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True Colors  43


帰国後、悠莉は自らの語学のスキルを活かし、隣町にある学習塾の臨時講師として仕事を始めた。
大学で教員資格のカリキュラムを取っていたのも幸いして、パートながら何とか職にありついた彼女だが、未だに人と接する時には妙に緊張してしまう。
かつて工場に勤務していた時のように一人で黙々と作業をこなす仕事とは対極にあるとも言える、人と正面から向かい合い、自分の言葉で意思を伝えるという彼女にとって最も難しい課題。
それでも彼女は敢えてその仕事を選んだ。

生活面においては、いまだビンガムの現総帥夫人というポジションにある彼女には、日本にいても当然のように警備をする人間がついている。
ただ、それは以前のようなボディガードというあからさまに周囲を威圧するものではなく、どちらかといえば一人になることなく誰かが常に一緒にいるようにしているという次元で行われていて、今のところはそれを誰かに不審がられている様子はない。

住んでいる場所も前と同じで、家は祖父から譲り受けた古い日本家屋のままだ。
ただ、変わったところと言えば、母屋に以前はなかったセキュリティシステムがつけられていることと、隣接した納屋が壊されてその跡地に小さなアパートが建てられ、そこに若い男女が数名住んでいることくらいだろうか。
実は彼らこそがクレイグに雇われたプロのボディガードなのだが、それを知るのはもちろん当人たちと悠莉だけだ。


帰国してからの彼女は、確かに以前とは変わっていた。
外見だけでなく行動や雰囲気、物腰にもそれが表れるのか、彼女に会う人会う人皆、口をそろえてそう言うのだから間違いないのだろう。
それを感じているのは薄いながらも交流があった近所の住人だけではないようで、以前は買い物などで互いを見かけても知らぬ顔ですれ違っていた同郷の同級生たちまでもが彼女に話しかけてくるようになった。
彼らに言わせると、今の悠莉には昔のように人を寄せ付けない刺々しさがなくなり、その分話しやすくなったのだそうだ。
その程度のことでここまで変わるのかと思うほど、彼女はどこにいても声を掛けられるし、近所の人たちなど女の一人暮らしを気にしてか、時折ざわざわ家に顔をのぞかせに来る。
誰かに見られているということでぼんやりと気が抜けなくなった反面、一人ぼっちで孤独を感じることなどほとんどない今日この頃だ。


そんなある日の朝。
いつもと同じたように、彼女は朝起きると一番に顔を洗い、髪を束ねてゴムで括った。アメリカで怒りに任せて勢いで短く切ってしまった髪の毛も、今では肩甲骨の上あたりまで伸びている。
「また先を揃えてもらわないといけないわね」
悠莉は少しぱさついて色が薄くなった毛先を摘まんで呟いた。
こちらに帰ってからもアメリカにいた時と同様、彼女は自分本来の容姿を……はしばみ色の髪と薄茶緑の瞳を隠すことなく堂々と晒して生活していた。
確かに最初は周囲の反応が不安だったが、実際にやってみるとこんな田舎でも自分の容姿が大した衝撃もなく周囲に受け入れられたことに、彼女は驚きを隠せなかった。
悠莉が幼い頃には、田舎ではまだ髪を染める子は少数派で、特に明るい髪色にした若者たちを見ると不良などと眉を顰められたものだ。だが今ではみんな普通の学生たちがお洒落に茶髪にしている。街中を歩いていても、黒髪の中に茶色や金色の頭髪が適度に混ざり、それが違和感なく見えていた。
そんな中で、地毛であるがゆえに赤さが少なく、時間が経っても色が褪めることがない彼女の髪色はむしろ美容院でも羨ましがられるほどだった。
そんなふうにいろいろなことが冷静に見えてくるにつれて、実は自分を取り巻く環境は2年前からこんな状況であって、あの頃も今とそんなに変りなかったのではないかと気付いたのだ。
以前の自分は、生まれ持ったあらゆる色を誤魔化すのに汲々としていて、ただそれらを隠したいという一心だった。人と違うことを厭い、周囲からそれを指摘されることを恐れ、息を潜めるようにして暮らしていたために、世間の評価や価値観等が徐々に変わっていっていることに、素直に目を向けられなかっただけなのだ。

自分はもう、自らのことを蔑んだりはしない。
人と違う自分の色を、いつか誇りに思えるようになりたい。

他人の目を気にして、隠れるようにして生きてきた子供時代。
母親を亡くし、父親が誰なのかも分からず、剰え周囲とは相容れないこんな容姿を持った自分など、誰からも愛されないと思い込んでいた彼女は、自らの手で住む世界を狭めてしまった。
それを解き放ってくれたのは、無理やり彼女をアメリカへと連れ去ったビンガムの思惑であり、他ならぬ夫、クレイグの存在だったのだ。
彼は今も毎週にように彼女に連絡を寄越し続けている。
それは時にメールであったり、電話であったりするが当然のことながら、さすがに多忙な彼がここを訪ねてくることはない。
悠莉は鏡に映った自分の唇を指先にそっと触れた。
あの日、別れの間際に空港でクレイグと交わした熱い口づけは、二人の最後の思い出になるのだろう。
こうして自分から距離を置いてしまった悠莉だが、今もあの時の彼の言葉は彼女の心を揺さぶり続けている。

『忘れるな。君の居場所は常にここにある。だから、いつでも戻ってくればいいんだ』

戻ることができる場所があり、誰かが待っていてくれる。
それはありがたいことである反面、時として弱い自分の逃げ道になる危険性もはらんでいる。特に物事が上手く運ばない時は、つい昔のように気持ちが後ろ向きになり、すべて放り出してなかったことにしてしまいたいという欲望に駆られるのだ。
「戻らない。まだまだ負けられない」
悠莉は鏡の中の自分に向かってそう呟いた。
たとえそれが強がりだと分かっていても、自分から切り出した別れをなかったことにしてくれなどとは言えないし言いたくもない。
喝を入れるように両頬を叩いた彼女は、鏡の中の自分の顔をもう一度しっかりと見つめると、いつもの日常へと戻って行ったのだった。




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