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True Colors  4


悠莉の家は高い生垣に囲まれた一軒家だ。
祖父の代までは地元で農業を営んでいたので、敷地の中には母屋と広い庭の他にも大きな納屋があり、以前はそこに農機具や穀物の貯蔵タンクが置いてあったこともある。
後を継ぐものがおらず、結局祖父が亡くなると悠莉が相続した土地屋敷以外の田畑はすべて手放してしまったが、今でも昔ながらの古い木造家屋は重厚な雰囲気を漂わせている。

不承不承、彼女は薄暗い玄関先まで出て来た。
外に出るまで気が付かなかったが、よく見るとその男性の後ろにも女性が一人立っていた。身長はそんなに自分と変わらないだろうが、スーツ姿できっちりと髪をまとめ、踵の高いパンプスを履いていると何となく威圧感がある。こんな場所では滅多にお目に掛かる機会のない、都会のビジネスウーマンといったいでたちの女性だ。
二人の立ち位置から推測するに、恐らくこの女性は男性の部下であろうと窺えた。

悠莉は玄関の戸をぴったりと閉めると、待っていた二人と対峙した。
気が利かないと言われようが、不作法だと責められようが、こんな時間に見知らぬ訪問者、それも男性を家に上げることは絶対にできない。玄関先で話をすることを選んだのは、ここからだと隣家の台所の明かりが見えるし、いざと言う時には大声で叫べば誰かが見に来てくれるだろうという計算が、彼女の中で働いたからだ。ただ、外に二人いることは想定していなかった。もしも相手側が力で動く暴挙に出たとしたら、自分が不利なのは明らかだ。

失敗したな……

こういう時には、一人暮らしの怖さを身に染みて感じる。
学生時代を過ごした都会とは違い、ここは田舎の農村地帯だ。マッチ箱のようなワンルームマンションは騒音などの不便もあったが、壁一枚向こうには誰かが生活しているという安心感がある。方や今の自宅はこのあたりでもそこそこの敷地の広さがあり、地域の回覧板一つ回すにも他人の家の庭を突っ切るか、さもなければ隣家の塀沿いの小道をぐるっと一回りしなければならない距離があった。

「随分と大きなお宅ですが、ここにはお一人で?」
「……そうですが」
嘘でも一人暮らしということを隠した方がよいのだろうが、生憎と彼女はそういったはったりが苦手だ。誰と住んでいるのかと聞かれでもしたら、途端に答えに窮することは目に見えている。それで、できるだけ素っ気なく返事をしたつもりだったがそれでも見知らぬ人に何か探られているようで不快感は募る。
そんな彼女の気持ちに気付いたのか、男性が内ポケットの名刺入れから一枚引き出すと、それを彼女の方に差し出した。
「先日は失礼いたしました。私はこういう者です」
名刺には、マクレーンアンドビンガムジャパンという社名と東京本社の文字。それにM&Bのロゴの透かし、そして彼のものと思しき越智昌也という名前がプリントされていた。
「M&Bジャパン?」
文系大学生が就職を希望する企業ランイングで常に上位に入っているほどの、言わずと知れた有名な企業名だ。
もとはアメリカのオイルメジャーから始まったが、エネルギーの多様化に早くから着目し、オイルショックの際もいち早く動いたために大きな損失を免れた企業の一つと言われている。
近年は希少鉱石の採掘や未開発地域での油田採掘権取得などを手掛け莫大な利益を上げ続けている他、本業のみならず、運輸、建設、医薬品関連事業、リゾート開発等、あらゆる業種の企業を買収、支配下に収める一大コンツェルンになっていた。
どう考えても自分が勤める工場と直接関係があるとは思えない、一流企業の名前。
その日本法人の本社の人間が、一体何の用があってここに来たのか。
悠莉はあからさまに胡散臭そうな顔をした。

