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True Colors  2


「片岡さん?」
10時からの休憩中。
この間は工場のラインが止まり、工員たちはそれぞれ15分の休憩に入る。
自前の水筒から注いだお茶を手にぼんやりとしていた悠莉は、名を呼ばれてはっと顔を上げた。
「何か?」
いつもは彼女に声を掛けてくる者などいない。ましてや、目の前の事務員とは月に一度、給料日に明細を受け取るくらいしか接する機会がなく、それ以外では話し掛けられたことさえなかった。
「社長が呼んでるんだけど」
「社長が?」
悠莉が訝しげに聞き返す。

ここは、とある地方都市に隣接する小さな田舎町。
これといった産業もないこの小さな町は近年過疎化が進み、住人の都市部への流出が進んでいた。
彼女が勤務する工場も、働いているのは近隣に住む50代60代の主婦のパートがほとんどで、彼女のように若い女性はほとんどいない状況だ。悠莉自身、ここでの身分は正社員ではなく契約社員で、一年ごとの更新で働く期間労働者といっても過言ではない。この工場で彼女は生産部門、つまりは組み立てラインに入って作業をする工員として働いていた。

「今からですか?もう10時の休憩が終わってしまうんですけど」
「えっと、そうね」
工場の壁に掛けられた時計を見た事務員は、ちょっと考える仕草をしてからこう言った。
「お昼休みだったらどう?少し早目にご飯を食べて、それから事務室に来てもらってもいいかしら?」
悠莉は頷いた。
「分かりました。午後の始業の15分くらい前にうかがいます」
「社長にそう伝えておくわ。悪いわね、休み時間を削ってしまって」
「いえ」

ちょうどその時、辺りに休憩終了のベルが鳴り響いた。
「それじゃ、お願いね」
そう言い残して工場を出ていく事務員の後姿を目で追いながら、悠莉は首を傾げた。今年の契約はまだ半年以上残っている。業績が悪化してクビを言い渡されるにしても、仕事中のこんな時間から、一人ずつ呼び出されるなんて話は聞いたことがない。
「ま、考えていても仕方がないか」
そう呟きながら、外していた作業服の襟元のボタンを掛け直して首から垂らしていたタオルを托し込む。そして脱いでいた帽子を被り、長い髪の毛が作業の邪魔にならないようにしてから、今日自分が担当している作業場所へと向かったのだった。



「片岡さん」
10時の休憩時に言伝をした事務員が再び工場に姿を現したのは、昼休憩のベルが鳴った直後のことだ。
ラインが止まった後は、休憩室に入り持参した弁当を広げる者、狭い給湯室でカップラーメンを作り始める者、外に食事に出る者と、工員たちは皆それぞれ三々五々に昼の休みに入っていく。
そんな中で、悠莉はいつものように家から持って来た小さな弁当箱の蓋を開けようとしていた。
「はい?」
休憩室のパイプ椅子に座ったまま、呼ばれて振り向いた悠莉は、そこに彼女ともう一人、中年の男性の姿を認めた。確か彼は社長の甥とかいう人で、市内にもう一つある工場を任されていたと思う。たまにそこからこの工場に来た時に遠目に姿を見るくらいで、もちろん会話などしたことはない。
「君が片岡くんか?悪いが今から社長室に来てくれないか。急ぎの用事なんだ」
男性は苛立った風でそう言うと、少し震える手で神経質にずれたメガネを持ち上げた。
「急ぎ……ですか?あの、まだお昼ごはんも食べていないんですけど」
「いいから、そんなことをしている暇はないんだ。すぐに来てくれ。社長の命令だ」
今までここに勤めていた間、社長が何か工員に命令するなんてことは聞いたこともなかったが、彼の焦りは尋常ではないように思えた。
「……分かりました」
何となく釈然としなかったものの、会社のお偉いさんに言われればそれに従うしかない。そう考えた悠莉は、せっかく開きかけた弁当を包み直して再びトートバックにしまう。そして荷物をロッカーに戻してから呼びに来た二人の後について、工場に隣接する事務所に向かう屋外の廊下を歩いた。


社長室は事務所の上階、古びた鉄筋コンクリート造りの建物の2階にあった。
大して広くもない部屋には普段社長が使っている机と書類棚があり、その隣に衝立で仕切った来客用のソファーが置かれている。
室内に入った悠莉は、社長の他にもう一人、ソファーに腰かけている男性の姿があるのに目を留めた。

誰?
横目でその男性をちらちらと見た悠莉は内心首を傾げた。
この会社に入って2年余り。
自分がいる工場と、もう一つ別の場所にある工場、それに事務所の中で、大概の社内の人間は見たことがあったが、そこにいる人物にはまったく覚えがない。第一、いかにも高級そうなスーツをまとい、高そうな時計を身につけ、磨き込まれた革靴を履いている。その姿はこんなうらぶれた工場にいるような身なりではなかった。

「ああ、片岡君。呼び立ててすまなかったな。君もこっちに来て座ってくれ」
そこにいる人物の紹介もされないまま、社長に手招きされた彼女は戸惑った。
社長と直に話をしたのは、この工場に面接を受けに来た時以来だ。その時には本当に横柄なおじさんといった雰囲気で、時期外れに応募してきた彼女など仕方がないから採用してやるといった感じで、鼻であしらうような応対だったのを思い出す。

本当に同じ人間なの?
そう思っても仕方がないほど、今の社長は丁寧というか、彼女に対して低姿勢なのが返って不気味だ。
恐る恐るといった風情で端っこのスツールに座った自分に、社長とその甥、そしてもう一人の男性の目が集まっているのを感じた悠莉は、これから何を言われるのかと思わず身構えた。
「片岡君、君を呼んだのは他でもない大事な話があるからなんだが」
勿体ぶった様子で話を切り出したのは、例の社長の甥だった。
「急な話だが、来週から君に東京に行ってもらえないかと思ってね」




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