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True Colors  26


旅行を終え、自宅に帰っても生活自体はほとんど以前と変化がない。
ただ、認知度を高めるためか、周囲からは夫婦での外出予定を所望されることが多くなった。
元々あまり外交的な性格とは言えなかった悠莉は、当然悉くそれを退けていった。
パーティーにつきもののドレスと化粧と香水と、そして愛想笑い。
それらのどれ一つを取っても、彼女にとっては嫌がらせでしかない。
わざわざそんなところに自分の方から出向く必要は感じなかったし、行きたいとも思えなかった。

「嫌よ。お断り」
その日も、さる大物政治家の主催する、政治集会という名の資金集めパーティーに出席するよう話があった。扱いは主賓クラス。滅多に、というよりまったくといってもいいくらい露出がないビンガムの次期総帥夫妻を公の場に引っ張り出し、人々の注目を集めるという魂胆が見え見えだ。
それが分かっている悠莉の返事は、単純明快にして取りつく島もない。
「会場でその議員さんとやらをボロカスに批判しても良いって言うなら行ってもいいわ。ただし、私はそのあたりの取り巻きみたいに政治的配慮なんてクソくらえだから、カメラの前だろうが何だろうが思ったことをそのまま言うわよ」
政治家なんて、誰もが後ろ暗いものを持っているものだ。ただそれを極力公にしないように、イメージを崩さないようにとしているだけの話で、叩けば埃は出てくるものだろう。
ましてや今回のホストは、実力はあるが見るからに高圧的な態度の有力政治家で、極めつけは女好きときた。そんな奴のお呼びにへいこらと出て行く気になどなれるはずもない。
「だが、かなり丁重な招待を受けている。彼とビンガム家とは事業を通じても以前から昵懇だった」
「そう、それならば次の代で断交ね」
「ユーリ」
クレイグは呆れたような顔で彼女を見た。
「いい加減にしないか。これも総帥の妻としての役目の一つだ」
「あら、その『妻』のささやかな望みの一つも叶えられないケチな夫が何を言うのかと思ったら」
悠莉がちくちくと嫌味を言っているのは、もちろん帰国する際に立ち寄り事が叶わなかった故国への立ち寄りについてだ。
彼女自身ももう諦めはついているが、今や時折思い出しては遠まわしに彼を責める絶好の材料になっている。
「行きたければ一人で勝手にすれば。私は行かないから。夫婦揃っていないからって『一人なら来るな』とは言われないでしょう」
「それはそうだが」
先方の狙いはクレイグと悠莉のツーショットなのだ。
まったく外に出ようとしない悠莉を誰が最初に引っ張り出せるか。それが社交界で噂になっているのを彼も知っていた。
そんな背景もあって、今なら売り手市場、言い値で恩を売れる良い機会だ。事業を行う相手として、駆け引きが得意で際どい条件を突きつけてくる人間にアドバンテージを取っておくには絶好のチャンスだったのだ。
渋い顔をするクレイグに、悠莉は悠然とこう言い放った。
「忘れてもらっては困るけど、ビンガム家なんて潰れようがなくなろうが別に私には痛くも痒くもないのよ。そんなものがなくても私は普通に生きていけるんだから」
これは悠莉の偽らざる本音だ。
もしこの家さえなければ、そして彼女の父親さえいなければ。母親はもっと人並みの平凡な一生を送れたかもしれない。それと同じことは彼女にも言えることで、母親の人生を狂わせたビンガムという家と一族が、今また再び悠莉自身の行く末もおかしくし始めている。これ以上自分の未来を彼らに左右させないためにも、彼女はこの帝国とその人間たちを栄えさせる義務はないと本気で思っていた。
「とにかく、この話はお断り」
懐柔の切欠さえ掴ませず、悠莉はその一言で話を打ち切ったのだった。



数日後、その日悠莉は珍しく午後の遅い時間に外出の予定を入れていた。
行先は市街地にある美容室。
最初はそれより前に行くつもりにしていたのだが、先方の都合で先延ばしになったのだ。クレイグの伝手で予約を入れたそこはかなり有名な高級サロンらしく、彼に言われたように指名をすると空きがその日の午後しかないとのことだった。
そんなに急がないから来週でも構わないと言ってみたが、次の週はすでに予約で埋まり、良い時間帯はほとんど空きがないと聞かされればそこに予定を入れるしかなかった。
折しもその夜はクレイグが例の話を持ちかけた日でもあったが、端から出席する気がない彼女にはまったく問題がないし、むしろ何か予定を入れておく方がダメを押すのには都合がよいくらいだろうというくらいに思っていたのだ。

余裕を持って指定された時間より少し前にサロンについた彼女は、オーナー直々の出迎えを受けた後、すぐに店の奥の方にある個室に通された。

こういう場所にもVIPルームってあるのね。

クレイグの口利きのせいもあるのだろうが、やはりセレブの住む世界は現実とはかけ離れていた。今思えば、彼女がいつも行っていた美容室はお洒落ではあったがかなり庶民的だったのだろう。それでも料金は他と比べてちょっと高いなと感じていたから、上には上が、青天井にあるということだ。
しかし、このマダム御用達の雰囲気がぷんぷんするようなサロンを、いくらクレイグがお洒落でも本人が使っているとは思えない。
まぁ、ここだって多分、過去には彼の恋人たちが座った席に違いないのだろうけれど。

