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True Colors  7


ふうん、さすが?と言うべきかしら……
悠莉は離陸する機体の窓から外を眺めながらそんなことを考えていた。
今彼女が座っているのはビジネスジェットと呼ばれる自家用機のシート。もちろんこんなものに搭乗するのは人生で初の体験だ。
これでも「小型」だそうだが、中には仮にしておくにはもたいないくらい設備の充実したオフィスや仮眠用というには嫌味なほど大きく寝心地の良さそうなベッド、7、8人程度なら楽にテーブルを囲める移動会議室、それにシャワーブースや軽食を準備できるキッチンなども完備されているらしい。
シートは旅客機のそれとは比べ物にならないくらい高級な本革のソファーで、ハイクオリティな室内装飾と離陸時の揺れを感じない居住性重視の機内は、さながら動くスイートルームと言ったところか。


帰宅途中で見知らぬ男たちに車に押し込まれてから、すでに2時間以上が経っていた。
彼女の住む町から南へ数十キロ下った場所にある、地方空港。
国内の発着便は一日に数本、臨時便以外には定期国際線は一本も就航していないが、小型のビジネスジェットが離発着するに十分な滑走路は整備されている。彼はここに機体と乗務員を待機させ車で彼女のいた町に向かい、有無を言わせず連行してきたのだが、一行が戻って来た時にはまだ機体整備と帰りの燃料を積みこんでいる最中ということだった。
乗ってきた車で駐機場まで乗り付けたクレイグたちは、そのまま飛行機に乗り込み、離陸の許可が出るのを待っていた。
その間に、どういう伝手を使ったのか出国審査は簡単なペーパーのみ。持ち物やボディーのチェックも行われず、彼ら……クレイグと越智、そして悠莉は何のお咎めもなく機上の人となった。

パスポートはねぇ……持ち出して失敗したな。

前夜まで、彼女のパスポートはタンスの引き出しの中にあった。しかし荷物をまとめた際に通帳などと一緒にそれもバッグに放り込んでしまったため、彼女は期せずして自ら海外にスムーズに出られる環境を作ってしまったのだ。
まぁこの人たちのことだから、その気になればたとえパスポートがなくても人一人くらいこっそり国外に連れ出すことなんてわけないんだろうけど。


「何を考えている?」
クレイグの声で現実に引き戻された悠莉は、小さく肩を竦めた。
「別に。金持ちのやることって何でいちいちこんなに『胸糞が悪い』んだろうって思ってただけ」
「ムナクソガワルイ?」
それを聞いたクレイグが側にいた越智に目配せをする。
「オチ、どういう意味だ?」
「あ、えっと、それはですね……」
どう表現したらよいものかと言いよどむ越智に、悠莉は冷めた目を向ける。
「遠慮せずそのままストレートに教えてさしあげれば?あ、そうか、あなたの立場からすると、こんなお下品なことは言いにくいのね。それじゃ私が説明するわ」
そう言うと彼女は冷ややかに笑いながらクレイグの方に向き直った。
「それはね、こういうことよ」
「片岡さん、何を……」
何かを企んだような表情に、思わず越智が止めに入ったが、時すでに遅し。彼女は中指を上向きに鋭く突き出すと、吐き捨てるようにこう言い放ったのだ。
『“Fuck you!”(アンタなんかくたばっちまえ!)ってことよ!』

絶句する男二人から目を背けた彼女は、再び窓の外の景色をうかがう。しかしすでにかなりの高度に達しているのか、目に入るのは暗い空と薄い雲ばかりだ。

「そうか、『ムナクソガワルイ』とはそういう時に使う言葉なんだな」
喉の奥、くっと詰まったような声で笑いながら、クレイグが呟くのが聞こえる。
「他にもあなたにふさわしい日本語ならたくさんあるわよ。ご希望があればお教えするけど」
すっとこどっこいとかアホとかボケとか、その他にも聞くに堪えないような、ありとあらゆる悪態をつきながら、じろりと横目で睨む彼女を見た越智が、慌てて途中でそれを遮る。
「あ、あの、夕食の準備にかからせようと思うんですが、何かご希望があればおうかがいします」
「夕食?」
見れば越智のすぐ後ろに白いエプロンをつけた男性が立っている。その服装から推測するに、恐らく彼はこのビジネスジェットに乗り込んでいた料理人か何かだろう。
時刻はすでに8時近くになっている。いつもならばとっくに夕食を済ませている時間だ。
その時、悠莉はふと考えた。
このまますぐに家に戻れなかった場合、冷蔵庫に残してきた食品はどうなるのだろう。
今日が賞味期限の塩サバや、半分飲みかけの牛乳。確か卵もまだ3つ4つ残っていたはずだ。まだ野菜室には近所からもらった葉物野菜や大根がどっさり入ったままだというのに。唯一の救いは今日が燃えるごみの日で、生ごみを全部出しきってきたことくらいかしら。

