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True Colors  24


そう、彼が夫でなければ。ただの通りすがりの、一人の男であったなら。
彼女は刹那の慰めを求めて、衝動に流されていたかもしれない。
ベッドに腰を掛けた悠莉は暗闇の中でそんなことを考えながら、閉ざされた扉の向こうに思いを馳せた。
今夜はクレイグが廊下側に近いリビングのエキストラベッドを使うことになった。
真夜中にもし何かあった場合、彼が最前線に出向いてリゾートの保全に関する陣頭指揮を執ることも辞さないという考えからだ。
このホテルを所有するのはビンガムの小会社で、通常はクレイグの直接管理下にはない。平時にそんなことを申し出れば、越権行為も甚だしいと嫌われる行ないであろう。しかしながら、グループ全体に強い影響力を持つ次期総帥候補の指示に逆らえるものはいないし、こういった非常時にはむしろ強い統率力や責任を負えるだけの大きな権限を持っている人間が重用されるのは、自然なことなのかもしれない。


結局、激しい風雨は一晩中続いたが、彼が呼び出されるような事態にはならなかったようだ。
まんじりともせずにその夜を過ごした翌朝、まだ吹き返しの突風と断続的な雨は続いていたが、それでも通常の送電が回復し、島全体の復旧作業が始まった。
朝食を運んできたホテルの従業員の話では、島内の道路が数か所寸断され、破損した民家が数軒、空港の敷地も浸水し、滑走路が使用不可能になったということだった。地盤が弱く侵食された箇所があり現在も飛行機は飛べず、復旧するまでは当面必要な物資の補給はヘリコプターでの輸送に頼ることになると聞いた。
まだ海上の波は荒く、定期連絡船はしばらく運休が続くという。
夜が明けて風雨が治まったらすぐにでもここから出ようと思っていた悠莉だが、そのもくろみはかなり難しくなりつつあった。
仮にヘリコプターの手配がついても、まずはここに足止めを食っている一般の宿泊客を島外に脱出させなければならない。関係者が後回しになるのはやむを得ないことだろう。
その上、クレイグが島の周辺にある、ビンガムグループが出資した掘削プラントの破損状況を確認するためにしばらく留まると聞いた後では、道義上自分だけがすごすごと逃げ帰ることはできなくなった。
仕方なく、彼女もこのまま数日間ここに滞在し、彼に帯同することにしたのだった。



「これは酷いな」
数年ぶりという暴風雨、それも近年まれにみる大型サイクロンの残した爪痕は凄まじいものだった。間近で見るプラントはかなり破損していて、作業員たちはその後片付けと修復に追われていた。
「人的な被害がなかったことだけが、不幸中の幸いと思わないといけないわね」
大型掘削機の折れ曲がったアームを見上げた悠莉は独り言のように呟いた。
島の反対側にあるホテルも被害が出ていたが、直撃を免れただけまだましだったのかもしれない。このあたり一帯はかなり酷くやられていて、彼らが来る時も車を止めては崩れてきた岩や倒木を道の端に避けながらやっとここまでたどり着いたのだった。
クレイグはもとより、同乗していた悠莉も車外に出て作業を手伝ったせいで二人ともホテルに戻る頃には汗まみれであちこち泥だらけといった有様になっていた。
クレイグが本社と連絡を取るためにホテル内のネット回線が使えるオフィスに立ち寄ると聞いた悠莉は、先に部屋に戻ってシャワーを浴びることにした。
ホテルのライフラインがほぼ無傷だったのは奇跡としか言いようがない。
シャワーという、その恩恵の最たるものに預かりながら、彼女はやっと人心地ついていた。
掘削現場はどこから手をつけてよいか分からないくらい破壊されていたが、クレイグは担当者と連絡を取りながら、次々に指示を出していた。机の上で数字を並べることしか能がない経営者も多いだろうその中で、彼は現場を知っている人間なのだという認識を強くした。
「ビンガムの帝王学を学んだ男……か」
彼のような人材は、本来ならばビンガムの中から現れることを望まれるのだろう。外から入って来る人間は、どうしても余所者扱いされることは否めない。特にビンガム家のように、富と権力を持ち、自らを「名門」と言って憚らないような、なまじプライドが高い人々が数多いる家では、人知れぬ苦労もあっただろう。
悠莉の父親であるジョージが才能を見出し、後継者として育て上げたのは、その圧力を跳ね返すだけの知力と忍耐力があったからかもしれない。

「ユーリ?」
突然浴室のドアが開き、クレイグがシャワーブースまで入って来た。
「クレイグ、何か用?」
「いや。声を掛けたのに返事がなかったから」
彼はそう言って、シャワーヘッドから噴き出す湯が悠莉の肌を伝い、足元の排水溝に吸い込まれる様子に目を向けた。まだ服を着たままとはいえ彼に見られているというのに、彼女は慌てる様子もなく、悠然と体に残っているソープの泡を湯で洗い流している。
「すぐに出るわ。お先に使わせてもらったから」
彼女はコックを閉めると側にあったバスタオルで体を拭き、髪の毛から落ちる水滴を拭った。
クレイグは悠莉の側まで歩み寄ると、少し背をかがめてまだ裸のままの彼女と唇を重ねた。
「何?」
「いや、ちょっと意外だった」
彼が口の端を上げて小さく笑う。
「悲鳴を上げてもっと大騒ぎするか、急いでここから逃げ出すか、タオルで体を隠すと思った」
今度はそれを聞いた悠莉が声を出して笑う。
「悪かったわね、慎み深くなくて。でもこれが私なの。逃げも隠れもしないわよ」
彼女はそう言うと、クレイグの顎を指先でひと撫でしてから堂々と体を晒しながら浴室を出て行った。
その後ろ姿を見送る彼は、苦笑いを浮かべるしかない。
今日の彼女の働きは見物だった。服や手足が汚れるのも厭わず、クレイグや随行した社員たちと共に進んで体を使い、車の進路を作ったのだ。
彼の周りにいるようなご令嬢たちとは違い、傅かれているだけで満足するような女ではないことは分かっていたが、彼女の自尊心と自立心はかなりのものと見た。

「さすがだな、君は。時々思わぬことをやってのける」
ビンガム直系の血を受け継ぐ女。
尊敬する継父のたった一人の娘。
そして、彼の妻でもある、悠莉。

まだ今のところ、二人は名ばかりの夫婦だけれど。
「さて、この理解不能な奥方を攻略するのもまた一興か」
難事に挑むことさえ楽しみに変える男はそう呟くと、不敵な笑いを浮かべながら自分も服を脱いでシャワーブースへと向かったのだった。




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