔を顰めた。甘いはずのカクテルが苦いものに感じる。 今夜は少しアルコールを飲みすぎたのかもしれない。 気を取り直して会場に戻った香流の目は、華やかな女性たちに囲まれ談笑している彬へと吸い寄せられた。 『話が済んだら呼びに来てくれるはずではなかったの?』 いつもなら何とも思わないことなのに、なぜか今夜は癇に障った。そんなに相手に困らないなら、一緒にいてつまらない私なんて無理に伴わなくてもいいのに。 香流は自分を卑下する言葉をいくつも頭の中で並べながら、冷たく彼を一瞥した。 そしてさっきの話に毒されているのかもしれないと感じながらも踵を返すと、勝手にクロークで自分の荷物を受け取り、そのまま一人、出口へと向かって行ったのだった。 HOME |