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True Colors  36


「こ、これは一体……」
ドアノブを握ったまま唖然としているダグラスの向こう、開いたドアを塞ぐようにして立つクレイグの背後に異様な光景が広がっているのが見えた。
否、正確に言えば、背後には何も見えなかったといった方が正しいか。
長身の彼の後ろには、彼以上に長身でしかも体格の良いボディガードがドアを取り囲んでいる。彼らのスーツはみな一様に黒っぽくて、それらが並ぶとまるで真っ黒な壁ができたようで、悠莉からは向こうの状況がどうなっているかはまったく見通せなくなっていた。
こちら側を威圧するかのような異様な雰囲気の前で、クレイグは悠然と腕を組み、自分たちを見据えているのだ。
「なぜここにいるかって?それはもちろん、愛する妻を迎えに来たからだ」
「……あんたもねぇ」
大概にしなさいよと言いかけて口を閉ざす。静かに怒りを湛える表情をしたこの男に今そんなことを言っても無駄だと気付いた悠莉は、緊迫した場面から逃れるように思わず天井を仰いだ。
「頼むから、冗談でもそんなアホっぽいことを人前で平然と言わないでくれる?こっちが恥ずかしいから」
くれぐれも気を付けるよう言われている、眼前の敵の懐に単身飛び込んだことを怒っているのか、そんな戯言を聞いても今日のクレイグは表情一つ崩さない。
思わぬ水入りでせっかく燃え始めた闘争心に冷水を浴びせられ、すっかり白けた気分になった彼女は、大きくため息をつくと側で呆然としているサンドラたちの方に向き直った。
「本当はもっといろいろ訊きたいこともあった……というか、ここからが本番だったんだけど」
無言のまま彼女の言葉を聞いていたクレイグが首を横に振るのをちらりと見て、悠莉は肩を竦めた。
「頼んでもない迎えが来たようだから、帰るわ」
結局彼女が一方的にまくしたてただけで相手からは確たるものを得ることはできなかった。しかしおかしな話だが、自分の口から彼らに向かって話していると、今まで一人で悶々と考えていたが釈然としなかったことやどうしても理解できなかったことの多くに何となく答えが見えたような気がしたのだ。
たとえサンドラたちがそれらを何一つ認めなかったとしても、彼女たちが否定しなかった時点で肯定したと同じだとしたら。
もちろん、100%自分が推理していることが正しいとまでは思っていない。だが彼女は過去に起きた事自体よりも、当事者たちがどうしてそうせざるを得なくなってしまったのかという原因の方を知りたかったのだから、ここに来た目的は僅かながらも達せられたと感じた。


「悪いけど、私はあんたたちとは手を組めない。今だって無駄にあるお金と地位に辟易しているくらいだから、これ以上自分から何かアクションを起こそうなんて考えられないし、サンドラだって目障りな私が側でうろうろするのは嫌でしょう?」
彼らとは事業や家や、そんな一つ一つのことに対する考え方が根本的に違うのだ。
生まれた時から恵まれた環境にいて、それを当たり前に享受することができる人間と、自分のようにこの世に生まれたこと自体がもしかしたら奇跡なのではないかと思える境遇で生きてきた者との感覚の溝はそう簡単に埋められるものではない。
ましてや彼女たち母子の生存を脅かしていたのはまさに目の前の相手なのだ。

