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True Colors  34


万が一何か危害を加えられるような事態に陥った場合は身を隠すように。
莉紗子にそう言い含めたジョージは、そのための資金を個人的に融通して彼女に手渡したようだ。
母が亡くなった時点で判明しただけでも預金にはまだ二千万近くの残高があったと聞くに及び、当時としてもどれだけ高額な金を渡されたのかがうかがえるというものだろう。
彼の使った手口は会社を通じて複数のダミーの口座を作らせ、それに分割して資金を送り込む。もちろん住所や名前は架空のもので、そこには一切彼女に繋がるような情報は含まれていない。
それらはすべて彼の個人的な指示によるもので、常識的に考えても一介のOLには到底できないような荒業だった。

そうして恋人の身を案じつつ、彼は海を渡り自国へと帰って行った。必ず迎えに来るからという口約束を残して。
そんな彼女の周囲に異変が起きたのは、ジョージが日本を離れてすぐのことだった。
ある日、出社した彼女は突然、はっきりとした理由を告げられないままに会社を解雇されたのだ。
そしてそのまま外部との接触を一切遮断され、軟禁状態に置かれることとなった。
それを陰で画策したのは以前にも度々日記に出てきた「あの男」だ。
彼は莉紗子にこう告げた。
「君には会社の金を着服した容疑がかかっている」と。
確かに彼女の個人口座には多額の預金が入っていたが、それはジョージが無理やり押し付けていったものだ。もちろんそう言って反論したが、莉紗子を取り巻く証拠はあまりにも彼女に不利なものばかりだった。
ジョージの言いつけに従って逃げることさえ不可能な状況に陥った莉紗子は身動が取れなくなった。
実際のところその間の母の身に何が起きたのかは、悠莉にもはっきりとは分からず、推測の域を出ない。
いくら思いの吐き出し口である日記とはいえ、後々誰に見られるとも分からないものにすべてをあからさまに記載することを避けたと思われる節があった。
それでも莉紗子が言葉少なに書きつけられたものの行間を読むに― これは当事者の娘としてはかなり遣り切れない推測であり、願わくばそうであって欲しくないと切に願うことではあるが― 監視と保護という名のもとに身柄を拘束された彼女は、恐らく軟禁されていた間その男に性的な関係を強要されていたのではないかということが窺えた。
というのも、もしそういうことさえなければ、悠莉を産んだことを世間から隠すことも、後々長期間に渡って潜伏生活を続ける必要もなかったと思われるからだ。

真相が明されることなく一方的に解雇され、自由を取り上げられ、剰え体まで奪われ続ける日々。
女性にとって最悪の屈辱を味わいながらも逃げることが叶わなかった彼女を辛うじて現実に繋ぎとめていたのは、恋人であったジョージの「必ず迎えに来る」という言葉だった。
莉紗子の言い分によれば、当初の予定では、彼は父親の容態が落ち着いたのを確認すれば一度こちらに戻って来ることになっていた。その後、障害となり得るものをすべて片づけた上で莉紗子を伴って渡米、新生活を始めるはずだったという。
しかしひと月近くが過ぎてもジョージとは音信不通のまま、こちらから連絡する手段さえない。
生まれ持った富と権力を笠に着て、理不尽な言いがかりをつけてまで自分を側に置く男に憎悪を募らせながら、莉紗子は「ジョージさえ戻って来てくれればすべて解決する」という儚い希望だけをよすがに正気を保っていた。

この時の莉紗子は知る由もなかったが、本国ではグループの持つ事業の継承と家の後継争いが起こりジョージはその対応に追われていた。連絡のつかない莉紗子の身を案じつつも「彼女は現在ビンガムの庇護下にある」という事実が彼の警戒感を緩めてしまったのかもしれない。
その「庇護」を行っていたのが自分に従順な「彼」であり、そこには彼女に危害を加えることはないという過信があったとも言えるだろう。
だが、その「彼」にとっては、莉紗子を力ずくで抱くことは危害には当たらず、むしろ先に彼女を見つけた自分の当然の権利であると考えていた。むしろ責められるのは後から来て彼女を掠め取ったジョージの方で、彼さえいなければ、莉紗子は自分のものになったはずだという歪んだ思い込みをしているとは思ってもいなかった。
そこには莉紗子の意志はまったく存在しない。
それどころか、彼女は知らぬ間に兄弟の間に長年燻っていた宿怨をめぐってのスケープゴートにさせられていたのだ。
そう、母の言う「あの男」とはジョージの異母弟ロバートのこと。そう考えれば悠莉が感じていた年齢のずれも自ずと収まりがつく。


そんな中、事態は急変する。
ジョージが帰国してからも後継問題は決着せず、揺らいだ本国の経営体制を固めるために、ついに弟までもが本国に呼び戻されることとなったのだ。
この時点で、ジョージの近親者は後継争いには誰一人加わっていなかった。
というのも、グループの頂点に立つには皆年齢的に若すぎて、後継と目されていたジョージと争うような人材がなかった。彼の実弟であるロバートでさえ、兄を押し退けてトップに座るほどのビジネスセンスはないと周囲から言われていて、それが前総帥とジョージの継母との間でしばしば諍いの種になっていたくらいだ。
押しが強く気位の高い母親と、周囲の期待を一身に背負う出来の良すぎる異母兄。その間に挟まれたジョージの弟が卑屈な面を持ってしまったのは成り行き上、仕方のない事だったのかもしれない。

有能すぎる兄の陰に入ってしまう自分は、彼が存在する限り陽のあたる場所に出ることはできない。

ロバートはそう周囲に漏らしていたそうだ。
後々考えればそうした屈折した思いがジョージの恋人を強奪するという凶行の引き金ともなったと言えるのかもしれない。しかしロバートは少なくともそれまで兄に対して表だって牙をむいたり楯突いたりしたことは一度もなかったことから、ジョージもよもや彼がそんな蛮行を働いているとは考えもしなかったのだろう。

急遽日本を離れることが決まったことで、ロバートは焦った。
今、莉紗子を解放すれば、せっかくジョージの影響力が薄れたうちに彼女を自分のものにしてしまうという企みはすべて水の泡になってしまう。それどころか彼女がジョージの下に走り、自分がしたことが白日の下に晒されてしまうと兄の不興を買うことは間違いなく、彼女を失うだけでなく、今の自分の社会的地位すら危うくすることにも繋がりかねない。
もしもロバートが邪魔なものは徹底的に排除するというビンガム家の気質を色濃く受け継いでいたとしたら、この時点で間違いなく莉紗子は命を落としていただろう。
都会での一人暮らし、それも実家や友人たちと疎遠になっているような若い女の一人や二人、闇に葬ることくらい彼らには訳ないはずだ。
だが、そこまで気概のない彼は、莉紗子に対して自ら手を下すことができなかった。
だから頼ったのだ。
この女を。

「ジョージと一人の女を奪い合い、その末に私の母を力ずくで辱めた男の正体は多分ロバートね。そしてその後彼女を脅してビンガム兄弟から遠ざけ、以来接触を阻んできたのは、ロバートの実母でジョージの継母でもあったサンドラ・ビンガム。そう、あんただったんじでしょう?」




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