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True Colors  33


「それはどう意味かしら?」
相変わらず高飛車な態度を崩さないまま、サンドラがつんと顎を上げる。
「あら、20年以上前のことになると、すっかり忘れたとか?耄碌したものね。女傑も寄る年波には勝てないってことかしら」
「あ、あなた何て失礼な」
気色ばむ老女に、悠莉は悠然と笑って見せる。
「それとも、自分に都合の悪いことはなかったことにしてしまうとか。まぁ、それも生きていく上では必要な自己防衛の手段ではあると思うけれどね」
ちらりとダグラスに目を遣ると、先ほどまで自分と言い争っていた彼は側で黙ったまま2人のやり取りを見ているだけだ。
「まぁいいわ。あんたがそれほど嫌う『私の母親』にあんた達親子がしたことは何となくわかっているから」
悠莉はそう言ってソファーに深く腰掛け直し、真っ直ぐ前を見据えると、目の前の二人を視界に収めながら母親の日記のことを思い出していた。



祖父が保管していた母親の遺品から発見した日記の日付は彼女が生まれる前年のものだ。
日記の内容は、母がそれを書いたと思われる年、今から26年近く前まで遡る。

悠莉の母、莉紗子は当時23、4歳くらい。地方の短大を卒業後、両親の反対を押し切って海外の語学学校に留学した彼女は、カナダとイギリスで約2年を過ごしてから帰国する。
その後、学業を終えたあとは、故郷に戻り婿を取って家を継ぐという両親との約束を反故にし、東京で外資系会社に通訳としての職を得た。
はっきりとしたことは分からないが、恐らくそれが現在のM&Bの日本支社だったのだろうと思う。

当時の日本はバブル景気の入口にあり、その異常なまでに加熱する右肩上がりの経済成長の波に乗ろうと、海外からも多数の企業が事業展開の戦略を携えて日本に上陸を果たしていた頃だ。
その時期に日本国内で販路を拡大したアメリカ有数のコングロマリット、ビンガムグループは、バブル経済を追い風に急成長を遂げた企業の代表格とも呼べるだろう。


採用されたとはいえ、それまで実務経験が経験が皆無だった莉紗子は、ビジネスの現場ではなく、主に日本支社に赴任してきた役員や長期の出張などで滞在する外国人のプライベートな生活を通訳として補佐するのが役割だ。
仕事の内容上、自分が他の通訳より一段下に扱われることに失望を感じたのは事実だが、莉紗子はそれに甘んじた。というのも、彼女はそこで出会ったある外国人役員に気に入られ、後に彼の専属通訳として、破格の待遇を受けることになったからだ。
最初、クレイグたちに自分の出自についての話を聞かされた時、悠莉はその役員こそがジョージだと考えた。しかし記述の中の男性が20代半ばくらいっていうところがどうしても引っかかった。ジョージはどう若く見積もっても、その頃すでに40代に差し掛かろうかという年齢だったのだ。側にいた母がそれを分からないわけはないだろう。
その若さで役員だった彼は経済的にも裕福だったようで、何度も贈り物をされたりデートの誘いを受けたようだった。しかし莉紗子は頑としてそれには首を縦に振らなかったし、プレゼント攻勢も受け入れることはなかった。
なぜなら、彼が会社の上層部と太いパイプで繋がっていることを知っていたからだ。二十代にして役員、重要な支社を一つ任されるほどの地位を持つ男からの誘惑は、一社員の彼女にとっては危険極まりないものにしか見えなかったのだろう。

莉紗子はその男性 ――結局日記には最後まではっきりと名前は出てこなかった―― と一緒にいることに際どい緊張感を持ちつつも、そのまま一年ほど仕事を続けていた。本当なら実家に逃げ帰りたいところだが、両親と連絡を絶っている状態ではそれもできない。誰にも頼らず都会で一人生活していくためにはどうしてもその仕事が必要だったからだ。
そのあたりの迷いや葛藤は日記の中でも「辞めたいけどそれができない」と何度も繰り返し記述されているところにもあらわれているようだ。

だが、そんな二人の微妙な関係はある時を境に一変する。
そのきっかけが後に「彼女の恋人」となる男の出現だった。
男は彼女を落としきれなかった男性の存在を無視して、執拗にアプローチを始める。そして結局は強引に莉紗子を彼の元から掻っ攫ってしまった。
今思えば、それが彼女の実父であるジョージ・ビンガムだったのだと分かる。
当時、ジョージはすでに四十に手が届こうかという手練れだった。
自分と同世代の男性の誘いをかわすことはできたとしても、男性に免疫のほとんどない田舎育ちの娘が、多少強引ではあるが経験豊富で包容力をもつ男に口説き落されたのは無理からぬことだったのかもしれない。その相手がジョージ・ビンガムであれば尚更のこと、地位も名誉も実力も兼ね備えた、傲慢なまでの自信を持つ男の狡猾な求めを拒みきれなかったとしても、誰が彼女を責められるだろうか。

結局莉紗子は、最後にはジョージの熱意に絆され、押し切られるような格好で彼のことを受け入れたようだった。
もちろん、その頃には母自身も彼のことを愛するようになっていたし、ジョージも同じように自分のことを想っていると信じていたのだろう。
年齢差や境遇の隔たりといった、二人の間にあるそれらの障害をすべて承知の上で、それでも莉紗子は彼を愛した。
だが、それを良しとしない人間もいたのだ。
それが彼女を最初に見初めた、件の男性だった。彼にしてみれば、同じような状況にありながら、なぜ莉紗子はジョージには心を許し、自分にそれができなかったのかという不満もあったことだろうし、彼女とは自分の方が先に出会ったのだという承服できない思いもあったに違いない。
だが、すぐに行動を起こすには、相手があまりにも悪すぎた。
だから彼は用心深くタイミングを計り、その時を待っていたのだ。

ビンガムの総帥が倒れ、ジョージが本国に帰国せざるを得なくなった隙をついて、彼は一人日本に残された莉紗子に再び近づいて来た。
今度は手段を択ばない、強引な手を使って。




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