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True Colors  23


ランタンはぼんやりとした明かりを、しかし揺らぐことなく照らし続けている。
これがロウソクならば、燃え尽きるのを見て休む頃合いと諦めることもできるのに、この分だと電池が切れるまで側で見ていることになりそうだ。
恐らく今、このまま横になっても眠ることはできないだろう。
風の唸りや叩きつけるような激しい雨音が、耳に届く限りは。

悠莉は諦めたように首を振ると、ベッドの上で膝を抱えて座った。
いつもは昔の記憶など思い出すこともないのに。
この不可思議な状況が引き金になったのか、それとも時間を持て余すあまり、心に過去を振り返る余裕ができてしまったせいなのか。
何にしても、彼女にしてみればあまり歓迎すべきことではない。

部屋にバーカウンターがあるので、勢い酒の力に頼って眠るのもいいかもしれない。少し刹那的ではあるけれど、こんな時だから彼だってなにも言いはしないだろう。
そんなことを考えながら視線を上げると、こちらを見ていたクレイグと目が合った。
ついと逸らした先にあるものに目を遣った彼は、彼女の意図を汲んだのか、自らそちらへと行き、カウンターの中に入る。
「何がいいんだ?」
「私お酒には詳しくないから、飲みやすいものならなんでも」
学生時代、飲みに行くのは安い居酒屋みたいなところが多かった。そこで出てくるのは、大概はビールや日本酒、チューハイといった大衆的な飲み物で、お洒落なカクテルの類にはあまりお目に掛かれなかった。最近はカクテルも缶飲料で売り出されているのでそれを飲んだことはあるが、名前まで覚えるほど好みの味と思えるものとは終ぞ出会わなかった。
元々一人酒などしない彼女は卒業後、実家のある町に帰って来ても状況はほとんど変わらず、むしろ飲みに行く機会自体が減ったせいで以前にも増してアルコールとは縁遠くなってしまったくらいだ。

