BACK/ NEXT / INDEX



True Colors  8


悠莉は不可解な女性だ。

クレイグは自分の元に連れて来てから数日で彼女を放り出したくなった。
彼は家柄と金に恵まれたお蔭でティーンエイジャーの頃から女性に不自由したことがないと自負している。容姿に関しての評価は様々だが、自分の女性受けが悪いと思ったことは一度もない。
滅多にないが、女性に何か頼みごとをする時も持ち前のフェミニスト精神で相手を気分よく従わせる術を心得ている……と自分では思っていた。
しかし、この目の前の女にはそれらの認識は一切通用しない。
彼が力で抑えつけようとすればのらりくらりとそれを交わし、したでに出れば途端に反撃の狼煙を上げる。
気が付けば自分は見事なまでに翻弄され、未だ懐柔の糸口さえ掴ませてもらえない。
今まで付き合っていた数多の女性たちの中にも、多くはないが彼に物事の主導権を握られるのを拒んだ者はいた。しかしここまで徹底して抵抗の姿勢を見せられたのは初めてだ。

なんで彼女はこんなに扱いづらいんだ?

彼女が滞在する自宅マンションから出社したクレイグは、苛つく気持ちを抑えつつ、目の前にうず高く積まれた書類を捌く気になれない自分に辟易していた。
異性に目が行き始めた少年時代、クレイグに女の扱い方の手ほどきしたのは他ならぬ継父、ジョージだ。
若い頃から異性関係が派手だったと言われる継父は、女性に関するあらゆる知識を息子に惜しみなく与えた。それは将来彼が被るであろう損失を最小限に抑制し、ダメージを緩和するための事前知識の意味合いがあったのだと気が付いたのは自分がある程度大人になってからのことだが、当時の彼はその艶めかしさにばかり目が行き、性的な戯れに溺れた時期があったことは否めない。
ジョージから受け継いだのは男女の駆け引きの仕掛け方や恋人の甘やかし方にとどまらず、相手をいかに納得させて後腐れなくきれいに別れるかといったような、母親が聞いたら卒倒しそうな内容のものさえあった。
勿論そんな環境にいたクレイグは情事の相手にも苦労はしなかった。何といっても彼に女の抱き方を教え、そのお膳立てをしたのは、継父自身だったのだから。

ジョージの危惧は当たり、やがてクレイグが成長しビジネスマンとしての頭角を現すにつれて、彼の周囲にはお金やネームに引き寄せられる女性たちが集まるようになった。だが彼自身、それらの捌き方を心得ていたこともあり彼女らの策略に引っかかることも誘惑に溺れて身動きが取れなくなることもなく、プレイボーイの称号を欲しいままにしてきた。
さすがに責任を負う立場になった今では昔のような軽はずみなことは控えるようになったが、それでもこれほど女性の扱いに手こずるようなことはなかった。


「ミスター・バートン?」
ノックの音と同時に聞こえた声に、クレイグは現実に引き戻された。
「オチか?入れ」
ドアが開き、彼のオフィスに入って来たのは、日本から悠莉に帯同してきた越智だった。
当初の予定では、彼は悠莉がこちらに落ち着くまでの間、彼女の通訳兼マネージャとしてスケジュール管理を一手に任されるはずだった。それが、彼女が通訳などほとんど必要ないと分かったことから、今ではM&B本社で悠莉の連絡係のような役割をつとめている。

「ユーリが何か?」
いつもと同じ問いかけの言葉に、越智は苦笑いしながら首を横に振った。
「いえ、取り立てては何も。ただ、『早く家に帰らせてくれ』の一点張りです」
「そうか」
「なかなか良い返事は聞けませんね。通いの家政婦たちと世間話をしている時には随分打ち解けているように見えるんですが……」
越智やクレイグがジョージの話を振ると、途端に貝のように口を閉ざし、自分は一切関わり合いにならないと言わんばかりの態度に出る。
その頑なさには、彼らも打つ手がない。

「今日こちらを訪ねたのは、あなたにお伝えしたいことがあったからです」
越智は手にしていた書類を差し出すと、こんなことを言い始めた。
「片岡さん……悠莉様の調査内容のことですが、何点か気になることがありましたので、差し出がましいようですがこちらで再度詳しく調べさせていただきました」
「気になること?」
越智は頷くと預かっていた書類を封筒から出してクレイグのデスク置いて説明を始める。
「まず、この戸籍ですが、出生日と届けを出された日の間にかなりの時間の経過が見られます。戸籍制度がしっかり浸透した日本ではこんなことは滅多にありません」
数字だけを追えば、彼女の戸籍が作られたのは、生まれてから数年後。
それも親族によるものではなく、いくつかの役所や公共機関が関与して首長の判断での作成となっている。
「アメリカで言うなら、生まれてから何年かの間、社会保障番号を持たない状態だったというのと同じです。病院に行っても医療保険は適用されませんし、社会保障制度の恩恵に与れません。戸籍自体がなかったのですから」
「それはどういう意味だ?」
「彼女は生まれてから数年の間、無戸籍……この世に存在しない人間として扱われていたということです」
「存在しない人間?」
「はい。日本では基本的に戸籍がなければ何もできません。データのもとになるものがなければ役所が機能しないのです。住民票が作れなければ居住地を定めることもできない。そのままだと恐らく学校にも行けなかったはずです」
「しかし、彼女は予定通りに就学しているようだが」
「ですから、ここで初めて戸籍が作られています」
越智が示したのは、悠莉が小学校に入学したあたりだった。
「他にも、悠莉様は入学時期が他の生徒とずれています。そうですね、ちょうど半年ほど遅れています。そして入学後は半年間、特別クラスに所属しておられます。そして二年生になると同時に転校して母方の祖父の元へと引き取られている。その間彼女の保護者が特定されておらず、児童福祉施設に入られていたようです」
「福祉施設か」
「はい。それで気になって確認してみたのですが」

なにぶんにも今から20年近く前のことだ。当時施設で働いていた職員のほとんどは転勤や退職で他に移っているし、彼女自身もそこにいた期間は半年余りと短い。それに現在は個人情報の保護というガードが固くて彼女のことを知っている者を探し当てることはできなかった。
「偶然その時に近所で悠莉様と同じ学校に通っていたという女性が見つかりましたので、彼女のことをうかがってみたところ、その方が妙なことを言われたそうです」
「妙なこと?」
「はい。悠莉様はその……まったく何もしゃべれなかった。だから最初は皆彼女のことを『外人』だと思っていたと。そのために主に外国人の子供たちが日本語の基礎を学ぶ特別クラスに入れられることになったそうです」
「日本語を学ぶとはとはどういうことだ」
「悠莉様は、就学年齢に達するまで言葉を、日本語をよく理解できなかったようだとのことでした」
「しかし、それまで彼女は日本人の母親と一緒に暮らしていたのではなかったのか?それに言葉がしゃべれないとまわりとコミュニケーションが取れないだろう」
「ですので、まったく何もしゃべれなかったということではありません」
「どういうことだ?」
「彼女は英語ならある程度の意思の疎通ができた。つまり、当時から悠莉様は、日本語ではなく英語での会話ができていた、ということのようです」




≪BACK / NEXT≫ / この小説TOP へ
HOME