気晴らし、と言われて連れて来られたのは、南太平洋に浮かぶリゾート島だった。短距離滑走路しかない小さな空港に着陸した小型機が、すぐに折り返して飛び立つのを見送った悠莉は、改めて周囲を見回した。 全くの手つかずというわけではないが、ふんだんな自然が残された緑の島。目立つような建造物はほとんどなく、遠くにある白っぽい建物が唯一、人工的な無機質さを際立たせている。 空港のターミナルは平屋のプレハブで、中にはエックス線検査機なども備えられていたが、それ以外は売店もないような簡素な造りだ。外国からの直接乗り入れが多いのか、意外なことに入国に際しての職員の対応は慣れたものだった。 「すごいところね」 「何が?」 「ここ、一応入管もどきもあるみたいだけど。こんな無防備な設備で大丈夫なの?」 「ああ、そういえば職員が一人常駐しているな。といっても現地採用だが。ちなみにこの空港は地盤が低くて大型のサイクロンに襲われると浸水する危険性がある。その際には最悪この小屋ごと畳んで避難するんだ。だからここには簡易の建物しか建てられない」 迎えに来たのは小型のタクシーだったがその車は最新式のハイブリッドカーで、未開の島のイメージとはかなりのギャップがあった。 空港から一歩外に出ると道路は舗装されていて、そこを進むにつれて少しずつ民家も見え始める。どの家も頑丈そうな石塀に囲まれてはいるが、造りはどこか西洋的な雰囲気を持っていた。 その疑問を口にすると、クレイグが簡単な島の成り立ちの解説をしてくれた。 「ここは長いことヨーロッパの植民地支配を受けていた。イギリス、オランダなどのね。その影響で文化が混在しているんだ。住民もかなり混血化が進んでいて、英語はほぼどこでも通じる」 「今は?」 「第二次世界大戦後、時流に乗って本国の独立と一緒にここも植民地という状況からは脱した。だがこの島は特にこれといった資源もなく、漁業と観光で細々と生計をたてる者がほとんどで、とにかく貧しかった。そこに近年島の周辺に良質な希少鉱物が見つかってね。その採掘が本格化した今はかなり島民の生活も潤っているよ」 その開発を手掛けたのが縁で、M&Bはこの島の約半分の土地を買い上げ、グループ会社に開発をさせた。それが先ほど空港から見えた会員制の高級リゾートホテルとその周辺施設だった。 「あくまでも自然のままに、隠れ家的なイメージを損なわないようにした結果、島の緑の大半は残った。森林を伐採しないために、当初予定されていたゴルフ場も作られなかったし、大型機が乗り入れできる空港も建設されなかった。観光地としての利便性はマイナスになったが、それでもここを訪れる観光客は年々増えているから、コンセプトとしては成功したといえるだろう」 そんな話をしているうちにタクシーがホテルの正面に横付けされた。すると、建物の中から一目で現地の人と分かる風貌のベルボーイと、恐らく生粋の白人であろう、背の高いスーツ姿の男性が出て来た。 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。総支配人のマーロウです」 慇懃に挨拶をされて、クレイグが頷く。一見の客にホテルの総支配人まで出て来たことに驚いた悠莉だが、彼は何事もないように淡々と挨拶を交わしている。 「一週間ほどの滞在になると思うがよろしく頼む」 「かしこまりました。ではお部屋にご案内します」 ベルボーイを後ろに従え、支配人の案内で部屋に着いた彼女は、従業員たちが出て行くのを待ち構えて彼に噛みついた。 「ちょっと待ってよ。一体誰がここに一週間いるって決めたわけ?」 「それでは不満か?」 「当たり前でしょう?」 クレイグは着ていた麻のジャケットを脱いで側のソファーの背に放った。 その下に着ているのはTシャツ一枚で、いつもよりラフな格好だ。こんな姿は自宅マンションでも見たことがなく、悠莉はどぎまぎしながら目を逸らした。 「そうか、やはり一週間では短すぎるか。皆が言うようにひと月くらいかけて親睦を深めつつ、ゆっくりと船旅でもした方が良かったのかな」 「違うって」 わざと彼がそんなことを言っているのは百も承知だ。その上で問題はそこじゃないと突っ込みながら、彼女はどぎまぎした気持ちを鎮めようと手近にあったドアを開けた。 「……何これ、すごい」 扉の向こうは寝室だった。 南国風の籐でできた家具で統一された部屋は、風通しが良さそうにカーテンが棚引いている。