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True Colors  27


会議を終えたクレイグが自室に戻ると、いくつかの伝言が残っていた。
多くの案件は有能な秘書たちが捌いてしまうが、自分たちでは処理できかねることやプライベートなものに関してはそのまま彼の指示を待つよう決められているからだ。

メモの内容はほとんどがビジネス上の重要案件に関する件ものだったが、クレイグはその中に一件だけ周りに馴染まない名前を見つけた。
連絡があったのは今から1時間半ほど前のこと。
今日、悠莉が行っているはずのサロンのオーナーからのものだ。
「何があった?」
すぐに連絡を入れたが、相手はとにかくすぐに来てほしいという懇願の一点張りで、状況が掴みきれない。
「家内がどうかしたのか?」
それを聞いた電話の相手は、一瞬躊躇したように言葉を詰まらせると、そこから堰を切ったように一気にしゃべり始めた。
「実は、ミセス・バートンが個室に閉じこもったまま出ていらっしゃらないのです。美容師も全員室外に出されたままで……とにかくどなたか、説得できる方をこちらに寄越していただけませんか」
もう2時間近くもそんな状態が続いているらしく、サロン側も困っているのだという。どうやら髪のことで何か担当者と揉めたらしいが、それにしても多少のことでは動じない彼女が、籠城などという手段に打って出るなどとは想像できなかった。
電話を切ったクレイグは、ちらりと腕時計を見て唸った。
これから1時間後にはパーティ会場に入らなければならないというのに、聞いた状況では、とてもではないが支度が間に合わないような口ぶりだった。
悠莉のことだ。一度へそを曲げたら誰が行ってもそう簡単には態度を軟化させることはないだろう。
クレイグは自ら出向くことに決め、その準備を始める。
先ずは机の上のインターホンを押すとすぐに秘書が応答した。
「着替えをしてから出る。10分後に正面に車を着けてくれ」


サロンの正面に車が着き、中からクレイグが降りてくると、すぐにオーナーが駆け寄ってきた。
「ミスター・バートン、お待ちしておりました」
「一体何があったのか、説明をしてくれないか」
並んで歩きながら、オーナーはこれまでの経緯をかいつまんで話し始める。
悠莉が髪の色のことでスタッフとトラブルになったことは分かったが、なぜ、彼女がそこまで激昂したのかの説明が要領を得ないし、何でそんなことになったのかという理由についても皆目見当がつかなかった。

「夫人はハサミを持ったまま中にいらっしゃいます。私たちは奥様に万が一にことがあってはと、それを心配しています」
カット用のシザーは、ナイフに見立てることができるくらい鋭利な刃物だ。先端が尖っているわけではないが、それでもデニム生地くらいならば簡単に穴をあけてしまう程度の鋭さは持っている。彼女はそれを握ったまま放そうとしないというのだ。
クレイグが個室の前まで来た時、幾人かのスタッフが心配そうにドアの前で中の様子をうかがっていた。
彼らを押し退けて部屋に入ろうとするクレイグの背後にいたオーナーが声を落として話しかける。
「奥様をあまり刺激なさると大変なことに……」
「ユーリ、入るよ」
その警告を無視して、彼は一声かけると中からの返事を待たずにドアを開けた。

「……何だ、これは?」
真っ先に目に飛び込んできたのは、床一面にとぐろを巻く長い髪の毛だった。
悠莉はそれらに囲まれるようにして、こちらに背を向けて座っている。床から目を上げると、鏡越しの悠莉が、いつもと変わらぬ冷ややかな視線で彼を見据えていた。
「何をしに来たの?」
鏡の中の悠莉の顔を見たクレイグは、表情を消して床と彼女を交互に見る。
「君こそ、何をしたんだ?」
相対する彼女は眉ひとつ動かさずに唇を歪めた。
「見れば分かるでしょう?髪を切ったのよ」
だが、彼女の頭に残っている髪を見れば、その異常さが分かる。
背中の真ん中よりも下、腰のあたりまであった長い髪はすべて切り取られ、床に落ちている。それも、頭の右半分の髪の毛は肩につくかどうかという長さで残っているのに、左半分は辛うじて耳の下にやっと届くかどうかというところまで短くなってしまっていた。ゆっくりと彼女に近づくと、毛先がばらばらに不揃いなのがよく分かる。
真横で足を止めて見下ろした彼女の顔の右側には、一房だけ、今となっては不気味なほど長く感じる髪が真っ直ぐ下に垂れていた。

