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True Colors  20


外向きの付き合いは最低限しかしない。
最初にそう宣言した通り、悠莉のもとに届いた招待状のほとんどは欠席で返送されている。
もとから社交的な性格とは言い難い彼女は、そういったところに出歩くのが苦手だ。日中、暇を持て余したマダムたちが集うエステや美容室に行くのも億劫だし、運動が好きではないのでスポーツジムにも進んで行く気がしない。
夜は夜で観劇やコンサート、パーティーといったお金持ちの集いにも声が掛かったが、ドレスが嫌で化粧も苦手な彼女としては、できるだけそういったものは避けて通りたかった。
日本にいた時には単調だがきっちりと時間の決まった仕事があったし、休みの日には家事をこなさなければならなかったせいで、もっとゆっくりする時間が欲しいと常々思っていた彼女だったが、こちらに来て急に暇になると今度は手持無沙汰が過ぎてそれを持て余すようになってしまった。
せめて家のことくらいは自分で、と言いたいところだが、家事はすべて住み込みのメイドがするし、料理は専属の料理人がいて、庭仕事には庭師を雇っている。
彼らにも生活があることを考えると無下に職を取り上げるようなこともできず、悠莉は側でただそれを眺めているだけだ。
かと言って、気分転換に散歩でもと思うと、これまた仰々しいボディガードが一人ならずもついてくるのでどうにも落着けない。
家から一歩も出ず、一日中ぼんやりしていると気が滅入りそうになる。
その気はなくても、これではまるで引きこもりだ。
顔を近づけ息を吹きかけて曇らせたガラス窓に、彼女は指先で「へのへのもへじ」を書いて苦笑いした。
「私、何かいじけた子供みたいなことしてるなぁ」

だが、このガラス窓一つとっても普通とは違う。悠莉がここに住むことになってから、クレイグはこの館のすべての窓を防弾ガラスに取り替えた。建物の周りにあった高い木はすべて伐採するか可能な限り枝を落として見通しを良くしたし、セキュリティシステムも新しいものを導入しなおしたのだ。
社交的な性格の義母、クラウディアがまったくここから出ようとしない悠莉の行動を黙認しているのは、そういった安全上の問題への配慮もあってのことだった。

義母とは時々電話でやり取りするし、予定が合えば彼女の方からここに訪ねて来てくれたりもする。接する機会はそんなに多くないが、概ね付き合いは良好といえるだろう。
だがこの結婚のもう一方の当事者であるクレイグとの関係は、今のところ好転の兆しさえ見えなかった。
元々彼のマンションに住まわせてもらっていた頃から必要最低限しか顔を合わせなかったのだが、住居をこちらに移し、結婚式を終えてからは更にその機会が失われたように思う。
それはクレイグ自身が意図的にそうしているというよりも、むしろ彼を取り巻く環境が許さないといった方が正しいのかもしれない。
ジョージの遺言の条件云々はさておき、彼女と結婚したことにより、将来のビンガムの総帥としての地位がある程度確定したとみなされたクレイグは、以前にも増して多忙を極める生活を送っている。
その兆候は結婚式の前から現れ始めていたが、式後はより顕著になり、結婚した日の翌日からすでに二人は事実上の別居状態にあるといっても過言ではない。

もちろん、忙しさばかりではなく、二人が歩み寄れないのはその考え方の違いによるところが大きい。
ビンガム家や会社の将来を第一に考え、公の立場を大事にするクレイグと、この家などに守る価値を微塵も見いだせず、早く自分の手からすべてを放してしまいたい悠莉。互いに相容れない立場にいる二人の間にある溝はなかなか埋まることがなかった。
結婚したその時から、形だけの、文字通り仮面夫婦。
当然のことながら、この屋敷の中にある二人の寝室は別々だ。
それを見たメイドたちがどう思ったかは別として、ビンガム家とM&Bグループの新体制が固まるまでの一時しのぎの結婚というつもりなので、悠莉自身は何を言われようが別段構わなかったし、対外的なゴシップのほとんどはクレイグとその周辺が事前に手を回して揉み消していたので、夫婦の本当の姿が公になることはなかった。