簡単にメニューを説明されると、その中にフェイシャルのみとはいえエステと爪の手入れまで入っていたことに素直に驚きを覚えた。一瞬、クレイグにしてやられたかとも思ったが、スタッフに言わせるとそれが普通のコースなのだそうだ。
何せこんなところに来たことがない彼女には、どこまでが本当なのかも皆目見当がつかないのだから仕方がない。
時間はかかりそうだがお任せということで、先ずはそちらから取り掛かってもらうことにした。

初めて体験するマッサージは確かに良かった。施術の心地よい刺激に眠気さえ感じたくらいだ。肌はしっとりと張りが出て、彼女は内心「お金をかければそれなりになるものだわ」と舌を巻いた。
その後、肌を休めているあいだに本題の髪の手入れに取り掛かる。
椅子に座らされ、邪魔になるからとメガネを取られると、あとはもう当分そこから動けない。
悠莉の場合、カットそのものよりカラーの方が時間も手間も掛かる。読めそうな雑誌もなくぼうっとしていると、先ほどの気の緩みも手伝って、ついつい瞼が落ちそうになる。何度か舟を漕いだ後でようやくスタッフに声を掛けられた彼女は、髪の毛についていたあらゆるものを外し、それから染料を洗い流した自分の姿が映る鏡を凝視した。
「何?これ」
悠莉は背中に広がる髪を掴むと、後ろにいたシャンプーの担当者を振り返った。
「はい?なんでございますか?」
何か問いたげな彼女の視線に気づいたスタッフが彼女の指に絡む髪を外してまた背中に流そうとする。
「これは何なのかって聞いているんだけど」
悠莉の声色に不平を感じ取ると、スタッフは腑に落ちない様子を見せた。
「綺麗にカラーが入っておりますよ。ほとんど生え際と見分けがつかないくらいに」
それを聞いた悠莉はますます不満を募らせる。
「だから、誰がこんな色にしてくれって頼んだの?私は全部黒く染めて欲しいとオーダーしたはずだけど」
「少々お待ちくださいませ」
スタッフの女性が慌てて確認をしている。
「あの、カルテは、黒い部分を本来の髪色に染め直すという指示になっておりますが」
「嘘。私は注文をしていないわ。一体誰がそんなことを……」
その時ふとある考えが彼女の頭の中を過った。
「クレイグ。彼の差し金ね」
悠莉は、ぎりっと音がするほど奥歯を噛みしめた。そうでもしないとこんな高級店の中で下品な悪態をついてしまいそうだ。
「今さら言っても仕方がないわ。すぐに黒く染め直して」
「しかし、マダムこの後のお時間が」
「暇なら有り余るほどあるから大丈夫よ。とにかくこの髪の毛を何とかして」
その時、騒ぎを聞きつけた店のオーナーが彼女のいた個室に入って来た。スタッフからことのあらましを聞くと、彼が悠莉の側に跪いて話しかけてくる。
「マダム、申し訳ありませんが何か行き違いがあったようですね」
「もういいです。それよりすぐに色を戻して欲しいんですけど」
「それはちょっと……お勧めできません」
「どういうこと?」
「一日に何度もカラーリングすることは髪自体や地肌にダメージが出ますから」
「構わないわ。やってちょうだい」
「しかし」
「いいから。私の髪よ。責任は自分が取るわ」
「この後のマダムのご予定のことを考えますと、時間内にこれだけの長さの髪を染め直すのは無理です」
のらりくらりと彼女の怒りを交わしながらも、オーナーは簡単には頷かない。それに、悠莉は彼が言ったある言葉に引っ掛かりを覚えた。
「この後の予定、って何?」
「ミスターバートンのご依頼で、カットの後でネイルとメイク、それにドレスアップをするよう申しつかっております。御衣裳もお預かりしておりますが」
それを聞いた悠莉は、その時になってやっと自分がはめられたことに気づいた。
「やられた」
そう呟いた彼女は、収まりきらない怒りに震えながら、なおも言い募った。
「いいから、染め直して。今すぐに」
「いたしかねます」
抗議を頑として受け付けないオーナーに業を煮やした悠莉は、側のカートに置いてあったあるものに目を留めた。
「あなた、この髪の長さがネックだって、そう言ったわよね」
そう言うと、彼女は同意を待たずに畳み掛ける。
「ならばこうするわ」
彼女はそう言うなり、いきなり右手でカット用のシザーを掴むと、左の手で自分の髪を鷲掴みにする。
「マダム、一体何を!?」
悠莉の耳に、複数のスタッフの悲鳴とオーナーの息をのむ音が同時に聞こえる。
そんな中で、彼女は左手に握っていたものを床に落とすと、悠然と彼らを振り返った。
「さて、これでいいわ。さぁ、私が言う通りにしてもらうわよ、いいわね」




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