「それで、どのようなご用件ですか?」
こんな時間に、という非難の意味も言外に込めて、悠莉は話を促した。
「この前の件ですが、もう一度考え直していただけないかと思いましてね」
「この前のって、あの東京に移動とかいうことですか?」
男性は頷くと、少し後ろに立っていた女性に持たせていた封筒を受け取る。
「今回はあなたがお勤めの会社の転勤という形ではなく、我が社との直接雇用での契約書を準備して参りました。この中に雇用条件を記したもの入っています。あとはこちらで用意する住居の概要も。一度どんな内容か確認していただけないかと思いましてね」
そう言って差し出された封筒だが、彼女はきっぱりと受け取ることを拒んだ。
「ですから、あの話ははっきりとお断りしたはずです。私はあの社長の……会社からの転勤要請だから拒否したんじゃありません。もうここから離れるつもりがないから行かないと言ったんです。いくら良い条件を提示されても、私の気持ちは変わりませんから」
「しかし、失礼ながらあなたの経歴を調べさせていただきましたが、あんな……と言っては失礼ですが、小さな工場の、それも短期契約労働者として働くにはあまりにも勿体なくはないですか?」

それを聞いた悠莉は、こちらに引き上げて来たとき、周囲から散々言われたことを思いだした。
彼女が卒業したのは東京にある、某有名私立大学の文学部。
同期の人間たちが次々と優良企業からの内定を取っていく中で、彼女は就職活動自体をしなかった。就職の当ても、研究室に残る予定もない自分を心配した教授が口を利くといってくれた就職口も結局は断った。
なぜそんなに頑なに地元に戻ろうとするのかと訝しがられたが、実のところ自分でもはっきりとした理由はなかった。ただ、もう大都会に住むことに嫌気がさしただけ。だから帰って来ても就職口の当てはなかったし、何をしたくてここに舞い戻ってきたのかさえ自分でもよく分からなかったのだ。
結局卒業後しばらく家でぶらぶらしていたが、時期外れのお盆明けに今の工場の仕事が決まり、彼女はそこに就職した。給料も労働待遇もお世辞にも良いとは言えない職場だが、毎月ある程度のものが入らないとさすがに生活は苦しい。食べるためだけに働くことに閉塞感を覚えないわけではなかったが、ここで生きてくためにはそれも仕方がないことだと割り切った彼女に対し、周囲からは「あんなに良い学校を出ていながら、どうしてこんな辺鄙な田舎に戻って、それも工員を?」と随分訝しまれたものだ。

「人には合う合わないがありますから」
そう、自分には都会での生活は合わなかったというだけだ。
元々人と緊密な関係を築ける性質ではないが、特にあの街には自分が馴染めないような何かがあった。たとえ幼い頃にはそこで暮らしていた経験があったにしても、彼女にとって良い思い出の一つも残されていないのだから。

「……どうしても難しいですか」
悠莉が頷くと、彼は存外にあっさりと手にしていた封筒を引っ込めた。
「あの、一つ伺ってもいいですか?」
「何でしょう?」
「なぜ私なんですか?私程度の人間ならば、何もこんな田舎町まで来なくても探せばいくらでもいるでしょう?ましてや東京なら優秀な人材は掃いて捨てるくらいたくさん」
「理由は……お話できません、今は」
「でしたらなおのこと、お断わりします。私もそんないい加減な話に乗るほど世間知らずではありませんから」
そう言い切った悠莉に、越智は苦笑いを浮かべた。
「残念ながら、私の権限ではどうにもならないので、こう申し上げる他ないんですよ。では、今夜のところはこれで失礼いたします」

そう言って一礼すると、越智と連れの女性はそのまま外に停めてあった車に乗り込み悠莉の家を後にした。
そのテールライトが生垣の隙間から見えなくなるまで見ていた彼女は、急にぞくりと寒気を覚える。

何かおかしい。何かが……

慌てて中に入り、何度も家じゅうの戸締りを確認して回る。どこも変わったところはないというのに、それでもなぜか安心できなかった。
何か得体のしれない不気味さと不安。こんな夜はそれが心細さを増長させる。

彼女は言い知れない不安に慄きながら、ただ早く夜が明けてくれることだけを強く願った。




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