「何でこんなことを」
「それをあなたが訊くわけ?」
悠莉はばらばらになった自分の髪の毛を頭の天辺で摘まんでみる。そして今さら気づいたように、右手に持ったままになっていたハサミを顔の前で何度か動かした。
それを見たクレイグに、一瞬緊張が走る。
「まさか、今になって再びこんな姿の自分を見ることになるとはね」
彼の張りつめたような雰囲気を見た悠莉は、鼻で笑いながらそう呟くと、徐に残っていた最後の一房を引っ張りながら顎よりも上のあたりでざっくりと切り取り、静かに床に落とす。
そして軽く頭を振ると、そこには以前とは別人のような、まったく雰囲気の違う悠莉が現れたのだ。
「もっと短くてもいいわね」
咄嗟にクレイグは、まだ少し長く残っている右後ろの髪まで切り落とそうとする彼女の手から、ハサミを取り上げた。
「いい加減にしないか。何でこんな無茶苦茶なことをしたんだ」
「決まっているじゃない。嫌いだからよ」
「えっ?」
クレイグの困惑したような表情に、悠莉は唇の端を上げて冷たく笑った。
「亡くなった母だけは、綺麗だっていってくれたけど、こんな色をした髪も目も、私は嫌いなの。そしてこんな髪と目を持って生まれた自分も嫌い。それが理由よ」
「しかし、その色は君の父親の……」
「だからよ」
悠莉は強い調子でクレイグを遮ると、俯くと同時に落ちてきた髪を乱暴にかき上げた。
「だから嫌いなのよ。この髪のせいで、どれだけ私と母が苦しんできたかなんて、あなたには分かりっこないわよね」

悠莉の母は生前、幼い彼女の父親とよく似た髪や瞳を見ては泣いていた。それが愛する男を思って寂しさのあまりに流す涙なのか、それともその男に添えなかった悔し涙なのかは今となってはもう分からない。
ただ、子供心にも自分の容姿が母親の感情を乱すことに、不安と嫌悪を感じていたことは確かだ。
その母親が亡くなり、施設へと送られた彼女は、そこで自分が周りの誰とも違う、相いれない容姿を持っていることに初めて気が付く。学校に行けば「ガイジン」とからかわれ、施設に帰れば苛めの対象にされ、母が好きだからと長く伸ばした髪を引っ張られることも度々だった。
そんな状況を大人たちはただ遠巻きにして見ているだけで、誰も積極的に彼女に手を差し伸べてくれようとはしない。結果、彼女の孤独感は募るばかりで、そのうち助けを求めることさえしようとはしなくなった。
幼い彼女は、そんな環境に半年あまりいただけで、数えきれないほどの世の中の冷たい洗礼を受けた。誰一人彼女の存在を良いものと言ってくれる人がいない一方で、自分の有様を否定するのには十分すぎるほどの体験をしたのだ。

その後、祖父に引き取られてまず最初に連れて行かれた場所は、住んでいた場所から少し離れた町にある美容室だった。
そこで彼女は生まれて初めて自分の髪を短く切り、黒く染めた。
もちろん、年端もいかない子供の髪を薬液に浸すことを美容師は渋ったようだが、祖父は何としても悠莉の髪を染めるという姿勢を崩さなかった。
出来上がった自分の姿を鏡で見た時に感じた「これで自分も皆と同じ姿になれた」という安堵感を、彼女は今でもまだはっきりと覚えている。
もちろん、祖父は彼女の気持ちを慮ったのではなく、周囲の目を憚ってそうしたのだろう。
ただでさえ田舎の小さな町の中では、特異な容姿は目立ってしまう。ましてや悠莉は父親が分からず、母親も亡くしたことで、引き取られたかわいそうな子供という話は近所中に広がっていたから、噂のネタにされることは間違いなく、その上容姿がこれでは奇異の目で見られることは避けられなかったと思う。
その時一緒にメガネも作らされ、常に掛けているように言われたが、彼女は嫌がるどころか喜んでそれを使った。
黒い髪をメガネ越しの瞳で見た自分の姿は、同級生たちとほとんど変わらないと思った。
そのことが、彼女はただ、素直に嬉しかったのだ。

それ以来、彼女は自分の髪を染め続けていた。
最初はごわごわする手触りや独特の匂いに戸惑ったが、ある程度の年齢になれば、自分で小まめに目立つ部分だけ色を付けるコツも覚えたし、染料も段々と髪を傷めないよいものが出来てきた。
幼い頃から髪を黒くすることで何とか自分の内側のバランスを保って来た悠莉には、それが誤魔化しでしかないと頭の中で理解していても、やはり「黒い髪の自分」が本当の姿でありたいと願ってしまう。
恐らくこの気持ちは、自前の黒髪を茶や金に染める人には一生理解してはもらえないだろう。

「そうやって、いつまでも現実から逃げ続けるつもりなのか」
クレイグの挑発的な言葉に、悠莉の肩がぴくりと震える。
「なっ……」
彼女は否定しかけて途中で止めた。
ここでその言葉尻に乗り、むきになって打ち消せば彼の思惑通りなのだろうが、悠莉もそれほど愚かではない。何より、今の状況を維持していくためには、妙な言質を取らせるわけにはいかない。
ふっと短く息を吐いた悠莉は、一瞬で苛立ちの表情を消すと顔を上げた。
「それのどこがいけないの?」
「ユーリ」
「挑発しても無駄よ。私は逃げられるだけ逃げる。わざわざ現実と向き合って自らの無力さを曝け出すなんで御免こうむるわ」
そう言うと、彼女は椅子から立ち上がってクレイグと向き合った。
「もう金輪際、私を表舞台に引っ張り出そうなんて思わないで」
悠莉は髪を整えることさえしないまま部屋の外に出ようとして、クレイグの腕の中に引き戻された。
「このままでは何も変わらない。それが分かっているのか」
短くなってしまった髪を撫でられながら、彼女は頑なに頷く。
「変わらなくていい。変える必要もない。悪いけど、これが私のスタンスなの。良く覚えておくことね」




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