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True Colors  18


「しかし、暇だわね」
悠莉はコーヒーの入ったカップを手に、窓辺に佇んでいた。
ミセス・バートンとしての生活が始まってひと月余りが過ぎた。
結婚までの間は何かとばたばたしたものの、いざそれを終えると途端にやることがなくなり、毎日が退屈で仕方がない。
「ま、結婚式も茶番といえば茶番だったけれど」


当初、悠莉は特段結婚式に関して何もするつもりがなかった。
最近は日本でもよく見かける役所で籍を入れるだけの、いわゆる入籍のような形だけのもので充分だと思っていたからだ。
欧米でも役所や登記所で役人や判事などが立ち会い、書類にサインして終わりという、いうなれば民事婚というものがあるのを知っていた彼女は、二人が揃ってそこに足を運び、簡単にサインを済ませて事足りると踏んでいた。
しかしいざそうなってみると、自分たちの結婚は思っていた以上に煩雑な手順を踏まなければならいことを知った。
まず、悠莉が未だ日本人であることがネックになった。
これについては今後も変わることはないであろうが、今の状況ではアメリカ人のクレイグとの結婚は事実上国際結婚となり、お互いの国の法律や慣習に基づく書類や手続きが必要になる。特に悠莉はホームではない国での届出のために本国から証明書類を取り寄せたり、遠方にある大使館まで出向かなければならないことなどもあって、結構な手間がかかった。
それに先んじて、彼女とクレイグのアメリカ側で必要な手続きが発生し、連日引っ張りまわされたこともある。こちらに永住する気がないので発行までにかなり時間がかかるグリーンカードなどは必要ないと考えていたが、後日それらの申請をすることも考慮して準備をするよう助言されたのだ。
結婚式までという限られた準備期間の間に、最小限、何があれば事足りるのかを考える余裕すらなく、とにかく目の前にあるものをクリアーすることだけで精一杯だったというのが正直なところだ。


そうして何とかこぎつけた式後のパーティーは、周囲の希望でかなり大がかりなものになった。
元々、悠莉はクリスチャンではなく、片岡の家は日本人の大半がそうであるように仏教徒だ。実家には仏壇があるし、寺の敷地内には先祖たちの墓もあった。
基本的に、信徒でなければビンガム家の敷地内にある教会での挙式は難しい。
彼女が改宗という形を取ればよいのだろうが、元々無神論者である悠莉は、ナンセンスという理由できっぱりそれをはね付けた。
「歴代の当主はここで式を挙げたんだがね」
クレイグ自身もさほど宗教的な造詣はないようだったが、それでもアメリカの上流社会で生きてくためにはある程度の素養は必要となる。よくニュースで見かける、政治家や議員たちが集会を開くときの母体が教会だったりするのはそれに関係するからだ。
もちろん、今ではもっとリベラルな信条を掲げた教会や、寄付だけでその目こぼしをする新興宗教なども数多くあるが、少なくともビンガム家の所属する教会はその時流には乗っていないようだ。


結果、苦肉の策が登記所での民事婚と、その後の盛大な披露パーティーということになった。
当日のパーティでの花嫁の衣装を選んだのは本人とクレイグの母親、クラウディアだったが、主導権を握っていたのはどちらかといえば未来の義母の方だと言っても過言ではないだろう。
繁華街の中にある、世界的に有名なデザイナーのオートクチュールの店。
そこでクラウディアは数万ドルから数十万ドル、日本円に換算すると何十万、あるいは何百万という金額のドレスをこともなげに並べては次々と彼女に試着させていた。
「そっちよりもこれの方が映りが良いわね」
「でも、このデザインはちょっと私には……」
「そう?だったらこっちは?」
それでもなかなか決まらない衣装に、着せ替え人形状態の悠莉は疲れ切ってしまい、クラウディアもため息をもらした。
「思っていたより『これぞ』っていうものがないわね。本当なら、デザインからオーダーするのが一番だけれど、そんな時間もないし。何とか今日中にここで決めてしまいましょう」

本来なら花嫁の衣装で一番重要視されるウエディングドレスは、淡いクリーム色のスーツで代用することにした。
登記所での民事婚で教会を使わないのだから、そこまでする必要がないという悠莉の主張が通ったもののだが、これにはクラウディアが不満をもらした。クレイグの母は、悠莉側に煩く言う身内がいないのをこれ幸いとばかりに、自分が見立てたドレスを着せたいと考えていたようだ。
そこは何とか収めたものの、その分披露宴パーティー用のドレスは見栄えのするものをという意気込みはかなりもので、今日も悠莉は引きずられるようにして店に来ている。
「こういうことって、息子では楽しみようがないでしょう?やっぱり女の子はいいわね、着せ甲斐があるもの」
近い将来義理の親子になるとはいえ、血縁上は他人であるクレイグの母と一緒に服を見立てるというのは不思議な感覚だ。
悠莉自身、実母と早くに死別していて、こういった機会には恵まれなかったので最初は戸惑ったが嫌な気はしなかった。普通の女の子たちが成長していく過程で幾度か経験することを、今になってクラウディアがしてくれていることに密かな喜びと恥ずかしさを覚えたというのが正直なところだ。



こうして迎えた結婚式当日。
悠莉とクレイグは弁護士や知人の立会いの下で書類にサインをし、晴れて夫婦となった。
悠莉の立会人としてその場にいたのは、やっと怪我から回復し、仕事に復帰したばかりの越智と彼の看護のために日本から駆け付けた彼の恋人の二人。こちらに誰一人知り合いがいない彼女にはそれだけでもありがたかった。
「末永くお幸せに」
少し目を潤ませて、日本語でそう祝福された悠莉はどうこたえてよいものか戸惑った。
詳細を知らされていない越智の恋人は、何の疑いもなくこれを普通の結婚と思っているようだ。本当のことを知ればさぞ驚くだろうと思いつつ、彼女はただ曖昧に笑ってその場をやり過ごした。

そして臨んだ結婚披露パーティーの会場は招待客であふれかえっていた。
悠莉はクレイグに腕を預けて人々の間を挨拶に回りながら、この中で一体どれくらいの人間が本心から自分たちの結婚を祝福しているのだろうと考えると笑いがこみ上げてきた。

恐らく、ここにいる全員が何だかの思惑を持って集まってきている。もちろん、目的は彼女たちを祝福することではなく、もっと他にあることは間違いない。
自分に向けられた侮蔑の目はここかしこにあり、すべてから逃れることは不可能だ。特にクレイグと一緒にいる時に受ける女性からの敵意は焼けつくような鋭さで、いつ襲いかかろうかと舌なめずりしながら彼女を狙っているのを感じていた。
そしてクレイグが悠莉の側を離れたその隙に、彼女たちは上品なドレスの下に隠していた牙をむいた。
「ちょっとよろしいかしら?」
「……嫌だと言っても無駄なんでしょうね」
見下すような冷たい視線に、悠莉は思わず舌打ちする。

やれやれ、煩わしいことで。

周囲を囲まれる格好になった彼女が面倒臭そうにため息をつく。それを遠目に見ながら、クレイグは気づかれないようにこっそりと、その成り行きをうかがっていたのだった。




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