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True Colors  17


「君には私の子供を産んでもらいたい。そうすればすべてジョージの思い描いたシナリオ通りにことが運ぶからね」
「はぁ?何訳の分からないこといってるのよ?」
悠莉は顔に触れている彼の手を引き剥がすと忌々しげにそれを振り払った。
「何で私が子供を、それもわざわざ『あなたの』子供を産んで、ばかばかしい要求を満たす必要があるわけ?」
「ほう、私が相手では不満なのか?」
「不満とか、そういう問題?」
メガネの向こうで目を眇めて彼を睨む悠莉に、クレイグはにやりと笑って見せる。
「もちろん、子供に対する責任は果たす。君にも不自由はさせないよ、日常生活もベッドの中でもね」
「あなたねぇ……もしかしなくても、バカ?」
悠莉は、これ見よがしに盛大なため息をついた。
「よく男は下半身で物事を考えるっていうけど、その最たるものだわね。おまけに絵にかいたようなバカときた」
「それはどういう意味だ?」
「バカはバカ以外に意味はないわよ」
嘲るように笑うと、彼女は眉を上げた。
「いい?私は相手がだれであろうが、結婚するつもりはないし、子供を持つ予定もないの。ビンガムなんて家がどうなろうが私には関係ないって、前にちゃんと言ったわよね」
それを聞いたクレイグが肩を竦める。
「そんなことを聞いた記憶はあるな。だが誤解しないでくれ。私は別に君に結婚を申し込んでいるわけではない。君に私の子供を産んでくれと言っているだけだ」
悠莉は一瞬大きく目を見開くと急に声を出して笑い始めた。
そしてそれが収まると、何が可笑しいのかとむっとしていたクレイグの頬目がけて力いっぱい手を振り下ろす。
『バシッ』
周囲の静けさの中に、妙に鋭いその音だけが響き渡った。
「何それ。本気なら余計に性質が悪いわよ。あなたねぇ一体自分を何様だと思っているの?」
そこで彼女は、はぁとひとつ、大きく息を吐き出した。
「いい?私自身が私生児だったってことを、あなた忘れていない?」
悠莉はそう言うと、ぎろりと彼を見た。
「あなたみたいに二親揃った普通の家庭に生まれた人には分からないかもしれないけれど、こんな状況で生まれることが子供にいいわけないでしょう。誰が好き好んでそんな屈折した環境で成長したいなんて思う?なんで自分には両親がちゃんといないのかって、子供に聞かれたらあなた、何て言う気?仕事上必要に迫られて仕方なく作ったとでも答えるつもりなの?」
彼女はまだ彼を叩いた余韻で震えている右手を左手で包むと、その手を額に当てて目を閉じる。そしてその言葉を口にしながら、蓋をして見ないようにしてきた過去を思い出していた。
そう、自分も子供の頃に何度も思った。

どうして私にはお父さんがいなかったんだろう。どうしてお母さんはいつも私を見ると哀しそうな顔をしていたんだろう。
私の髪や目は、どうして友達みたいに黒くないんだろう。
どうして?
私だって日本人なのに……

それは決して口にしてはいけない、誰にも訊くことのできない問いだと幼い彼女は思っていた。
その時祖父に訊けば、もしかしたら何某かの答えを出してくれたのかもしれないが、彼女は祖父にそれをしたことはない。
亡くなった祖父とは存命中は最後まで近しい関係にはなれなかったが、それでも親族として彼女を守ってくれたのは、彼だけだった。その口から自分を否定する言葉が出て来たら、彼女にはもう精神的に縋るものがなくなってしまう。今思えば無意識にそれが分かっていたからこそ、そういった事柄を口にしないことで子供なりの予防線を張っていたのだろう。そしてある程度大人になり、世間の常識やしがらみが分かるようになると、自然と己の置かれた立場も理解できるようにはなった。しかしそれでも自分の出自を堂々と誇れるなどと考えたことは一度もない。

自分は他人の中に上手く混じれない。
そう感じたからこそ、家庭でも、学校でも、会社でも、彼女は常に自分を疎外された存在だと思いながら生きてきた。少しでも周囲との無用の摩擦を避けるために、ひっそりと息を潜めて、ただただ目立たないようにと心を砕いてきたのだ。
悠莉は自分の長い髪の毛を一房掴むと、それをくるくると指に巻きつけた。
普通ならば考えられないような頃から髪を黒く染め、瞳の色を誤魔化すためだけにメガネをかけることを余儀なくされた子供の屈折した気持ちなど、決して彼には理解できないだろう。
そしてこんな自分が子供を持つこと自体、生まれてくる子にとっても厄災でしかないのだと思う。