「ユーリ」
それからしばらくして、相続や結婚のごたごたがやっと収集した頃、珍しくクレイグが悠莉の元を訪れた。
一応同じ館に住んでいることになっている夫と妻なので「訪れる」というのも妙な話だが、そのくらい二人の間には接点がなかったのだから仕方がない。
出掛けるのは早朝、帰宅は毎日のように深夜というクレイグと、夫婦で招待されたパーティーや夜会を悉く欠席し、あまり外出もしたがらない彼女の間では、結婚式以来一緒に食事をする機会すらなかなか持てなかったのだ。

「少し時間を取れるかい?」
「少しどころか、暇はいくらでもあるわよ」
かく言う今だって、早い時間に夕食を終えるとその後あまりにすることがなくて手持無沙汰なので、暇つぶしにと越智に頼んで買ってきてもらった大きなジグソーパズルを部屋一杯に広げていたところだった。
「このくらいネットで頼めばいいのに」
クレイグの尤もな言い分を聞いた悠莉は、わざとらしく肩を竦めた。
「私、こっちではIDさえ持っていないのよ。日本のネットショッピングで買ったところで海外まで届けてくれるところなんてほとんどないし」
全く読めないというわけではないが、彼女の英語力はかなり会話中心に偏っている。単語を追う作業はできても、新聞や雑誌のようにずらりと文字が並んでいるのは読む気にならないし、ショッピングをするのにわざわざ翻訳サイトのお世話にならなければいけない状況では、おちおち買い物も楽しめないのだから仕方がない。
「で、何?時間って」
「これからすぐに出かけようと思うんだが、一緒に行けるか?」
「出かける?これから?」
時刻は夜の10時を回っていた。
こんな時間からどこに行くというのだろうか。
観劇や食事に行くにしては遅すぎるし、パーティーだといくら彼女が急いでも、準備ができた頃には日付が変わっているだろう。
訝しむ悠莉に、クレイグがにやりと笑って見せる。
「気晴らしだ」
「気晴らし?」
「ああ、ちょっと遠出をして、海を見に行こう」

普通ならば彼と一緒に外出など考えなかったかもしれない。
だが、遠出や気晴らしという言葉に飛びついてしまうほど、今の彼女は閉塞感に苛まれていた。



こうして慌ただしく屋敷を発った二人は、途中市内のある場所に立ち寄った。
出迎えの人物と共に中へと入った悠莉は、何重かになったセキュリティロックを抜けて、小さな部屋へと通される。
外観はよくありがちな感じの建物だが、それにしてはやたらと警備が厳しいように思えた。
「ここは?」
側にいるクレイグにもの問いたげな目をやる。
「とある検査施設とでも言っておこうか。表向きは全く違う会社だがね」
そこで先ほど案内してくれた男性が部屋に入って来きた。彼が手にしているのは、綿棒のような形状のもので、それを悠莉の口内にこすり付けて粘膜を取るらしい。
それでサンプルを採取したことになるのだそうだ。
「DNA鑑定ってやつね」
「ああ。まだ君とジョージの親子関係は証明されていないからな」
「必要があるの?」
少し不満げな彼女の問いに、クレイグが頷いた。
「君たちが親子だということは、まず間違いない。その外見を見れば誰だって一目瞭然だよ。目つきとか、仕草とか、ちょっとしたことが本当に良く似ている」
「それはそれで何か嫌なんだけど」
彼はむっとした顔でそう言う妻を見て苦笑いする。
「だが、もし何かあった時には正式な、科学的な証明に基づく認定が必要になる場合もあるだろう。特に君のような立場にある人間は、万が一の時に備えて保険を掛けておくことも必要だ」

それは最初から言われていたことだ。
悠莉も鑑定を受けること自体は、吝かでないと思っている。ただ、彼女には他人に知られたくない、別の思惑があった。
もしもこの鑑定で何か出て来たら。
その可能性はゼロに等しいだろうが、まったくないとは言い切れない。

簡単なサンプル採取はすぐに終わり、二人はそのまま建物から出て車に乗り込んだ。
「ところで海って、どこの?」
「それは着いてからのお楽しみだ。まだちょっと時間がかかるけどね」
それだけ言うと、クレイグはもうこれ以上何も答える気がないという顔で彼女を見た。

それから空港で飛行機に乗り換えて数時間後。
二人が着いた場所は南国の楽園。
彼の言葉に偽りはなく、その海は……確かにアメリカ本土から遠く離れた場所だった。




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