「ほら、これなら軽いし飲みやすいだろう」
彼が持って来たのは、トールグラスに入った鮮やかな赤色のお酒だった。
「これは?」
「カンパリ・オレンジだ。ジュースを多めにしておいたから」
薄明かりの中では赤く見えたが、オレンジジュースが入っているなら本当は少し橙色なのかもしれない。彼のいう通り、味はほとんどジュースで、お酒とは思えない軽い口当たりは飲みやすかった。
彼は自分用にはそれよりも平たいグラスに何か琥珀色の酒を注いできたようだ。
「それは?」
「バーボンのストレート」
「バーボンってブランデー?それともウイスキーになるの?」
「ウイスキーの一種だな、アメリカ産の。I・W・ハーパーとか、フォア・ローゼズとか、聞いたことがないか?」
そういえば、酒屋の広告やテレビのコマーシャルなどでそんな銘柄を見聞きしたことはある。しかし、彼女にはそれが一般的な洋酒とどこが違うのかはよく分からなかった。
軽く一杯を飲み干した悠莉は、グラスを振ってお替りを要求する。
「ペースが速いな。少し軽すぎたか?」
「そうかもしれないわね」
限界を試したことはないが、悠莉は自分ではそこそこアルコールに耐性があると思っている。ただ今夜はいつもにも増して、何も考えずに眠れるくらい強い酔いが欲しいと思った。
今度は少し多めにリキュールを入れたものを手渡されたが、悠莉はそれも一気に空けてしまった。
「カクテルの飲み方としては最悪だな」
クレイグは早すぎるペースに苦言を呈すが、彼女は歯牙にもかけず、3杯目を所望する。しかし彼はくつろいだ様子でベッドの側にあるソファーに座ったまま動こうとせず、指先でつかんだ自分のグラスをくるくる回しているだけだ。
「もう少しペースを落とせよ。軽いと思って侮ってたら潰れるぞ」
暗に3杯目を拒まれた悠莉は、今度は自分でカウンターに向かう。だが、彼の側を通り抜けようとした時、不意に強く腕を掴まれた。
「放して」
「悪いことは言わないから、もう止めておけ」
「煩いわね。どれだけ飲んでも私の勝手でしょう?」
自由になろうともがくが、がっちりと彼に握られた二の腕を振りほどくことができない。
苛つきながら見下ろした悠莉は、ふと彼が手にしているグラスに目を留めた。
「それ、私にちょうだい」
「えっ?」
グラスを口に運ぼうとした彼の手が止まった。
「それが欲しいの」
「止めておいた方がいい。これ、ストレートだぞ。どうしても飲みたいって言うなら、せめて水割りかロックにしておかないとアルコールが強すぎる」
「大丈夫よ、あなたが飲めるなら、私に飲めないはずないでしょう?」
「無理だ」
「平気」
押し問答をしながら彼の手からグラスを奪おうとする彼女を、クレイグは険しい顔で見た。
「いい加減にしろよ。一体なんでそんなに無茶なことをしたがるんだ」
「いいじゃない、飲みたいの。ぐたぐたになるまで酔って……何も思い出さず、何も考えられなくなるまで酔ってしまいたいのよ」
「突っ張り、強がりの後は自棄か。君もつくづく手のかかる女だな」
「放っておいて。あなたには関係ないでしょう?」
「そう割り切れればいいんだが」
クレイグはそう言うと、掴んでいた腕を自分の方へと思い切り引っ張る。その反動で持っていたグラスを落としてふらついた悠莉が、自分の上に倒れ込んでくるのを片手で受け止める。彼女が腕の中に収まったのを見ながら、反対側の手で持っていた酒を口に含んでからグラスをテーブルに置いた。
「一体何を、んんっ……」
抗議しようとした悠莉の後頭部を空いた手で押さえると、彼は上から圧し掛かるようにして彼女の唇を塞ぐ。
割り込む舌の感触と共に、微かに生ぬるくなった酒の香りが口内に広がり、そのまま喉の奥と流れ落ちる。強い刺激に喉を焼かれた彼女は、思わず両手で口を押えながら咽た。
「ぐふっ」
「ほらみろ。これでもまだ飲むというつもりか?」
床に四つん這いになって悶えている悠莉にそう言い捨てると、彼はほぼ空になった自分のグラスを手にカウンターに向かった。そして戻って来た彼が差し出したのはミネラルウオーターのボトルだった。
「ほら。これで口直しをしろよ」
「い、らないっ、ごほっ」
「まったく手間のかかる……」
クレイグは受け取りを拒否されたボトルの口を捻るとふたを開けた。そして徐にそれを口にしてから、やっと咳が治まった彼女の顎を持ち上げ、再び口移しで流し込む。
さっきのお酒とは違い、一気に大量の水を流し込まれた口はそれを嚥下し切れず、唇の端から顎へと滴が伝う。クレイグは悠莉が小さく唸るのを聞くと、水滴が互いの服を濡らしているのも構わず彼女のそれに舌を絡めてより口づけを深くした。
「んっ」
忙しなく動く彼の手が悠莉のサンドレスの裾から忍び込み、直接肌を掠める。
摺り寄せた腰に当たる興奮した彼自身の感触が悠莉を熱く煽り立てる。彼に触れられた胸の先が固く尖り、下着越しに突かれた彼女のとば口がとろけるように熱く潤む。

このまま、何も考えずにこの男の下で足を開いたら、どうなるだろうか。

悠莉はふとそんな誘惑に駆られる。
クレイグは日本人にはない、西洋人特有の体躯を持ち、見た目は悪くないどころか最上級。しかも女性の扱いに慣れた手練れとくれば、普通の女なら一度は寝てみたいと思っても不思議ではないほど危険な魅力を持つ男だ。
今まで彼女が関係を持った相手は片手にも満たないが、彼以上に惹きつけられる男は一人もいなかった。

クレイグ・バートン。
ビンガムという巨大な帝国を統べる能力を持ち、その次期総帥を約束されたも同然の男。
地位も名誉も財産も、すべてを完璧に備え、かつ誰もが認める美しさを誇る、精力的なタフガイ。
そして今は、名前だけの……私の夫。

悠莉はふっと自嘲気味に笑うと、彼の胸に両手を突いて押し退けた。
「そこまでよ、クレイグ。離れてちょうだい」
「……なぜだ?」
クレイグはまだ信じられないと言った表情で、彼女を凝視している。
「どうして止めた?なぜ本能に抗う?」
本能。そう、彼に惹かれるのは女としての本能以外の何物でもない。だからこそ、今の彼女は簡単にそれに流されるわけにはいかないのだ。

「……理由が必要かしら?」
彼女は努めて冷静を装いながら乱れたドレスの裾を引っ張り元に戻すと、すっと立ち上がって彼を見下ろした。
「強いて言うなら……そうね、今現在もあなたが私の『夫』だからよ。ミスター・バートン?」




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