「ならば……」
ぼんやりと物思いに耽っていた悠莉に、クレイグが話しかけていた。
「ならば結婚しよう。そうすれば君の望み通り私たちは正式な配偶者として、子供を持てる。それですべてが解決するじゃないか。それに……」
「嫌よ」
「何だって?」
「嫌だって言ったの。断固としてお断り」
彼女の頑なな態度に、クレイグが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「まだ話の途中だ」
「どうせロクな内容じゃないんだから、もう結構よ」
勝手に話を切り上げようとした彼女は、彼の体を回り込むように歩いてドアへと向かう。
「少し休みたいから部屋に案内して下さる?」
「ユーリ」
冷たい声で呼び止めたクレイグは、彼女の腕を掴むと、強引に自分の方を向かせた。
「何するのよ」
「先走るのは君の悪い癖だ。いいから最後まで話を聞け」
彼が少し背を屈めて悠莉の顔を覗き込んだ。見れば彼女が叩いた左の頬が赤くなっている。
「どのみちもう、君には逃げ場はない。敵は一人ではない。例え事件の犯人が捕まったとしても、またいつ同じようなことが起こるかは分からない」
自分を見据える青い瞳。その底が見えない色の深さに射すくめられたように、彼女はその場から動けなくなった。
「どこにいても、君は誰かに狙われることになる。自分に心当たりがなくてもね。それは今日のことでよく分かったはずだ」
クレイグは一旦言葉を切ると、彼女の腕を放した。自由になった悠莉は思わず半歩後ろに下がる。
「私ならいざという時に君を守れる。ただ、それには君が私をパートナーとして認めないとせっかくの牽制も役には立たない」
「牽制?」
「そうだ。君と私が手を組んでいることを、他の奴らに何だかの形で知らしめないと、君への脅威は簡単には消えないだろう」
彼は悠莉が退いた分、前に詰めてまた二人の間を縮めた。
「私と手を組め、ユーリ。それが確実に安全と安定を得られる一番の近道だ」
クレイグはそう言うと、いきなり彼女の項に手を添えた。そして有無を言わせず顔を近づける。
「んんっ」
咄嗟のことに抵抗する余裕すらなく、気が付けば悠莉は彼の唇の感触を味わっていた。深くなる口づけに、抗うことも忘れた彼女は、ただ呆然とそれを受け止めていた。
その間にも彼の手は背中からゆっくりと下へ降りて行き、ちょうど今、彼女のお尻のあたりを掴んでいるのが分かる。同時に彼女の唇の間に、クレイグが舌を押し込もうとしてくる動きを感じた直後、一瞬彼の唇が動き、にやりと笑ったのを悟った悠莉は、はっと我に返った。そして……
「ぐっ」
彼が怯んだ隙に、腕の中から抜け出す。はぁはぁと息を切らせながら彼の手の届かない部屋の隅まで逃げると、彼女はやっと人心地着いた気分になった。
そんな悠莉を見て、クレイグが「ふん」と笑う。その唇には血が滲んでいた。
「お生憎様、私はそんなにお手軽じゃないわよ」
強気な言葉とは裏腹に、戸惑いの表情を浮かべた悠莉にまたクレイグが鼻で笑った。
「それはそれは。だがここで感じる限り、私たちの相性は悪くないみたいだが」
痛いところを突かれた悠莉は、赤くなって顔を背けた。
確かに、ほんの一瞬だけだが、彼とのキスに心地よさを覚えた自分に恥ずかしさを感じた。
「そ、そんなこと……」
「まぁいい。返事はすぐにとは言わないが早めにしてくれ」
そう言い残した彼が部屋を出てくと、入れ違いにメイドと思しき女性が入って来た。
「お部屋までご案内いたします」
やっと一人で落ち着いていろいろ考えられる。
そう思った悠莉はいそいそと彼女の後ろについて行き、屋敷内の一室に通された。だが一人になっても考えれば考えるほどどうしてよいのか分からなくなってしまう。
ベッドに寝転んだ彼女は高い天井を見上げながら途方に暮れた。
物心ついてからと言うもの、自分の進むべき方向にこんなに迷いを感じたのは初めてだったかもしれない。それくらい、彼女の中で今日の発砲事件とそれに続くクレイグの提案が重くのしかかっている。
話はもうすでに、自分の裁量ではどうにもならない次元に入っている。ここにいる限り、自分の身を守る最低限の努力は惜しむべきではないのだろうが、それでも話が飛躍しすぎて、彼女のキャパシティでは最早ついていけなかった。
「そうしよう、どうしたらいいんだろう」

3日間考え抜いた末に、彼女はクレイグに直接その答えを伝えた。
「そういうと思っていた」
彼はそう言うと、早速手際よくその後の手配をし始める。
利害を最優先する、打算的な結婚。もちろん子供のことは当面棚上げにすることが、悠莉の出した最低条件だ。自分の身の安全を図るために選択の余地がないとはいえ、彼女にはどうしても違和感が拭えなかった。



ビンガムの前総帥の婚外子と現在のトップの政略結婚。
これがこの後の彼女の運命を大きく変えることになるとは、悠莉自身もまだこの時には気づいてはいなかった。




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