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True Colors  32


室内に入って来た男性がテーブルを挟んで悠莉の前に立つ。
立ち上がるべきかと一瞬悩んだが、結局彼女はソファーに座ったまま目の前の男を凝視していた。

「お会いできて光栄……って、嘘でも言うべきなのかしら?」
そんな雰囲気を微塵も感じさせない素っ気なさで口火を切った悠莉に、ダグラスは座りながら苦笑いを浮かべる。
「ご随意に。私は別に君がどう思おうがまったく構わん」
その横にある一人掛けの椅子に腰を下ろしたサンドラは、口を真一文字に結んだまま、忌々しそうな表情でこちらを睨んでいる。
相変わらず敵愾心剥き出しの老女と、見た目は品の良さそうな老域に差し掛かった男。一見まったく似たところがないように思えるが、よくよく観察すれば二人の表情や仕草、そして時折見せる相手を挑発するような態度はさすが姉弟だと納得できた。

「で、早速本題に入りましょうか。私と手を組みたいということならば、先にそちらの手の内を明かしていただきましょうか」
ダグラスは小馬鹿にしたように鼻で笑うと、抜け目ない眼差しで悠莉を見据える。
「君が相続したものの大半は、あの男の同意がなければ動かすことはできないことは知っているね」
「もちろん」
「事業の方針変更や規模の拡大はもちろんのこと、役員人事や会社自体を売買することすらも、すべて君の意志だけでは何もできない。ビンガムの血を引くのは君の方だというのに、権力はすべて夫であるバートンが握っているというのは異常だ」
「確かに不愉快なことではあるわよ」
そのせいで日本に帰ることができず、ここに足止めを食らっていることがね、と悠莉は心の中で付け加える。
「ならば、あの男を蹴落として、自分がその中心に座ろうとは思わないのか?そうすればすべてが自分の思い通りになる」
それを聞いた悠莉は一瞬動きを止めた後、思わず盛大に吹き出した。
「何で私がそんな面倒臭いことにわざわざ手を出すなんで思うわけ?このままでも別に問題はないけど。ただでさえ煩わしいことは大嫌いなのに」
「理由は、地位、名誉、金。挙げれば他にもいくらだってある。思うがままに手にできるのに、どうしてそれらを手にすることを、自ら拒もうとする?」
「そうね、別に私がどうしても欲しいものじゃないし、今の自分には必要のないものだから。そんなものを持っていても、だからといって幸せになれるなんて思えないから、かしら?」
「そんな綺麗事、よく言えたものね」
突然、それまで黙っていたサンドラが口を開いた。
「綺麗事?」
「そうよ、それでなければ偽善かしら?ジョージが死ぬ間際になって突然現れて、まんまとビンガムの家と財産を手中に収めたくせに、それで『必要がない』なんて、よく言えるわね」

それは確かにそうだ。
実父が死に至る病に倒れるまで自分の身の上を知らなかったとはいえ、他人から見ればそう思われても仕方がないタイミングだったことには違いない。
恐らくはこの家の係累たる多くの者たちが、もしかしたらという期待と野望を持って次の総帥の座を狙っていたのだろう。
特に後継と目されていたクレイグはここではまったくの外様なのだから、後ろ盾であるジョージの存在さえなくなれば蹴落とすのは容易いとでも考えていた者もいたかもしれない。だが、結局そういう展開にはならなかった。
先を見越したジョージが悠莉をここに呼び寄せたからだ。
結果として、未だ形さえない彼女の子という存在が次のビンガムの総帥たらしめる者を選ぶ重要条項の一つに盛り込まれたことで、彼らの多くはその権利を完全に失ったといっても過言ではないはずだ。
故に、それが具現化する前に彼女を抹殺してしまおうとする者が現れても、何だ不思議ではないのだから。
しかし、悠莉は本心から金も地位も必要としてない。
彼女が本当に求めているのは、自らの疑問に対する明確な答え。
ただそれだけが彼女の望みだ。