ベッドは同じく籐製のヘッドボードに蔓が絡められ、その側に置かれた背の高いスタンドは鳥かごを模すという拘り方だ。 情緒豊かな南の島をイメージするというコンセプトは理解できるし、ここにはそれを活かす雰囲気がたっぷりある。 それ自体は良いのだ。問題はその形状だった。 一人で使うにしては巨大すぎるベッドは優に人が3人は寝られそうな大きさで、しかもベッドスプレッド上には、色とりどりの花が散らしてある。 これではまるでハネムーンに来た新婚さん用の寝床だ。 悠莉は寝室に入りベッドの上に置いてあったメッセージカードを読むと、眉間に皺を寄せた。 『ミスター&ミセス・バートン。ご結婚おめでとうございます』 はっとした彼女はまさかと思いつつ、他にもサブのベッドルームはないかと他の扉も次々と全部開けてみたが、あとはバスルームや屋外に出るためのドアでしかなく、寝室は明らかにこれ一つだ。 「ちょっと聞くけど、ここは私の部屋よね?」 悠莉は寝室のドアを片手で押さえ、そこにもたれかかりながら、憤懣やるかたない様子で手にしていたカードを弾いて飛ばした。足元に落ちたカードを拾ったクレイグはちらりとそれに目を遣ってからテーブルの上に置く。 「実は俺の部屋でもあるようだ。どうやら予約を入れた秘書が気を利かせすぎたみたいだな」 「ほう、それはそれは。で、どうするのよ、これ」 悠莉がベッドを顎でしゃくる。 「どうもこうも、ここで一緒に寝るしかないだろうな」 それを聞いた悠莉は、猛然と反発した。 「フロントに言ってもう一部屋用意してもらうわ」 「しかし、インペリアルスイートはここ一室しかない」 「別にスタンダードだってかまわないわよ。贅沢は言わないわ。一人でゆっくりできるのならね」 「どうぞご自由に」 フロントを呼び出すと、マネージャーが部屋まで飛んできた。 「もう一室用意して頂けないかと思って」 「何か不都合でも?」 「ええ、ちょっと」 言わせてもらえば、同じ部屋で寝るのなら、悠莉にとってはクレイグの存在自体が不都合だ。 「生憎と、今月一杯ツインルームとデラックスツインルームが改装に入っておりまして、あとのスイートやファミリールームはただ今満室でございます」 このホテルは会員制ホテルという形態上、元から客室の数が少ない。そこに閑散期の一斉改装が重なりここのところは満室状態を続いているというのがマネージャーの言い分だった。 「それなら私、このまますぐに帰るわ」 「それは無理だ」 「どうしてよ?」 「この島は夜間の離着陸はできない。滑走路にその設備がないからね」 そう言われてさっき見てきた簡素な空港を思い出す。外はすでに夕闇が迫ってきていて、これからチャーター機を呼んでも日没までにはこの島にたどり着けないだろう。 先ほどから二人のやり取りをうかがっていたマネージャーが妙な顔でこちらを見ている。新婚夫婦のくせに、なんでこんな話をしているのかと不思議に思っているのが見て取れた。 「仕方がないわね。それではここに一つエキストラベッドを入れていただくことは可能かしら」 「は、はい。それは大丈夫ですが」 すぐにリビングの隅に移動式のベッドが運び込まれた。それを見ていたクレイグが人悪くにやりと笑う。 「簡易ベッドは寝心地が悪いぞ」 「ご心配なく。私は床でだって平気で寝られるわ。今夜一晩だけだし。ま、もしあなたがフェミニストだっていうのなら、こっちを使ってもいいのよ」 「遠慮しておくよ」 「そう。それならもう放っておいて」 こうしてその夜は二人は別々の寝室を使って休んだ。 強がってああは言ったものの、確かにエキストラベッドはあまり寝心地が良いものではない。 絶対に明日、ここを出て行ってやる。 そう思いつつ眠りについた悠莉だが、翌朝目覚めると何やら外が騒がしい。 「どうしたの?」 同じく起き出して外を見たクレイグがフロントに電話をしている。 「ねぇ、何があったの?」 電話を切った彼に詰め寄る悠莉に、彼はお手上げというポーズをして見せる。 「大型のサイクロンが発生したらしい」 なるほど。それで皆飛ばされそうなものを片づけたりしていて、外が騒がしいのだ。 「このままこっちに接近してくると当分島全体の機能がマヒ状態に陥るかもしれない」 「それって、もしかして飛行機の離着陸はおろか小型船さえ着岸できないということ?」 クレイグは頷くと心配そうに窓の外を見る。 「下手をしたら数日はこの島から出られないばかりか、外との連絡もつきにくい状況になるかもしれない」 HOME |