そう結論を出した後、クレイグの方に向かって一、二歩歩いたところであることを思いついた悠莉は、突然立ち止まった。そしてまだじっとこちらを睨み付けているサンドラの方を振り返る。
その視線は憎悪に満ちていて、それほどまでに自分のことを憎んでいるのかと改めて思い知らされる。
「ね、最後に一つ訊いてみたいんだけど」
悠莉はできるだけ感情を抑えた平坦な声で問いかけたつもりだが、果たしてそれが成功していたかは自分では分からない。
「もし、もしも私の本当の父親がロバートだったとしら、あんたの息子だと分かっていたら、それでも私を身ごもっていた母ごと……消そうと考えた?」
身じろぎもせずこちらを見ながら答えようとしないサンドラに、悠莉は挑むような言葉で畳み掛ける。
「もしかしたら、生まれてくるのが自分の孫かもしれないと思っていても殺してしまわなければならないくらい、あんたにとって私たち母子は邪魔存在でしかなかった。孫や子の血のつながりよりも地位や名誉、お金の方が大事だった。そう思って間違いないのね?」
否定も肯定もせず、ただその場に立ち尽くすサンドラを、悠莉は憐憫を込めた眼差しで見つめた。
「そう、だったらそれでもいいわ。ロバートが誰にも顧みられないかわいそうな男だというのは本当だったのね」
それを聞いたサンドラが、はっとしたように顔を強張らせた。
「サラブレッド同様血統は良いのに、世間からは凡庸の烙印を押され、父親からは重用されず、母親には出来の良すぎる兄と比べられ、上から押さえつけられるだけ。卑屈になるのも……」
「あなたに何が分かるのよ」
サンドラはぶるぶると体を震わせながら、いつものようなヒステリックさを微塵も感じさせない虚ろな声で呟いた。
「ロバートは……私の最後の希望だったのよ。あの子がジョージを退けて、この家を継げばそれですべての望みが叶うはずだった。あの子が産まれた当時は誰もが皆そう思っていたのに」
確かに、ジョージとロバートの兄弟を比べれば、他家から嫁いできたジョージの母よりも、一族の出でありしかも英国貴族の系統も混じるサンドラを母に持つロバートの方がはるかに血筋が良い。ロバートは言うならばビンガムの純血種だ。
当然、幼い頃から最高の環境を与えられ、将来のビンガムを背負う者としての教育も受けさせられただろう。
だが、兄弟両者の間には年齢の差の他にも、誰が見ても一目瞭然の、圧倒的な実力の差が存在した。
生まれながらのビジネスセンスの差といってしまえばそれまでだが、ジョージは先代を凌ぐほどの才覚を持ち、自身もそれを磨くことに余念がなかった。
20代半ばでジョージがビンガムの中枢に入ることが決まった頃には、グループの中でも次の総帥は彼以外にはありえないと言われていたくらいだ。そこでその頃まだ少年の域を出ない年齢だったロバートは、彼を取り巻く大人たちからジョージを超えることを至上命令とされることになってしまう。
そして彼にそれだけの才能と実力がなかったことがそもそもの不幸の始まりだった。
学生時代は周りにがっちりとガードされ、品行こそ悪くはなかったものの、周囲の大きすぎる期待の反動か自分ではどうにもならないことをしでかしてはその後始末を母親であるサンドラや叔父のダグラスにさせてきた。
それは社会人になっても変わらず、そのせいでサンドラは常に息子の財産の状況に目を光らせることとなったのだ。
サンドラにとって、ロバートは愛する息子であると同時に一族の中で権力をより強固なものにするための手段でもあった。だから彼の将来に汚点を残すようなものは躊躇いもなく排除してきた。悠莉の母、莉紗子に対する行為もその中の微細なことの一つでしかなかったのかもしれない。
母親として、子供を守りたいという感情は決して間違ってはいない。ただ、その思いが強すぎて、善悪の区別さえ蔑ろにしてしまったことは悠莉も含めた世間の人間にはとても理解できないし、受け入れられないことだろう。

「そうね、分からないわ。どうしたら現実から目を背け、あるはずもない、叶うことのない望みに自分のすべてを掛けることができるのかなんて、私には分からない。ただ、あんたが息子可愛さの自己満足でしていたことで、どこかで別の人間が人生を狂わされていたってことをちゃんと理解していたの?」
自分たち母子のように、たった一人の男の身勝手のために普通の生活を奪われた者の苦しみなど、彼らが察していたとは思えない。
その考えが頭を過ると、感情的になるまいと抑えていた思いが一気に噴き出しそうになる。
彼らが母に与えた精神的な圧迫は最後には彼女の命までも奪った。
それは同時に悠莉がひとりぼっちで孤独と向き合わざるをえないという状況をも作り出すことになったのだ。
彼らさえいなければ、母にはもっと別の人生があったはずだ。何人にも脅かされず、人目を忍んで隠れるように住まいを移る様なおどおどした生活を送ることも、産んだ子供の存在を周囲に隠し続ける必要もない。そんな普通の人が過ごす人生を当たり前に手に入れられたはずだった。

クレイグは、感情の揺れ始めた悠莉の側に歩み寄ると、彼女の肩をそっと抱いた。だが、それに驚いて見上げた彼の目は、彼女ではなくじっとサンドラの方を見つめている。
「だが、結局最後にロバートに引導を渡したのは……」
それまで黙ってやり取りを聞いていたクレイグの口から発せられた言葉に、サンドラの肩がピクリと震えた。
「彼の死の直接の引き金になったのは母親であるサンドラ、あなただとジョージから聞いています。違いますか?」




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