「まぁまぁ、今日はそんなことを言うために呼んだわけじゃないんだから」
敵意も露わなサンドラを宥めるダグラスもまた、一度ならずもその地位を望んだことがある人種に違いなかった。
彼は息子を亡くしたサンドラが頼ったほどの男だ。現在彼女が今の立場を維持できているのも、ダグラスという弟の存在が大きい。そしてダグラスは発言権の強いサンドラを上手く使ってジョージからの攻勢を交わしてきたという経緯がある。
持ちつ持たれつ、互いを巧みに使うことで、この姉弟は一族の中で生き残り、その力を失わずにきた。それを思うと、駆け引きの上では彼女にかなう相手ではないことは分かっていた。
この一見穏やかそうな仮面の下に、どれだけ強かな計算と思惑を隠しているのか。そう考えると手ごわい相手だ。
悠莉の考えを読んだかのように、ダグラスの顔つきが変わった。一瞬の間にその表情が湛えた自信と傲慢さに、思わず彼女は息をのんだ。

あしらい損じたかもしれない。

意味のない駆け引きはするべきではない、と彼女の本能が不穏を告げる。いくら自分が動じない自信があっても、スキルは相手の方が数段上だ。乗せられてしまえば忽ちに退路を塞がれる危険性がある。
そんな思惑を察したのか、彼は悠莉を懐柔するかのように、話を続ける。
「どのみち君はあの男にすべて吸い取られることになるんだ。だたら今のうちに手を打っておけば……」
「悪いけど」
悠莉はそう言うと彼の言葉を遮った。
「私と手を結んだからといって、あなたがそれに見合う報酬を受け取れるって保証はどこにもないのよ。もし私がトップに座ったとして、存在が邪魔だと思えば、次は容赦なくあなたを追い落とす」
悠莉はふっと目を眇めると、冷たい笑みを張り付けた。それはクレイグをして「本当にジョージそっくりだ」と言わしめるビンガム家特有の、人を寄せ付けない微笑みだ。
「私が情に流されて、それができないなんて思わないことね」
一族の外で生まれ、何も知らないままに成長した悠莉は、柵がない分父親よりもはるかに簡単に人を切り捨てられる。
恐らくは痛みも苦しみもなく、あっさりと。

「まったくバカな女だ。君と私では培ってきた人脈とキャリアが違う」
暗にそんなことはできるはずがないと本性を現した男は鼻で笑った。
「でもあなたと私では『血』の濃さが違う。私は前総帥の庶子ではあっても直系、あなたはビンガム家の末席に辛うじて引っかかる程度の傍系の出身。この差は大きいわ。あの辣腕と言われたジョージでさえ、クレイグに私を添わせようとした。それはこれまで脈々と受け継がれた『ビンガム』という家の血を持つかどうかで求心力が変わってくると知っていたからに他ならない。もしあなたがこのままトップに上り詰めたとしても、他の一族の者たちは簡単にはあなたに従わないでしょうね」
「あ、あなたさえいなければ」
それまでダグラスに威圧され、抑え込まれていたサンドラが、怒りに唇を震わせながら、鋭く叫んだ。
「あなたの母親、あんな女さえいなければ、こんなことにはならなかった。ジョージが死んでも弟であるロバートが、私の息子がその跡を継げば、誰も文句は言わなかったのよ」
「……そうね。そう、多分その通りよ」
悠莉は思わぬ頷くと、それを見て瞠目したサンドラを一瞥する。
「でもね、私から見れば、『その』ロバートがいなければ、こんなおかしな状況にはならなかった」
彼女はそこで一旦言葉を切り、目を閉じてふっとため息を漏らした。
「もっと言えば、あの時、あんたが我が子可愛さに道を踏み誤らなかったら、今頃はもっと違う展開になっていたんじゃない?……そうでしょう、サンドラ・ビンガム?」




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