「ご飯に焼き魚、大根と油あげの味噌汁とほうれん草のおひたし」
「はっ?」
思わず口を衝いて出た彼女の言葉に、目を丸くしている越智を見て苦笑いした。
「いえ、本当なら今夜私が食べていたはずのメニューよ」
そう言うと、悠莉は肘掛けに置いた右手に顎を乗せ、物憂げに笑った。
「お腹に入るものなら何でも構わないわ。こんな状況で食べても味なんてろくすっぽ分からないでしょうから」


それから30分後、悠莉は考えていたよりも豪華な夕食を目の前にしていた。そして思っていたよりも美味しくそれらを食べている自分の神経の図太さに、内心呆れていた。
「いかがですか?」
少し心配そうにお伺いをたててくる料理人に、悠莉は他の男二人には決して見せないような穏やかな笑顔を向けた。
「美味しいです、すごく」
これで目の前のヤツがいなければ、もっと食事を楽しめるんだろうけれど。

やはりというか、何というか、彼女の向かいの席にはそこにいるのが当然のような顔をしたクレイグがいて、彼女と一緒に食事をとっていた。
「いつまでも子供みたいふてくされていないで、いい加減に機嫌を直せ」
考えていることが顔に出ていたのか視線を上げた彼と目が合うと、クレイグはうんざりといった様子でそう言った。
「……諸悪の根源のアンタにそんなことを言われる筋合いはないわよ」
「クレイグ」
「は?」
「私の名は『アンタ』ではなく、クレイグだ、ユーリ」
「それくらい分かっているわよ」
「だったら呼べるだろう。次からはちゃんと名前で呼ぶように」

だから、アンタ一体何様よ?

悠莉はしかめっ面でぷいと横を向いた。
滅多に感情を露わにすることなどない彼女だが、クレイグの言動にはいちいち腹が立って仕方がない。
周囲が自分に従うのは当然という態度が鼻につくし、ましてやそれを悠莉にも当てはめようとするその感覚が、彼女にはどうしても受け入れられなかった。
「返事は?」
「Yse,Master(はい。ご主人様)」
子供の頃アンクルトムの小屋で読んだ、奴隷が主人に対して使う返事をわざと語尾を延ばして嫌味に真似てみせる。
その真意を知ってか知らずか、クレイグはふんと鼻を鳴らしただけでそれ以上は何も言わなかった。



「ミスター・バートン。これからどういたしましょうか」
悠莉がシャワーを使っている間に、越智とクレイグはオフィスで額を合わせて密談をしていた。
計画ではこのまま彼女をジョージの元に向かわせ、有無を言わせず二人を会わせるつもりだった。だが、悠莉が予想以上に自分たちに強い猜疑心を持ち、頑なな態度を崩さないこと、そしてなにより予定外だったのは、彼女がかなり流暢な英語を話すことをこちらが把握できていなかったことだ。
仮に彼女が英語を理解できないとすれば、病床のジョージとの会話は通訳を介してのものになる。二人の会話、主に悠莉側から想定されるきつい言葉も通訳に意図的に曲解させればさほど殺伐とした対面にはならないと彼らは踏んでいた。
だが、自分の思うがままに、それもかなり品のない言葉まで容易に使いこなす彼女の語学力を考えると、すぐに彼女を継父に会わせることはかなり危険な行為だということが分かる。

「少し余分な時間を食うが、説得するしかないだろう。とりあえずあちらに着いたらしばらくの間、彼女は私のマンションに住まわせる。その方が警備上も安心だろう」
ただ一つ心配があるとすれば、その間にジョージの容態が急変しなければよいのだが。
内心の不安を隠し、クレイグは部下にその段取りを指示する。
本土到着まであと数時間。
こうして悠莉は自分が知らないうちに少しずつ、彼らの陰謀の渦に巻き込まれて行ったのだった。




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