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True Colors  22


サイクロンの直撃こそ免れそうなものの、その日の夕方から風雨共に強くなり始め、島はさながら雨季のジャングルのような様相を呈してきた。
数時間前からは送電が止まり、一時館内が真っ暗になったが、それはすぐに解決したのはありがたかった。ホテルは自前の発電装置を完備しており、もしもの時の燃料や食料の備蓄も十分にあるそうだ。しかし今は非常時ということで、全館で極力照明を落とし、電力消費を抑えている。
いくら頑丈なホテルとはいえ、他に遮蔽物がない島内で晒される風はかなり強く、吹き付ける度に地響きのような音と共に建物が揺れた。
鎧戸に閉ざされた窓から外を見ることはできないが、木々の撓る音や物が飛ばされて壁面にぶつかる反響音が聞こえてくる。
自分用に運び込ませたベッドに腰掛けた悠莉は、部屋ごとに支給されたランタンに照らされた薄暗い部屋の中で、所在無げにちらちらとそちらを見てはため息を漏らしていた。
「大丈夫か?」
クレイグは、隣りに腰を下ろすと顔色の悪い彼女を気遣う。
「平気……と言いたいところだけど、あんまり気分は良くないわね。こういうのって苦手だから」
「嵐が怖いとか?」
「子供の頃はそうだった。台風が来た時なんて、一晩中怖くて一睡もできなかったこともある。まぁ、確かに暗いところや雨風の音は苦手だけど、今ではそこまでひどくはないわ。そんなヤワじゃ、いくら日本が平和でも生きていけないから」

悠莉の暗闇や大きな物音に対する嫌悪は、恐怖という感覚とは少し違う。
それは恐らく一種のトラウマみたいなもので、彼女の幼少時の体験からくるものだと思われた。

彼女の母親、片岡莉紗子が亡くなったのも激しい雨の降る夜だった。
娘を借りていた賃貸マンションに残し、彼女は一人出掛けていた。
何をしようと思って外出したのかは分からない。財布以外には何も持たず、雨の街に出た母は、そのまま事故で帰らぬ人となった。
とはいえ、悠莉にはその記憶は全くない。彼女は母親の死という避けがたい現実に直面はしたが、実際にその現場を見たわけではないからだ。

搬送された病院で息を引き取った母親は、身元を明かすようなものを何一つ持っていなかったそうだ。身に着けていた財布の中には多額の現金とキャッシュカード以外は何も入っておらず、クレジットカードの一枚も持ち合わせていなかった。
警察が照会した銀行のキャッシュカードも登録された住所等はまったくの架空で、該当する名義はあったが本人ではないことも確認された。
身元不明の遺体と、若い女性が日常的に持ち歩くには不自然なほどの大金。
事故自体に事件性はないと思われたが、念のために警察が訊きこみ等の捜査をしていたと後になって聞いた。

悠莉がマンションに住人の通報で保護されたのは、それから約1週間後のことだ。
外出したまま帰って来ない母親を一人待ちながら、心細くなった彼女は玄関にうずくまったまま泣いていたらしい。母親に外に出てはいけないときつく言われていたせいで、助けを求めることもできず、悠莉は寂しさに耐えながらただひたすら母の帰りを待っていた。
それまではその部屋に子供が住んでいたことさえ認識されておらず、偶然泣き声を聞きつけた隣人が不審に思って警察に通報したことから、彼女の存在が発覚した。
部屋のエアコンが点けっぱなしだったことと、食料品は買い置きがあり、冷蔵庫の中にはお茶やジュース、他にもスナック菓子やパン、ウインナーなど当時未就学だった彼女の年齢でも何とか自力で口にする食べ物があったことが不幸中の幸いで、保護された時の悠莉は大した衰弱もなかった。

だが、母親を亡くし、たった一人後に残された彼女はすぐに窮地に立たされることになった。
まず一番最初に困ったのは、彼女の身元が分からなかったことだ。
本人が「ゆうり」という名前を言えたことからそれだけは確認できたものの、後は何を聞いても要領を得なかった。しかもまだ未就学と思われた子供はほとんど日本語が理解できず、英語で何とか受け答えをする有様だ。
事件性が疑われるこの状況で、警察が室内の遺留品を調べたところ、先日事故で死亡した身元不明の女性との関連性が浮かび上がり、やっと彼女と母親の接点が見つかったのだった。

母親と彼女の親子関係は後に立証された。
だが、結局母親が「片岡莉紗子」であると確認が取れたのはそれから半年以上先のことになる。
母は、本名以外に幾つか偽名を使い分けていたせいで、名前自体がはっきりせず、自宅にも身元を明かすものを所持していなかった。悠莉の名前を届ける際にも漢字は仮称をそのままあてられたような形だ。
役場の人間が調べても、悠莉には出生届を出された形跡がなく、戸籍を持っていなかった。母親は日本人であることはほぼ特定されたが、娘の容姿はかなり違ったことから、当初は親子関係も疑われたくらいだ。
悠莉の薄い緑と茶色の混じった瞳や、はしばみ色の髪の毛は外国人のそれに近かったし、顔つきも子供ながらどこかやはり日本人のものとは違っていた。日本語が話せなかったというのもその印象作りに一役買ったのかもしれないが、とにかく彼女は扱いに困る存在だったことは確かだ。

これらのいきさつから、悠莉の戸籍は特異なものになった。
母親の名前は何とか入れられたものの、父親の欄は空白。その他は全く情報がなく、誕生日も母親が所持していた支払い明細から出産した病院を探し出し、出生日の情報を確認したものが記録された。
その時点で分かったことは、彼女が就学年齢に達していたこと。本来ならば、その年の春に小学校に入学しているはずだったが、戸籍のない彼女はもちろん住民票なども持っておらず、したがって就学通知は受け取っていない、未就学状態のままだった。

調べてもネグレクトや虐待といった痕跡はなく、都会の片隅でひっそりと普通に暮らしていた母と幼い娘。
それなのに、彼女たちを取り巻く状況はどこかちぐはぐで、当時この件に関わった関係者たちは皆、なぜ母親が娘の出生を届けようとしなかったのかと首を傾げたそうだ。

その後、悠莉は児童養護施設に預けられた。
そしてそこで約半年を過ごし、母親の遺骨と共に祖父の元へと引き取られることになる。


悠莉は母親の最後を知らない。
彼女が見た時、すでに母は荼毘に付され、小さな骨壺の中に入っていた。身元の確認に時間がかかったことや、周囲の大人たちが幼い悠莉のショックを慮って遺体と対面させなかったからだ。
遂に母親の死と向き合う機会を持てなかった彼女だが、それでもあの時のような雨や風の音がする暗い夜は嫌いだ。
それは彼女が大人になった今なお、彼女に孤独を思い起こさせる、負の記憶でしかないのだ。




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